のんきなあなたは極めて上等
私の婚約者は、私よりも愛しいと思う方がいらっしゃるようなのです。
ああ、そんなお顔をなさらないで。
私、それに対して、どうとも思っていないのですから。
変でしょうか。婚約者がほかの方に愛をささやいているのに、何とも思わないなんて。
そうね。そうね。
あなたのおっしゃるとおりなのでしょう、きっと。
私は彼に関心がないのだわ。
だって、中等部に上がる直前、それまであまり、いいえ、全然接点のなかった1つ上の彼との婚約が急に決まったのだもの。親同士が交わした結束の代償だと、まだ12の私でも理解したわ。
え? 意味がよくわからない?
ええと。あなたは、家のために、婚約は……。
するわけないだろう?
まあ。おかしいわ。だって、あなたも社長令息でしょう。
謙遜しないでくださいな。中小企業といっても、あなたの会社は、世界に名を知られた……、えっと、ごめんなさい、私、失礼なことを口にしたかしら。眉間にしわが寄っていてよ。
ええ、ああ、確かに、あなたの会社ではなく、あなたのお父様が興した会社ではあるけれど……。
皆さん、親の功績は自分の功績とばかりにおっしゃるのに、変わっているのね。この学院が変わっている? 私は幼稚舎からここに通っているので、わからないわ。ごめんなさい。
えっと、それで。
そうそう、彼のことね。ほら、このベンチから見えるでしょう、彼と彼女が仲よく寄り添っているのが。
そんなことはないわ、彼女がわざと私に見せているなんて。いえ、あり得ないわ。どうしてそんなことをする必要が? 私? ふふ、ですから、全く、何とも、思っていないのですよ。ですから、嫉妬するなんて、おかしいでしょう。
ええ、彼女のことは、正直、私もよくわからないのです。私と同じ1年生で、特待生というのは聞いていますわ。
あと……、上流の男子生徒と、よく一緒にいるというのも、ええ、存じています。彼も、その一人であって、決して彼女の唯一ではないことも。彼女、とても気が多いらしいのてす。
そこは複雑ですわ。関心がないとはいえ、一応、婚約者ですもの。彼にはぜひとも幸せに。
いいのです、お人好しと言われても。
そうですね、そのついでに婚約も取り消してしまわないと。
もしかしたら、私という婚約者がいるので、彼女も遠慮して彼を唯一選ぶことができないのかもしれませんものね。
そうよ、そうしましょう。
あら。
こちらにいらっしゃるみたいですね。
のんびりと笑みを浮かべたままの後輩の話を、貴斗は微妙な顔で聞いていた。
この子、ちょっと足りないのかな。
いや、生徒会の会計として優秀だと顧問の先生もクラスメイトも、彼女、蓮見玲を称賛していたから、能力はあるはずだ。現に、一緒に仕事をしていても、口調とは裏腹に手さばきは見事なものだった。
「ごきげんよう、巧さん」
勉強はできても、というタイプか。
貴斗は、どう見ても穏やかじゃない空気をまとってやってきた婚約者におっとり挨拶をする玲を見て、そう思った。
「名を呼ぶな、玲」
おまえもな。
貴斗が心の中で突っ込んでおいた。
この観学院高等学校には、ハイソサエティな人間が多く在籍している。ツッコミのスキルを持っている生徒は少ない。
その中でも、三宅貴斗は少々浮いていた。
これがちょっとおもしろそうな展開になってきたとワクワクするぐらいは浮いていた。
昼休み、中庭で思い思いに休んでいた生徒たちは、この不穏な空気を察して、何事もないとばかりに普通に動いている。出刃亀になろうという人、好奇心を持って遠巻きに眺める人は皆無だった。
この学院の生徒は、とてつもなく心優しくてお上品なのだ。
「玲。おまえとの婚約は破棄させてもらう」
「あら、まあ」
玲は目を見開いて、若干ふんぞりかえっている婚約者、神崎巧を見上げた。
「そうですか」
「……俺は、おまえのように節操なしではない」
今度は、玲の隣に1人分の空間をあけて座る貴斗をにらんできた。
いやいやいやいや。
再び心の中で盛大に突っ込む。
ところ構わず婚約者とは別の女の尻を追いかけているおまえが言うことか。
貴斗は、神崎巧の背後に隠れている女子生徒をちらりと一瞥する。
その女子生徒は、一言であらわすと、男子に好かれて女子に嫌われるタイプを地でいく容姿をしていた。くるくる巻かれた胸まである髪の毛をツインテールにして垂らしている。真っ黒ストレートなボブカットの玲とは間逆だ。それに、背も標準より若干低め。標準より若干高めの玲とは、これまた間逆。まるで狙ったかのように逆のタイプの女子生徒に引かれるのは、神崎自身に何かトラウマでもあるのだろうかと勘繰りたくなる。
「私、節操なしですか」
きょとんと尋ねる玲に、巧は少しいらついたようだった。
「三宅君と昼食をとっているじゃないか」
