誓い
薬品の、匂いがする。
ゆらゆらと揺れる光と、影。
何処かで自分は寝かされているのだろう、とイルは独りごちた。
閉じた瞼にじんわりと染み込む光の淡さが心地良い。
このまま眠っていたい、という気分に駆られる。
1度に色々なことがありすぎて、頭が考えることを拒否してしまったのかもしれない。
ゼノヴィア──
彼が今まで自分に優しくしてくれていたのは、演技だったのか。
自分は騙されていただけなのか、という思いがふつふつと沸き上がる。
しかし、憤りは感じなかった。
もう、終わってしまったのだから。何もかも。
誰かの手が、イルの腕に触れる。
イルは目を開けた。
最初に目に入ったのは、白い法衣に身を包んだ銀の髪の男の顔だった。
頬に入った引き攣ったような傷痕の存在が、男の名を自然と頭に浮かび上がらせる。
ラルヴァンダード。
黄金の賢者、と名乗った神の眷属の男は、真剣な眼差しをしてイルの腕に何かを塗っていた。
香草の芳香を薄く引き伸ばしたような、気分の落ち着く香りがした。
「……起きたか」
ラルヴァンダードは傍らに手を伸ばし、小さな飴玉のようなものを手に取った。
「もう少しで治療が終わる。これ食って待ってろ」
と、飴玉を口元に持ってくる。
イルは、応えなかった。
頑なに口を結び、ラルヴァンダードの顔をじっと見つめた。
「……だよな。簡単におれを信用するわけにゃいかねぇ、か」
最初からイルの反応が分かっていたのだろう。特に訝る様子もなく飴玉を持った手を引っ込めて、ラルヴァンダードは言った。
「……あの状況じゃ、ああする以外に方法がなかったんだよ。エルシャダイの使徒は、生身でどうにかできる相手じゃなかったんでな……どうしても、おれの正体を明らかにして、一旦おめぇをあの場所から逃がす必要があったんだ」
もういいぞ、とイルの肩を叩く。
イルは上体を起こして、改めてラルヴァンダードの顔を見据えた。
「万全の状態で、連中に挑みたかった。だから、あの場ではおめぇを騙してたフリをした。他に邪魔の入らねぇこの場所で、準備を整える時間を手に入れるために」
賢者の工房である此処でなら、グリモワールに関係する装備を整えることができる。
道中に負った傷も、治療することができる。
そのために、築いた信用を捨ててでも、イルをこの場所に連れてくる必要があった。
ヴェゼヴィーユたちに疑問を抱かせることなくイルを此処へ連れ込むための口実を作る必要があった。
それが、一連の裏切り劇の真相。
「もうおれのことは信用できねぇってんならそれでもいい。おめぇが1人で行くって言うんなら、おれは此処でおめぇの怪我だけ治療して外に出してやる。その場合は、おれは傍観者として此処で勝負の行く末を見届けさせてもらう」
ラルヴァンダードは、イルの目をまっすぐに見つめて言った。
「もしも、それでももう1度おれを信用してくれるってんなら──マグスとして、おめぇの相棒として、一緒に最後まで戦ってやることを約束する」
「…………」
イルは沈黙した。
目を伏せて、考え、再度ラルヴァンダードの顔に注目する。
右手で拳を作り、差し出す。
怪訝そうにそれを見つめるラルヴァンダードに対し、言った。
「……もしも、もう1度オレを裏切ることがあったら……」
自分自身にも言い聞かせるように。決意の言葉を、述べた。
「その時は、オレ自身の手であんたを倒す。裏切ったことを後悔するくらいの目に遭わせてやるからな」
「……上等だ」
ラルヴァンダードはにやりとした。
左手で拳を作り、それをイルの拳と重ね合わせて。
「その意気だ。今の言葉、絶対に忘れんじゃねぇぞ」




