ジルディエールの決意
光の中に、少年が佇んでいる。
ウェーブ掛かった金の髪を青いリボンで結った、貴族風の装いの少年だ。
血塗れで、同じ姿かたちをした少年を胸に抱いて、何かを必死に見上げている。
目尻に涙を浮かべたその様は、目の前にあるものを睨んでいるようにも、恐れを抱いているようにも見えた。
彼らの他には、そこには何もいない。
ただ、彼らの傍に咲いた1輪の花が、そんな彼らを見守るように、静かに風に揺れているだけだ。
そのような光景を、何処か懐かしいものでも見るような感情を持って見据えながら──
イルは、隣を歩いていたセーフェルに腕を引かれて、意識を現実へと引き戻された。
「……ぼーっとしてたら危ないよ。此処はもう王都なんだから」
意識が覚醒すると同時に闇色に包まれた景色を見回して、イルはごめんと謝った。
壁に設置された燭台が、頼りなく辺りを照らしている。
どうやら此処は、倉庫として使われている場所らしい。そこそこ広めの空間に、天井から肉の塊のようなものが鈴なりになって吊るされている光景は、見る者を圧倒させる独特の雰囲気がある。
空気が若干冷たく感じるのは、此処が肉の保管場所だからか。
背後を振り返ると、先程此処に来る際に通ってきた門の存在は完全に消えてなくなっていた。
後戻りはできない。
腹を括れと言われた本当の意味をようやく理解したような気分になり、イルはぼやけていた意識を頬を叩いてしっかりと覚醒させた。
「此処は、城の地下にある食糧庫だな」
吊るされている肉に手を添えて間を縫うように歩きながら、ゼノヴィアが言う。
「此処から厨房に出られるが……多分そこには料理人がいる。見つからずに外に出るのは不可能だな」
行く先にちらりと見えた明かりを顎で指し示し、彼は3人の方へと振り向いた。
部屋の角の方に、開いた扉が見える。外が、ゼノヴィアが言う厨房なのだろう。温かな山吹色の明かりが、時折通り過ぎる影にゆらゆらと揺れる様子が見えた。
時折壁に反響する、鋼同士がぶつかる音。
料理を作っているのだろう。言葉を交わしている様子も、何となくだが聞き取れた。
「……ジル」
「──はい」
名を呼ばれ、ジルディエールが1歩前に出る。
「私が、道を開きます。皆さんは、混乱の隙を突いて外に出て下さい」
「……すまねぇ」
ゼノヴィアが小さく謝罪する。
彼女はその横を、決意に固めた足取りでゆっくりと通り過ぎていった。
小さくなっていく背中を吊るし肉の陰から見守りながら、イルはゼノヴィアの横に進み出た。
彼の顔を傍らから見上げて、その神妙な様子に、訝る。
「……ゼノヴィア?」
「──研究は、実用段階までは来てるがまだ未完成なんだよ」
ゼノヴィアは、ジルディエールからは目を離さずに小さく応えた。
「制御ができねぇんだ。ひとたびグリモワールの力を開放すれば、脳の方が魔力の圧力に耐え切れずに焼けちまうのさ」
グリモワールは、元々人間には備わっていない力だ。
それを無理矢理移植して使用を試みたところで、結果は見えている。
グリモワールの魔力が、元々備わっている人間としての意識を食い潰し、自我を崩壊させてしまうのである。
此処でグリモワールの力を開放すれば、ジルディエールは人間としての個を失い、目の前にあるものをただ見境なく破壊して回るだけの兵器と化してしまうだろう。
その結果を分かっていて、ゼノヴィアは彼女にグリモワールの使用を認めた。
彼女自身が言い出したという、意思を尊重して──そうしたのだ。
「……それって──」
自殺しに行くようなものじゃないか、という言葉を、イルは飲み込んだ。
ゼノヴィアの眼差しが、それを押し留めたのだ。
「……おれが、あいつを殺したようなもんだ。そこは否定はしねぇさ。でも……それを理解してて、それでもおれたちのためにその力を使うと言ってくれたあいつの意思を、どうか無駄にするような真似だけはしねぇでくれ。頼む」
「…………」
俯くイル。
戸口から聞こえてきていた喧騒のような声が──止まる。
ジルディエールの姿は、3人の視界内から消えていた。厨房へと入っていったようだ。
ゼノヴィアは早足で、戸口の方へと移動した。
壁に背をぴたりと付けて厨房側からは姿が見えないようにして、2人を呼ぶ。
イルとセーフェルが移動し始めたところで──
中から、悲鳴が上がった。