「え? だって、三宅先輩はお昼休みからずっと生徒会の仕事を手伝ってくれていたのですもの」
そう、貴斗は最近、生徒会の仕事を自主的に手伝うことにしていた。 生徒会顧問に頼まれたアンケートを届けに行った際、生徒会の現状を知ってしまったからだ。
神崎は生徒会長である。だが、このとおり、1人の女子生徒を四六時中追いかけているため、ろくに仕事をしない。それに、副会長も書記も、なぜか会長と一緒にこの女子生徒にはりついているのである。生徒会唯一の女子であった会計、玲が全ての仕事を片づけるしかない状況だった。それを、我関せずとスルーするほど、貴斗は冷たい人間ではない。
今日も、昼休みを返上する勢いで前期生徒アンケートの集計をしていたが、やはり昼食抜きはよくないと思い返して、この中庭に休憩に来たのだ。
「それに、巧さんも、そちらの方とご一緒だったのでしょう」
嫌味でもなく、純粋な事実としての言葉が、かえって神崎の神経を逆なでしたようだ。彼の顔が一気に赤みを増した。
「そんなの、関係ないだろう!」
これが逆切れというものだろうなあ。
貴斗はのんきに弁当の続きを食べ始めた。はらが減っている。時間もない。
「とにかく! おまえとの婚約は、破棄だ!」
「ええ、よろしいですよ」
「……えっ」
あまりにもあっさりと玲の許可が出て、逆に神崎から間抜けな声が出た。
「……い、いいのか」
「ええ。私は問題ありません」
むしろこちらから言い出す手間が省けましたわと、玲はにこやかに笑った。
なぜか愕然とする神崎の袖を、問題の女子生徒が引っ張る。
「よかったですね、神崎先輩」
「え? あ、ああ」
「これで、何にも縛られず恋愛ができますよ!」
「ああ、そう、だな」
神崎の瞳に精気が戻って気持ちも浮き上がってきた直後、
「神崎先輩に、よい人が見つかるといいですね!」
女子生徒の発言によって、地に落ちた。
ありがとうございます、三宅先輩。これでアンケートの集計が終わりました。
ほんとうに助かりました。私1人では、締め切りまでにやりきれなかったかもしれません。
え? ええ、生徒会長以下2人の方々は、まだ彼女について回っているようですわ。全く生徒会室には寄りつきませんの。
まあ、そんなお申し出……、ありがたいのですけれど、それでは三宅先輩の負担になるのではないでしょうか。
ありがとうございます。では、これからもしばらく、できるならば次期生徒会選挙まで、お手伝いよろしくお願いいたします。
ふふ、ほっといたしました。やはり私1人で生徒会を回すのは心もとないですから。
ええ、はい。あの後、正式に婚約は解消されましたわ。結納を交わしたわけではないので結納金の問題はありませんでしたし、損害賠償も請求いたしませんでした。
けれど、そうですね。こちらに正当な理由もなく、あちらが一方的に破棄なさったので、社会的には悪い印象を残したようですわ。神崎家もそうですけれども、それ以上に、巧さん個人の立ち位置があまりよろしくない状況になったかと。神崎家の会社は世襲制だったようで、長男である巧さんは後継者にふさわしくないという反対の声があちこちから上がっているようです。
あら、私、笑っていました?
悪いことをしたかしらとは思いますのよ。あのときは、巧さんから言い出さなければ、私から解消を願い出ていましたもの。
そうね、こちらからの破棄には理由がありますね。不貞という、理由が。
ふふふ。あら、おわかりになりましたか。こう見えても、私もばかではありませんの。ちゃんと不貞の証拠もそろえておりましたわ。運がよいのか悪いのか、使う機会を逸したのでシュレッダーにかけてしまいましたが。
あなたこそ、いい笑顔になっておられますわよ。
なかなか、いい出し物になったでしょうか。
ふふふ。
────────
貴斗は、妹を前に、ほらおもしろいだろうと自身に起こったことを話し終えた。
「だから、茜も、あの学校に入ったらいいと思うんだ。進学先は勧学院にしようよ」
「ノロケなの? それともノロケなの? つまりノロケなの?」
「勧誘だよ、勧誘」
しらけた目で、茜は兄の貴斗を見る。
「玲さんとのあれじゃん、きずなが強くなったというノロケじゃん」
「えー、そう聞こえちゃったの?」
「しかも、ちょっと玲さんの腹が黒く感じる」
「えっ。玲さん、超純真じゃん。むしろちょっとおばか?」
「貴兄が超絶気持ち悪い」
でれでれし始めた兄に、茜は冷やかな目を向けた。
その茜が、行きたい大学の進学率が高いという理由で勧学院高等学校に入学するのは、その少し後。
そして、そこで運命の変態と出会うのはさらに後のことである。
ありがとうございました。
時系列的には、この後に「恋する君は極めて上等」になります。