2.オートバイ
オートバイ
化粧を手早く直し、お気に入りの「つけまつげ」を貼り付けると、彼女は片方ずつウインクする。その具合を確かめるためだ、もちろん抜かりはない。男への連絡は、昼休みの内にとっくにとってある。窮屈な通勤列車に詰め込まれ、彼女は自宅のひとつ手前の駅で降りた。駅前の雑居ビルの中に馴染みの店がある、少し財布は軽くなるが、そこにはいい服が揃っている。
「未唯、はいこれ。結構いいわよ、きっとコレでそいつもイチコロよ」
「ありがとう、いつも社販使わせてゴメンね、瑠夏」
「いいって、素材はいいけどこんな高い値段で買う人そうはいないって。それより相手の事、うまくいったら、また後でゆっくり聞かせてね」
「うん、もちろん。ちょっと時間かかりそうだけど、真っ先にね」
サテンのドレスは、彼女の幼馴染み「葵瑠夏」が選んでくれた。
「これで今夜こそ、小太郎ゲット!」
何故だろう「我武者羅」のことは彼女の記憶からすっかり消されていた、彼女はブティックの袋を隣りの座席に置いた。ひと駅といっても20分はあるからだ。残念だが「通勤ライナー」の時間帯は少し前に終わっていた。
「急がなくっちゃあ」
彼女は一台のエレベーターに滑るように乗り込み、すかさず1Fに向かった。
都合よくマンションのエントランスに黒いタクシーが1台入ってきた。
タクシーから客が降りると、彼女はすぐそれに乗り込み行き先を指定した。もちろんここまでタクシーを連れてきてくれた、客への「会釈」も忘れなかった。
「あれ?」
その客の横顔はこれから「ゲット」しようとするコタロウにそっくりだった。
「気のせいよね、小太郎はこんな古いマンションに用などあるわけない」
約束のレストランは意外に混んでいた。
「遅いなぁ、小太郎。女を待たせるってダメだなー」
予約は取ってあったものの、もう30分は彼女は待たされている。今までなら彼女はとっくに腹を立てて帰っているはずなのに、不思議だと彼女自身も思った。そしてさらに30分、彼女はとうとう席を立とうとした。
「あーあ、せっかく瑠夏に選んでもらったのに。無駄になっちゃったぁ、ふーんだ」
突然、数人の黒服が店内に入ってきた。店の客は一斉に彼らに視線を向けた。
「美津香小太郎様のお連れ様ですか?」
黒服は、そう言うと彼女の前に現れた。
(みづか小太郎っていうんだ、あいつ…… )
彼女はこくりと頷いた。すると、合図とともに両腕を黒服に抱えられ、彼女は椅子から立たされた。
「な、なんなのよっ!」
男の腕に力が入る。振り払うのは不可能とみて、彼女は二人の足の甲を赤いヒールで踏みつけてやった。
「ぎゃっ」
革靴の甲が丸く凹み、男たちはたまらずに悲鳴をあげた。
「はははっ、なんとも、勇ましいお嬢さんだ。手荒な真似はしたくないのだが、仕方がない」
黒服の男が、内ポケットに手を入れた。きっと物騒なものだと未唯は思った。新しい風と一緒に店に入ってきた小太郎がその男の背中を思い切り蹴飛ばした。
「ぐへっ」
奇妙な声を上げて、男が床に転がった。
「こ、小太郎?」
「さあ、店から逃げるぞ、未唯」
訳も分からぬまま、その手を握られ彼女は店を出た。店の表にあるのはいつものリムジンではなかった、古い青いオートバイだ。
「何、オートバイ。こんなの動くの?」
「もちろん、俺のカワサキさ」
慌てて追いかけてきた黒服たちは、二人乗りのオートバイのテイルランプを見送るしかなかった。
「あーあ、破けちゃったよ」
「ごめん」
慌ててオートバイにまたがる時にドレスの裾を何処かに引っ掛けたに違いない。
「怪我しなかったか?」
彼女は答えなかった。それより気になることがあったのだ。
「小太郎、今日の話し方ずいぶん男っぽいね」
「えっ!」
「まるで別人みたい」
「嫌か?」
「ううん、反対。素敵だよーん」
そう言って彼女は軽くキスをした。
「でも、まず新しい服を買わなきゃあね」
商店街の入り口でオートバイから降りた二人は、アーケード内のカジュアルショップに入った。適当なデニムのパンツとTシャツを買うとそのままアーケードを抜けた。いつもならタクシーが数台止まっている通りに出るまで、二人は初めて手をつないだまま歩いた。