学者の工房
先行したゼノヴィアを追いかけて岩壁に開いた穴に足を踏み入れるイルとセーフェル。
最初の通路を抜けると、そこは四方を丸く壁に囲まれた広めの部屋になっていた。
中央に煉瓦状に形を削って整えた岩で丸く囲われた場所があり、その中は湧き水で満たされている。
天井はなく、その代わりを果たしているのが豊富に枝を付けた木々と、入口にあったものと同じ種類の蔦の葉だった。蔦が網の目のように穴を塞ぎ、更にその上に生えた木が上空からの視線を遮断する形になっているのである。偶然そのような形になったのか、それもゼノヴィアが此処を作る際にそう設計したのかは分からなかったが。
中央の池のすぐ傍に、小さな木が生えている。若木だろう。イルの身長と大差のない背丈で、枝も少なく幹も細い。しかしまばらながらも立派な葉を付けている。
それに沿うような形で、ゼノヴィアのバイクが置かれていた。
ゼノヴィアの姿はない。バイクを置いて、更に何処かへと移動してしまったようだ。
彼の姿を探して室内を見回していると、セーフェルが後方からイルを呼んだ。
「多分こっちだね。階段があるよ」
セーフェルが立っていたのは、入口のすぐ脇だった。
そこには入ってきた通路とはまた別の入口があった。通路側からでは死角になっていたせいで存在に気付かなかったのだろう。
こちらは通路ではなく緩やかな弧を描いた階段になっており、それは地下に向けて長く伸びているようだった。
明かりがないため足下は殆ど見えなかったが、通路の幅自体は狭いので、壁に手を付けることでどうにか転ぶことなく下りることができた。
階段を下り切った先は、上と同じほどの広さの部屋になっていた。
こちらは太陽の光ではなく、蝋燭の炎の光で室内を明るく照らしている。獣脂蝋燭独特の香りが充満するその場所で、ゼノヴィアは2人を待っていた。
「よしよし、ちゃんと迷わねぇで来たな」
室内を視線で指しながら、語り始める。
「此処がおれの工房だ。一応仲間の生活の拠点も兼ねてる。ちっとばかし散らかってっけど、まぁ気にすんな」
「……ちょっとばかり、……ね」
ふ、と苦笑混じりに呟くセーフェル。
確かにゼノヴィアが言う通り、室内は少しばかり散らかっていた。
部屋の片隅に追いやられるようにして設置されているテーブルの上には、何かの設計図だろうか、広げっぱなしの紙が何枚も放置されており、何に使っているのかもいつ磨いたのかも分からない器が重石代わりに置かれている。
携帯用のランタンもあったが、そちらは燃料が切れているためか火は入っていなかった。
素材不明の白い椅子には、誰のものか分からないが──大きさからして、少なくともゼノヴィアのものではないだろう──脱ぎっぱなしの汚れたシャツが丸めて置いてあり、更に工具が散乱している。工具は結構広範囲に渡って床の上にも散らばっており、その中には抜き身のコンバットナイフのような無骨な刃物の混ざっていた。こういうものを平然と放置しているということは、この場所には少なくとも刃物の危険性が分からないほどの幼子は住んでいないのだろう。
工具以外で床に置かれているのは、砂利を詰めた石の箱が3つと、取っ手が付いた鉄の箱がひとつと、煤けて汚れた厚手の本が何冊か。後は何らかの部品らしき細かい金属片。注ぎ口が焦げている水差し。家具と呼べるものは、テーブルに椅子の他には本を無造作に突っ込んで整頓している様子もない本棚がひとつだけ。それがこの部屋の全てだった。
テーブルや本棚に埃が積もっていない辺りからして一応ある程度の掃除はしているようだが、それが全く意味を為していないと思えてしまうほどに、とにかくこの部屋は乱雑としていた。セーフェルが苦笑するのも無理はない。
「此処は鍛冶場にしてっからな。汚ぇ部屋だってのはおれも同意見さ」
ま、安心しな。他の部屋はもうちっとまともだよ。
言いながら、ゼノヴィアは2人に背を向けて部屋を横切った。




