聖剣農家の朝は早い
母屋から外に出た僕の頬を、冷たい空気が撫でた。
春が間近とはいえ、夜明け前のこの時間帯はまだ冷える。
部屋に戻り、もう一枚余計に着てくることを考えるも、昨日に引き続き寝不足の僕は、少し寝坊してしまっている。作業の開始時間までにはまだ余裕はあるはずだが、万が一にも遅れるわけにはいかない。
動いている内に身体が温まることを期待し、そのまま畑へと向かうことにした。
暗く静まり返った農場内を、ランタンの灯りを頼りに歩く。
母屋に併設された倉庫を通り過ぎ、厩舎のある無駄に広い庭を横切る辺りで、畑を囲う壁の威容が見えてくる。
もともと畑を囲っていたのは、簡素な木の柵だったのだが、この農場のことが広く知られるようになってから少しして、
『聖剣を守るのが腰までの高さの木の柵だけって、いくらなんでもそれは』
とか
『工費と労働力は我々が用意するので、どうか相応の防犯を』
という指摘や懇願が、諸各国から殺到。
余りにもしつこく言われ続けたのと、諸々全部相手持ちということもあり、
『じゃあそちらでお好きに』
と丸投げする返答をした結果、聖剣農場の覚えを良くしたい国々が手を組んで、錬金術師や魔術師までをも含む一大技術師団を結成。その技術師団が、当時の技術の粋を詰め込めるだけ詰め込んで出来上がったのがこの壁だ。
そんな壁の正面、畑の入り口へと足を進めていると、ランタンの灯りが前方を歩く人影を浮かび上がらせた。
巨大な円筒形の物体を背負ってふらふらと歩くその後ろ姿は、よく見慣れた人物のそれだ。
「おはようございます、イエロラさん」
「んん?──おっとっと、ああ、クウロくん、おはよー」
僕の声に振り返った拍子にバランスを崩し、危険なほど上体を傾かせながら、いつも通りの調子で返答するイエロラさん。今にも倒れそうな角度までいったのに、苦もなく姿勢を戻したのは、流石、我が農場一の肉体派だ。
「珍しいね? いつもは私より先に畑に着いてるのに」
「ええ、昨日も寝床に入った時間が遅くて、ちょっと寝坊を」
「ありゃりゃ、いけないなぁ。朝が早いことは──」
「また昨日と同じ流れを繰り返すつもりなら、相手になりますよ」
「ふっ。クウロくんのような貧弱もやしっ子が私に勝てるとでも?」
使うのは言葉だ腕力じゃない。
そんな中身のない会話をしながら、連れだって歩みを再開する。
僕の隣で、イエロラさんはふらふらと不安定に揺れながら歩いていた。背中の荷物の所為で、一歩ごとに身体が左右に流れてしまうらしい。
「相変わらず、重そうですね、それ」
「んー、重さはそうでもないんだけど、大きいからバランスが悪くて」
その背中に背負われているのは、昨日も使っていた、背負って使うタイプの噴霧器だ。ただし、散布するモノがモノなだけに、あらゆる部分が普通のそれとは違う。
まず、タンク部分が人を二人を収めて尚余裕がある大きさをしている。さらに、耐熱耐冷耐衝撃完全密閉を実現するために、ノズル付きホースまでを含めたほぼ全てが、錬金鋼や魔鉄といった特殊金属製だ。
その結果、可能な限りの軽量化が施されて尚、中身が入っていない状態でも、百キロを超える重量がある。イエロラさんはそうでもないというが、僕だったら、背負った時点で立ち上がることすらできなくなるだろう。
