第1章 盛岡城について 1-2 櫻山神社
内曲輪には、かつて本丸などの建築物があったが、往時の建築物は既に無い。
櫻山神社があるが、今の社は明治に新築されたものである。
櫻山神社の由緒によると、盛岡藩8代(南部家33世)利視が盛岡藩初代(南部家26世)信直の遺徳を偲び、城内淡路丸に神殿を建立して奉ったのが櫻山神社の始まりであった。
盛岡城が明治政府に接収された後の明治4年(1871年)、櫻山神社の御神体は茄賀野村妙泉寺山に仮遷座され、明治10年(1877年)には、下北山の聖寿禅寺跡に再遷座されている。
現在の場所(御蔵跡と勘定所跡)に移ったのは、明治33年(1900年)であった。そのときに本殿、拝殿、神門が建立されたとのことである。
櫻山神社の祭神は、南部家初代の南部光行(文化15年、1818年合祀)、 南部家26代で初代藩主の南部信直(寛延2年、1749年奉祀)、南部家27代で3代藩主の南部利直(大正元年、1912年合祀)、南部家36代で11代藩主の南部利敬(大正元年、1912年合祀)の4柱で、いずれも南部家当主である。
櫻山神社は信直を初代盛岡藩主、利直を3代藩主、利敬を11代藩主としているが、徳川幕府の成立以降を藩の始まりと考えるならば、利直を初代藩主、利敬を10代藩主とするのが正しいだろう。