第1章 盛岡城について 1-1 盛岡城跡公園
岩手県の県庁所在地である盛岡市は、盛岡城の城下町として発展した都市である。
盛岡城が築城される前、この地は「不来方」と呼ばれた伝馬宿駅だった。交通の要所ではあったが、小さな城があるだけの土地だったのである。
南部氏の居城が築かれ始めた頃に「森ヶ岡」と改名され、城が完成した後は、奥州街道が縦断し、脇街道である遠野街道、宮古街道、小本街道、鹿角街道、秋田街道の起点となった。また、盛岡と石巻湾を結ぶ北上川水運の重要な河岸にもなっている。まさしく、交通の要衝であった。
「森ヶ岡」から「盛岡」へと改められたのは、江戸時代後期のことだった。以降、その地名が現在に受け継がれている。
明治になり、水運は廃れたが、代わりに盛岡は北東北の鉄道の要衝となった。
現在、盛岡駅には、JR東北新幹線、JR秋田新幹線、JR東北本線、JR田沢湖線、JR山田線、第三セクターのIGRいわて銀河線が乗り入れている。
この盛岡駅から東方向に20分程歩くと、「盛岡城跡公園(岩手公園)」に行き着く。「岩手公園」が正式名称で、「盛岡城跡公園」が平成18年(2006年)に付けられた愛称ということらしい。
愛称からわかるように、約9ヘクタールの公園は盛岡城跡を公園化したもので、盛岡城の内曲輪と外曲輪の一部を敷地とし、昭和12年(1937年)に国史跡に指定されている。
内曲輪は堀で囲まれた石垣のある区域で、御城内とも呼ばれていた。外曲輪の一部とは中津川と堀に挟まれた区域で、もりおか歴史文化館が建っている辺りである。
この公園にある盛岡城の遺構としては、堀と石垣くらいしかないが、石垣は大規模であり、石垣の見事さから、会津若松城、白河小峰城と並び「東北三名城」と呼ばれている。
石垣は、自然石を加工せずに積み上げた野面積み、大小の平石を不規則に積み上げた乱積み、方形に加工した石を横一直線に積み上げた布積みで積まれ、年代による積み方の違いを見ることができる。
また、石垣の石の全ては、城内とその周辺で採取された花崗岩であるという。
内曲輪には、烏帽子岩と呼ばれる高さ7メートル弱の巨大な錐状の花崗岩が、守り石として祀られている。この岩は初めから露出していた訳ではなく、邪魔な石を取り除こうとして掘ったところ、巨岩だったとが判明したとのことだ。
この様な岩が出土しているということは、この地が花崗岩を多数含んでいた丘陵だったと類推される。石垣が城の周りの石だけで造られたというのも納得できる。たぶん、築城時に堀や丘陵を掘り下げたときに、出てきた石を加工して石垣に使用したのだろう。