そして、その大仰な見た目に反し、デリケートな部分が多々あるこの噴霧器は、使用後の手入れと、丁寧な保管が欠かせない。そのため、朝と夕方の二回、これを運搬するために、畑と保管設備のある倉庫とを往復する必要があるのだ。
ついでに言うと、作業中も当然背負いっぱなしである。
「ま、肉体労働専任で雇われた以上、これくらいはね」
しかし 笑いながらそう言うイエロラさんの顔には、辛さのようなものは微塵も浮かんでいない。
この農場に来る前、イエロラさんは、傭兵や冒険者といった職業に就いていたそうだ。そんな彼女にしてみれば、命の危険が無い……あんまり無いここでの仕事は、楽な方なのかもしれない。
ふらついたイエロラさんを支えようとして、支えきれずに跳ね飛ばされるアクシデントを経つつ、僕たちは畑への入り口に辿り着いた。
石造りの壁は、入り口用のそこだけが、銀色の金属で覆われている。
「開けますね」
一歩前に出て、その金属に手をかざすこと数秒。滑らかな金属の表面に波紋が立ち、あっという間に左右に広がったかと思うと、そこにはトンネルが現れていた。
事前に登録した者だけが開くことのできる、謎技術で作られた入り口である。現状、この壁を越えて畑に入るには、この入り口を通る以外の方法はない。
僕とイエロラさんは、その唯一の入り口であるトンネルへと足を踏み入れた。
距離にして五メートルほどのトンネルを抜けると、広大な畑が目の前に現れる。
昨日と変わらず整然と並ぶ聖剣たちは、壁の内側に並ぶ照明に照らされて鈍く輝いていた。
……照明に照らされて?
「あれ、私昨日、照明消し忘れたかな?」
「いえ、そんなことはなかったと思いますけど……」
なぜ壁の照明が灯っているのだろうか。
畑を囲う壁に等間隔で灯る明かりは、壁自体が光を放つというこれまた謎技術の産物だ。トンネルの出入り口付近にスイッチがあり、このスイッチもまた、事前に登録した者にしか反応しない仕組みなので、僕たち以外に点けたり消したりはできない。
そして、昨日の夕方、作業を終えて撤収する際に、イエロラさんが照明を消したところを、僕は目にしているのだ。
「あ、クウロ君、あそこ」
ふと、何かに気付いたイエロラさんが、畑の一角にある建造物を指さした。
それは、イエロラさんの背負っている噴霧器を何倍にも大きくしたかのような、巨大なタンクだ。地下の研究所で生成された液体重金属を貯蔵するそのタンクの足元に、人影が見える。
「……ヴィオさんですよね、アレ」
「多分そうだね。何かあったのかなー?」
僕たち二人は首を捻る。彼女がこの時間に畑にいる理由がわからない。
照明が点いている理由はわかったが、新たな疑問が増えた。
考えていても理由がわかるわけでもなし、とりあえず僕たちはヴィオさんのところに向かう。
近づくにつれ、貯蔵タンクの様子がはっきりしてきた。
貯蔵タンクは五つが並んで建っており、それぞれの表面に番号が大きく刻印されている。
その五つの内の三つが、断続的な振動音を立てて稼働していた。
「え……ちょっと待って、なんで壱番以外のタンクが動いてるの?」
イエロラさんが呆然としたような声を上げる。
今の時期稼働しているのは壱番タンク一つだけのはずだ。何の連絡もなく、それ以外が稼働することはない。
何だか嫌な予感を覚えつつ、微動だにせず畑を眺めているヴィオさんに近づく。
「おはようございます、ヴィオさん」
「おはよー。ね、ね、ヴィオっち、なんで壱番以外のタンクが稼働してるの?
