変革の刻
神の眷属が操るグリモワールを、人間が扱う術はあるのだろうか。
それが、ゼノヴィアの研究だった。
途方もない研究と実験を繰り返し、彼は、遂に一筋の光明を見出す。
オベクナから遥か遠く、東にある彼の工房にて、一握りの同志と共にその研究は行われていた。
彼とイシスが知り合ったのはその頃だった。
イシスが持つ神の眷属に関する知識は、ゼノヴィアが与えたものだった。
ゼノヴィアはイシスに研究段階にあったグリモワールの利用法を渡そうと試みたものの、その時は何らかの要因が重なって結局は上手くいかず、イシスを生身のままノヴリージェの元に送り出す羽目になってしまった。
ドミヌスの継承者ではないイシスでは、決して神を倒すことは叶わない──それを分かっていながら彼を見送った時の彼の苦悩は、決して小さいものではなかったという。
「……言えるわけがねぇよ。おめぇには絶対に勝てねぇ相手だなんてさ。ま、言ったところでそれでもあいつは行くのをやめはしなかったんだろうが──あいつは、そういう奴だったからな」
何処か寂しそうな笑みを零し、ゼノヴィアは言った。
「そんな時さ。おめぇが此処に落っこってきたのを見たのは」
神の眷属の間に伝わる予言の話を知っていたゼノヴィアは、これこそが『禍つ星』であると信じて、東の工房から此処まで遠路はるばる足を運んできた。
そうして、彼らはこうして出会ったのだ。
「運命の子供と、それにドミヌスを継承する写本が揃った。──此処まできたら、答えはもうひとつしかねぇだろ?」
すっと左の人差し指でイルとセーフェルを順番に指差して、ゼノヴィアはきっぱりと断言する。
「おめぇたちを、神が待つ理想郷に送り出す。……ただ行って来いなんて無責任なことを言うつもりはねぇ。その時はおれも一緒に行ってやる。おれはこう見えて連中の本拠地の内部事情には詳しいからな、損は絶対にしねぇはずさ」
──そう言ってゼノヴィアが2人を案内したのは、砂漠の一角に置かれていた奇妙な形状の乗り物のところだった。
車輪がふたつある外観は、バイクのそれに近い。しかし形状が獣の骨格標本のように随分と奇抜で、どう見ても複数人を乗せて走れるような形はしていなかった。
ゼノヴィアは運転席に跨ると、セーフェルに自分の前に座るように促し、イルには本来ならば荷台があるであろう後方に乗るように勧めた。
「時間がねぇ。とりあえずおれの工房まで飛ばすから、しっかり掴まってな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
出発準備を整えるゼノヴィアとセーフェルに、イルは狼狽した。
彼は後方を振り返るような素振りを見せて、尋ねた。
「行くって、いきなり? オレ、都市を黙って出てきたのに、皆に何も言わないでこのままいなくなるのは……」
「言ったろ。時間がねぇって」
ゼノヴィアの表情が引き締まる。
「イシスが王に喧嘩を売ったんだ……連中が、それを黙って見過ごすと思うか? 人類の残党を根絶やしにしたい奴らからすれば、絶好の『狩り』の口実を与えたことになるんだぜ。連中が大挙で押し寄せてきたら──此処は持たねぇ。その前に、乗り込んで潰すんだよ」
「……そんな!」
「賽は投げられたんだ。覚悟を決めな」
きっと、イルが考えているよりも事態は深刻に、悪い方向に向かって進んでいるのだ。
ゼノヴィアの言葉に、イルは自分の掌を見下ろして、半ば呆然とした様子でその場に立ち尽くすのだった。




