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第2章 ムカデ姫伝説の物語 2-2 伏見

 利家が去った後、南部家は多忙な日々を送ることになった。

 天正18年(1890年)10月、浅野長政が率いる軍勢が、郡代や代官を残して奥州を引き揚げると、それを待っていたかのように、取り潰された大名の家臣らが奥州各地で一揆を起こした。世にいう葛西大崎一揆と和賀稗貫一揆である。一揆の黒幕は伊達正宗であった。

 信直は、一揆勢に取り囲まれて籠城した秀吉の代官を救出せねばならなかった。そのために出兵し、代官を救出したが、三戸城へ代官と共に撤退を余儀なくされたのである。


 翌年3月、一揆の混乱に乗じて南部一族の九戸政美が挙兵。信直には手に負ず、秀吉に頼るしかなかった。

 秀吉は豊臣秀次を総大将とする大軍を奥州に派遣。一揆勢を鎮圧し、九戸氏を滅ぼした。1年近く続いた奥州の混乱はようやく終息したのである。

 再仕置が行われ、信直は、2郡が加増され10万石になり、氏郷が改修した九戸城を福岡城に改名して居城とした。


 年が明けた正月、関白・秀次が朝鮮出兵を発令。信直は利家の隊として肥前名護屋城に参陣した。4月に文禄の役が始まるが、信直は朝鮮に渡海せず、翌年の文禄2年(1893年)11月に、中風を患っていたために帰国を許された。

 名護屋在陣中、南部家は利家の斡旋により2件の婚約を行っている。一つは信直の娘と秋田家当主の弟・秋田英李、もう一つは利正と蒲生家の姫との婚約である。大名同士の勝手な婚姻は禁じられていたため、この婚約も秀吉の承認を得てのものであった。

 信直の帰国と同じ月、氏郷も会津へ帰国した。病気のための帰国であった。


 利家が南部家と蒲生家の縁組を言い出してから2年あまりの間、両家とも奥州での反乱と朝鮮出兵への対応で婚姻を進める余裕などなかったが、当主の帰国でその機会がようやく来る。

 文禄3年(1894年)春、利正の祝言が福岡城で挙げられた。

 南部家に嫁いだ姫は於武といい、利正より3歳年上だった。於武は氏郷の姉の子で、乳離れして直ぐに蒲生宗家に引き取られた娘であった。氏郷にとっては、17歳年下の養妹ということになる。


 利正夫婦の生活は、居城の福岡城で始まったが、1年半後、夫婦で京の伏見にある南部屋敷に移った。国許から京に移り住んだ理由は、大名の妻子は京に住まなければならないという決まりがあったからである。事実上の人質となったのである。


 伏見に住み始めてから2カ月程して、秀吉の使者がやって来た。伏見城に登城せよとの命令を伝えに来たのだった。利正には、何故秀吉に呼び出されたのか心当たりがない。

 その夜、於武は寝所で利正と並んで床に就いていたが、なかなか寝付けなかった。

「殿、まだ起きていらっしゃいますか?」

「なんだ」

「太閤殿下のご用は何でございましょうか?」

 於武は利正に聞かずにはいられなかった。

「わからん。来いといわれれば、行くだけだ」

「大丈夫でしょうか?」

「叱責されるような事はしていないはずだ。心配には及ばん。なぁに、築城の許可を殿下に直訴するいい機会と考えればよいのだ」

 築城の許可とは、不来方の地に居城を築くことの許可のことである。

 この地に新たな居城を築くよう進言したのは、奥州平定のための軍を率いた浅野長政だった。奥州再仕置後、南部家の領地が南側に2郡増えたため、居城を九戸から不来方へ移すよう勧めたのである。信直はそれに同意したが、名護屋から帰るまでは築城の準備などする暇もなく、昨年やっと取り組み始めたのだった。不来方を守る家臣の福士氏から不来方城を召し上げ、利家を通じて築城の許可を願い出ていたのである。

「でも、殿……」

 於武がそう言いながら利正の方を向くと、利正は寝息を立てていた。

 利正は心配するなと言うが、於武は心配でならなかった。豊臣秀次切腹事件からまだ日が浅く、秀次の妻子が30人以上も三条河原で打ち首になったことが、於武の心を重くしていた。於武は、秀吉のことを残忍な鬼のような人物と思っていたのだった。


 数日後、利正は伏見城に登城した。

 於武はヤキモキしながら屋敷で待っていると、於武の心配とは裏腹に、利正が何事もなく伏見城から帰って来た。於武は夫の顔を見てホッとした。

「お帰りなさいませ。ご無事で何よりでした」

「心配するなと言ったではないか。吉報だ。太閤殿下に拝謁して、官位を授かったぞ。従五位下・信濃守だ」

 於武の表情がパッと明るくなる。

「まぁ、そうでございましたか。おめでとうございます。早速、国許の大殿にお知らせしなければ」

「父に知らせるのはもちろんだが、亡き蒲生の義兄にも知らせてやるがいい」

「お気遣いありがとうございます。明日にでも大徳寺に参り、墓前に報告いたします」

「それがいい」

 於武の養兄の氏郷は、この年の2月に伏見で病死し、大徳寺に葬られていた。

 利正が墓参りを勧めたのは、於武が氏郷の死に目に会えなかったことを悔やんでいたからであった。利正は吉報を届けさせることで、少しでも慰めになればいいと思っていたのである。

 於武は利正の言葉に感謝しながら、利正が言っていたことを思い出した。

「そういえば、築城のお許しのお話はいかがなりました?」

「すっかり忘れておった。殿下の前に出たら、言おうと思っていたことが、頭からすっぽり抜けてしまった」

「まぁ、殿でも太閤殿下の御前ではそうなってしまうのですね」

「勘気をこうむると、家が取り潰されるかもしれないのだ。緊張するのも当然だろう」

 利正は国許で父の代わりに政務をこなしていたとはいえ、まだ19歳の若者だった。天下人を前にして萎縮するのも仕方がないことだった。

 憮然とした利正に、於武はなだめるように言う。

「築城のことは、前田様にお頼みしているのですから、直訴しないで良かったのではないですか」

「考えてみたら、そうだな。前田様の顔に泥を塗ることにならなくて良かった。怪我の功名というやつだな。今度は戦で功名を立ててみせるぞ」

 利正と於武は、顔を見合わせて笑った。

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