ヴィオっちがここにいることと、何か関係ある?」
挨拶もそこそこに、イエロラさんがさっそく本題を切り出した。
僕たちにいつも通り濁った、しかしいつもよりどこか晴れやかな瞳を向けたヴィオさんは。
「ありますよ。今日から第四工程に入ります。
噴霧器の規格はこれです、準備してください」
そう言いつつ、懐から取り出したメモ用紙をイエロラさんに渡した。
「………………………………はぇ?」
たっぷりの沈黙のあと、間抜けな声を上げたイエロラさんを笑うことは、僕には出来ない。ヴィオさんの言う第四工程の開始とは、それだけ予想外の言葉だったからだ。
聖剣の栽培には、生育状況に合わせた四つの栽培工程がある。
第一工程の、作付け。
力を失った聖剣の破片から、ヴィオさんが聖剣の種を精製する。
その種を彼女の指示のもと、畑に植える工程だ。
第二工程は、発芽補助。
畑に植えた聖剣の種がきちんと芽吹くように、聖水や魔力水、毒薬や呪薬で刺激を与える工程。この工程は大体三か月ほど続け、芽吹いたことを確認したヴィオさんの指示で次へと進む。
第三工程が、実体付与。
聖剣は元々形を持たず、目に見えない力の塊のようなもの……らしい。
そのままでは手に取るどころか、目で見ることすらできない聖剣に、希少鉱石や魔石、錬金生成物などを元に作られた液体重金属を吹き付け、聖剣に無理矢理実体を与えるのがこの工程だ。
聖剣がきちんと実体を得るまで、大体七から八か月、朝と夕方の一日二回この作業を行う必要があり、今がまさにその期間である。
イエロラさんが背負ってきた噴霧器も、この工程で使用するものだ。
そして、今ヴィオさんが口にした第四工程。
第三工程を経て、形を得た聖剣に、望む特性や能力を持たせる為の最後の工程。
基本的にやることは第三工程と一緒で、この工程用の特別な生長液を聖剣に吹き付けていくのだが。
問題は、第四工程用の生長液には、専用の噴霧器が必要になるということだ。第三工程で使う噴霧器は使用することができない。
規格の合わないものを使用した場合、噴霧器が壊れて使い物にならなくなるくらいならマシな方で、最悪、生長液と噴霧器の材質が反応して、爆発や融解を引き起こす可能性がある。
つまりイエロラさんは、作業開始予定時刻までそれほど猶予のない今から倉庫に戻り、倉庫の奥にしまい込まれている無数のパーツから、ヴィオさんに指定された規格の噴霧器──タンクが三つ動いているということは最低でも三つ──を組み立て、それらを抱えて時間内に戻ってくる必要がある、ということになる。
尚、どんなパーツの組み合わせであったとしても、完成品のサイズや重量は、今イエロラさんが背負っているものとほぼ変わらない物が出来上がる。
「ちょちょちょ! ナンデ!? なんで今いきなりそんなこと言うの!? いつもは事前に言ってくれるじゃん!」
そういった組み立てや運搬を事前に行うために、例年通りであれば遅くとも前日までには、第四工程開始の業務連絡がある。こんな作業開始間際のタイミングで言われたのは、初めてのことだ。
「何日か前に、多少生育が未熟でも、悪影響無く第四工程に入れる生長液の生成方法を発見しまして。完成に時間がかかりそうだったので、来年から使う予定だったのですが、研究が捗りに捗り、昨夜完成したので、使わねば、と」
「別に来年からでいいじゃんなんで今年分に使おうとしてんのー!!」
昨日までの間、ほとんど研究室から出てこなかったのはそのためか。
イエロラさんの悲壮な叫びを受けて、しかしヴィオさんに考えを変える気はないようだ。それどころか、五月蠅そうな顔をイエロラさんに向ける。
「どうでもいいですから、早く準備してきてくださいよ。
太陽が昇る前に作業を終えないといけないのは、あなたもご存じでしょう」
聖剣は、陽光に鍛えられ、月明りに磨かれる。人がその成長に干渉できるのは、そのどちらも行われていない夜明け前と黄昏時のみ。
一度干渉が漏れてしまうだけで、最終的な完成度はかなり落ちてしまう。
干渉することが前提となっている、今の品種の聖剣であれば、猶更に。
