勇者の武具
身の丈ほどもある巨大な刃を一振りし、イルはほう……と感嘆の溜め息を漏らした。
「空気みたいに軽いんだな……これが、オレが作った武器なのか」
「慣れれば、形は自由に変えられるよ。君の場合はまず、実体を維持することから始めないといけないけれどね」
ドミヌスを継承して装いを新たにしたイルを見据えて、セーフェルは言った。
──イルと契約し、力の継承を終えたセーフェルがまず彼に求めたのは、戦うための武装を編むことだった。
武装を具現化する──力を実体化させることは、グリモワールを扱う上での基本中の基本となる。セーフェルは、まずイルがドミヌスの能力者としてどの程度力を自由に扱えるかを確認しようとしたのである。
結果は、とりあえずは彼の満足のいくものになったようだ。
現在のイルは、元々身に着けていた麻の服の上に白と赤を基調とした防護服のような形状の鎧を纏った格好になっていた。
見た目が布の衣服とさほど変わりないのは、イルには立派な鎧のイメージができなかったためだ。それでも普段のみすぼらしい格好よりは、随分と見栄えの良い外見にはなったが。
ドミヌスとて術者の意に沿って動く力である。イメージ力の乏しさを補うような器用さはない。
とはいえ魔力で生み出されたものであることに変わりはないのだから、見た目以上の強度は有していると見て間違いはないだろう。
武器は、下手をすれば使い手よりも大きさのある十字型の黒い両刃剣だ。刃の腹に幾つかの丸い穴が空いており、そこから通された鎖が刃を縛っている、そのような形をしている。
一見すると大型の鈍器にも匹敵する重量を備えていそうな武器だが、先にもイルが感想を述べていた通り、これには重量というものは存在していない。これは鎧の方も同様だ。
魔力には、物質的な重さは存在しない。
グリモワールによって生み出された武具の最大の強みは、硬度でも切れ味でもない。重量という枷が存在しないことにある。
使い手次第で、それは何よりも勝る最強の武具となるのである。
「君には、練習を重ねて早く1人前になってもらわなきゃって言いたいところだけど──」
セーフェルは、イルに向けていた目をついと横にずらした。
微妙に表情を固くして、呟く。
「どうやら、そうもいかないみたいだ」
眉を顰めるイルに、顎をしゃくるようにしてそちらを見るように促す。
イルが言われた通りにそちらを振り向いた、その先には──
縞模様の蛇の抜け殻を全身に被った人型のような、何か。
そうとしか形容しようのないものが、クレーターの淵に立ってこちらを何処に付いてるのか皆目分からない目で見下ろしている光景があった。
ひょろりとした体躯は、大人ほどの大きさだろうか。そこまで並外れた大きさはしていない。
白い外套のようなものを羽織り、不自然に長い手に杖と思わしき捻れた棒切れのようなものを携えている。
訝るまでもなく、こんな外見をした存在が人間であるはずがない。
「神の眷属……!?」
セーフェルとの会話に気を取られてすっかり存在を忘れていた存在の姿を見つけ、イルの表情が一気に険しくなる。
武装しているという事実があるためだろうか、不思議と、彼の中に恐怖心はなかった。
「……迂闊だったね。奴らの存在を失念してたよ」
小さな溜め息をついて、セーフェルは腰に手を当てた。
「先に謝らなくちゃいけない。ぼくはあくまでただの『写本』だから、実際にドミヌスを操る能力はないんだ。この場は君に、対処してもらうしかない」
「……戦えないってことか?」
「平たく言うとそうなるね」
「…………」
その割にはまるで危機感の見られない少年の様子に、イルは思わずおいと突っ込みを入れていた。
恐怖心がないとはいえ、戦って勝つ自信があるかどうかは全く別の問題だ。
イルはまだ、己の力の扱い方をろくに知らない。
力の使い方は経験して覚えるしかないとはいえ、これを練習相手にするとは、いささか酷な話なのではなかろうか。
「…………」
神の眷属は、そんな2人の遣り取りを聞いているのかいないのか、鳥のように小首を傾げる仕草をしきりに繰り返している。
敵意は、今のところ感じられない──が、それが逆に不気味だった。
乾いた風が、辺り一面を吹き抜けて足下の砂をさらっていく。
さらさらと、斜面を砂粒が零れ落ちていく音が鳴り──
神の眷属が、動いた。
手にした杖の先端をイルへと向け、空いた方の手で何かの印を切る仕草をした。
ちっ、と眩い光が杖の先に灯る。
イルは咄嗟にセーフェルを横に突き飛ばし、その勢いで自らも反対側へと跳んだ。
足下に立てていた蝋燭に光が突き刺さり、砂が巻き上げられて蝋燭が折れ飛ぶ。芯を吹き飛ばされたか風圧に煽られたか、炎が掻き消されてしまった。
急激に暗くなる視界。しかしイルの目は、暗闇の中の神の眷属をはっきりと捉えていた。
ドミヌスを継承したことによって身体能力が引き上げられ、それに伴い視力が強化されているのだ。
自分のものとは思えない身軽な足捌きに自ら驚愕しつつ、イルは神の眷属との距離を一気に詰めた。
力一杯、大剣を一閃する。
巨大な刃は、身を引いて避けるにはいささか大きすぎたようだ。刃は仰け反った神の眷属の胴を斜めに袈裟斬りにした。
黒々とした液体が飛び散り、生温かい温もりがイルの顔にべしゃりと降り注ぐ。
鉄錆のような濃厚な臭いが、肺の中に充満した。
「……う……!」
嗅ぎ慣れない臭いに、イルの表情が顰む。
神の眷属は仰け反った上体を元に戻すこともなく、そのまま仰向けに倒れた。
胸元から、淡く輝く小さな何かが飛び出して、砂の上にぽとりと落ちる。
そのまま、それは動かなくなり──
「…… ……」
半分涙目になって口元を押さえたイルが、ゆっくりとセーフェルの方へと振り返った。
「……どうしたの?」
尋ねるセーフェルの前で、静かに、大剣を手離す。
イルの手から離れた大剣は、具現力を失って砂地に落ちる前に蛍火が散るように形を霧散させていった。
「………… 血が」
ようやくイルが発した言葉に、それがどうかしたのかと言いたげにセーフェルは小首を傾げた。
「君の血じゃないじゃない」
「……違う。斬ったら、血が出て」
「そりゃ出るよ。相手も生き物なんだから」
今更何を言うのかと、セーフェルは肩を竦める。
「神の眷属は空想の生き物じゃないんだよ。作り物の人形か何かだとでも思ってたの?」
「血が出て……死んで……」
「君が殺したんだから、当たり前じゃないか」
彼はイルの傍まで歩いていき、ついと背伸びをして、イルの頬に付いた返り血を親指の腹でぐいっと拭った。
「戦いってのは、殺し合いなんだ。死んだら終わり。君も、相手もね。それを忘れちゃいけない。やり直しは、利かないんだよ」
命は1個しかないんだから、と言って、イルの右手をそっと握る。
小刻みに震えたイルの掌は、僅かに汗をかいてしっとりと濡れていた。
それが初めての戦いの昂ぶりによる熱の証なのか、初めて自分が何かを殺したという戸惑いによる冷や汗なのかは──分からない。
「……それでも、力を手にした以上、君は前に進んでいくしかないんだよ。力を持った君を、神の眷属は放ってはおかないんだから」