なので、この二つの時間の作業は、絶対に漏れないようにしてください。
……この農場で働く際、ヴィオさんから教えられる、聖剣の性質──生態?──と、注意事項だ。それは僕もイエロラさんも良くわかってはいるが、その言い方は、正直あんまりである。
「う……うぐぐ……!ヴィオっちのばかやろぉー!!」
ヴィオさんの冷たい言葉に、イエロラさんが畑の入り口に駆け出し……急停止して一旦戻ってくると、背中に背負った噴霧器を丁寧に地面に置く。
「ヴィオっちのばかやろぉー!!」
そして、再度叫ぶと、畑の外に全力で駆け出して行った。
倉庫に戻り、指示された噴霧器を用意してくるのだろうが、僕に手伝えることはない。文字通り力のない僕が手伝ったところで、邪魔になるだけだろう。
もうこんな事が無いよう、せめてヴィオさんに苦言を呈そうと口を開く。
「クウロさん、イエロラさんが戻ってくるまで暇でしょうから、これをお願いします」
しかし、ヴィオさんに機先を制される形となり、口を噤むことになった。
これ、といってヴィオさんが差し出しているのは、片手で扱うタイプの霧吹きだ。早く受け取れ、と言わんばかりに揺らされるそれを受け取った瞬間──受け取った右手が地面に向かって垂直に落下した。
「重っ……!?」
左手で底を保持して、何とか持ち上げる。僕が非力であることを加味したとしても、片手用の小さな霧吹きでこの重さは普通ではない。
「こ、これは?」
「新しい生長剤の生成方法を応用して作った、型落ち聖剣用の品質向上剤です」
「え……ずっと作り方を探していたやつ、出来たんですか?」
「はい。予想外の収穫でした」
聖剣を栽培する上で、地味に問題となっていたのが、抜け残りだ。
自身の担い手を自身で選ぶ聖剣は、当然、作った全てが抜かれるわけではなく、そのまま残ってしまうものもある。
そして、後から作られる聖剣は、ヴィオさんの研究によって大なり小なり進化しているため、どうしてもそれらの聖剣は型落ちとなってしまうのだ。
「片手間で作った試作品なので量はそれだけですし、効果の程も不明ですが、上手くいけば抜け残りの解消にもつながります。今一番抜け残りが多い、弐番区画への散布をお願いします」
型落ちの聖剣に積極的に手を出す者はあまりおらず、結果、いつまでも抜かれないまま、畑を占拠して残り続けてしまうことになるのだ。
もし多少なりとも品質を上げられるのであれば、抜いてみようとする者も現れるかもしれない。
ただ、気になることが。
「クッソ重たいんですけど、これ、いったい何が入って……?」
「詳しく説明してもあなたには理解できないでしょうから簡潔に述べると、完成した時点で、世界で最も重い液体の記録を更新した物質です」
片手間で世界初の物質を作り出さないでもらいたい。
重さの理由はわかったが、確認したいことはまだある。
「毒性は?」
「すこぶる猛毒です。肌についたら腐って溶け落ちますから、気を付けて」
僕の畑での作業は、空になった噴霧器に中身を補充する為、貯蔵タンクを操作する事が主なものとなる。
だから、直接散布作業を行うイエロラさんが着ているような、防毒・防熱・空気浄化の各種防護魔術が編み込まれた作業着は、必要としない。
つまり、当然今も身に着けてなどいない。
「防護服や、防毒マスクのようなものは……」
「必要ないでしょう。
霧状になっても、比重の関係で周囲に吹き散らされることは多分ありません。精々、風下に立たないようにすれば十分です」
聖剣の中には地面に突き立っている状態でも、風を生み出しているものや、高熱を放っているものがある。
更に、壁への反射が加わり、畑の中の気流は乱れに乱れて風向きは驚くほど安定していない。
つまり、風下なんてものは事実上、存在しない。
「それじゃあ、お願いしましたよ」
伝えるべきことは伝えたとばかりに、踵を返してさっさと畑を出ていくヴィオさん。
後に残されたのは、両手に残った霧吹きの重さに途方に暮れる僕と、これからを暗示しているかのような、不穏な風の音だけだった。