地獄行
夢を見た。
暗闇の奥から金色に輝く仏像が現れた。
聖観音菩薩の立像である。
観音様は宙に浮かび、近づいてくる。
視界から観音様の足が見えなくなるくらいにせまってきたとき、
突然、消えた。
かわりに白い三つの文字が飛び出してきた。
地 獄 行
「地獄行き」と読むのだろうか。
それとも「地獄へ行け」と叱りつけているのか。
どちらにせよ、観音様は怒っていらっしゃる。
無表情なお顔が強い感情を含んでいるように思えた。
勢いのある筆づかいにもそれがあらわれている。
無音、無言の夢だった。しかし、
仏像と文字が入れ変わる瞬間、感覚的には大音声を発したかのように驚かされた。
まるでドラマの主人公さながらに、目をさまし、はじかれたように体を起こした。
とても想像の産物とは思えない。
深層心理の反映などという学術的見解を持ちこむ気にはなれない。
神や仏と呼ばれる上位の存在が実在するのかしないのか知りはしないが、
それでも、大いなる存在が私を叱咤しているように思えてならない。
だからといって、どうすることもできない。
解決策は見つからず、進むべき道が見あたらない。
この世には暗黙のしきたりがあって、ほとんどの人は気にもせず従っている。
学業も仕事をするのも、みんなが歩いているから、私もついていく。
それが世の中、当然の流れだから。
ぶらぶらしていたら、まわりから白い目で見られる。
なにしろ、金がない。
金が欲しいなら、働かなければならない。
置いてきぼりになるのも怖い。
内発的なものではないのだ。
時間を巻きもどすことはできない。どんどん先に進む。
もう一度、スタートラインに着こうとしても、年齢は積みかさなっていく。
白紙にもどし、やり直す手段はないのだ。
私は道に迷っていた。
すべてを終わりにしたかった ……
けれども、夢は強い使命感を与えてくれた。
人はこの世で果たさなければならない、なにかがある。
この世界を変えなければならない。変わらなければいけないのだ。
しかし、どうすればよいか、まるでわからない。
観音様は教えてくれない。ただ一つ言えることは、
死ねば地獄に落ちる。
呆然とするだけだった。
(天文十一年)
いつもの時間に目をさまし、朝餉をすませ、庭に出た。
そこには一本の桜の木が植えられていて、大木とは言えないまでも十分に風格を身につけている。花は八分咲き。咲きほころび、風に散らす花もある。ひらひらと舞いながら、落ちるのかと思ったら舞い上がり、なかなか地面につかない不思議な花びらがあった。よく見ると、それは二匹のモンシロチョウだった。恋を語らっていたのだろうか。日差しが暖かい。
裏木戸を開ける音がした。板垣信方だ。
いやなやつが入ってきた。表からではなく、人も介さず、断りもなく入ってくるとは礼儀知らずも、はなはだしい。
「お屋形 …… 」
私は黙ってにらみつけた。一番、会いたくない人間だ。
昨年の秋から私は政務についたが、実態は板垣たちが決定し、私は追認している。拒否する権限はないに等しい。ひどいときには、私を素通りで事が進められる場合がある。重要性の低い案件はそれでいい。
だが、私には良心的に解釈できなかった。板垣に乗っ取られた感がなくもない。私は人形にすぎず、行儀よくすわっていなければならない。余計なことはしてはならないのだ。板垣の言動に、私や他の者たちを威圧しようとする心情が見え隠れする。無力さを痛感した。私がいてもいなくても変わらないではないか。怒りをおぼえた。憎しみもわいてきた。
けれども、彼を排除するわけにもいかない。彼なしに甲斐一国はまわらない。しかも、私には追い出す武力も能力もないのだ。黙っているしかなかった。
私は屋敷に引きこもるようになった。これはストライキであり、板垣へのつらあてでもある。好きにするがいい。板垣を含め、家臣が訪ねてきても、寝ていると追い返させた。
世間でもうわさになっていると聞いた。若侍や女房たちを相手に明け方まで遊びほうけ、昼夜さかさまの生活となっては仕えている者の迷惑かぎりなし、と陰口をたたかれ、武田のお家もこれまでか、と言われるしまつ。言いたいやつには言わせておけばいい。
しかし、このままでよいのか。国主の座についてから半年がすぎている。書物を読み、三条と碁を打ち、たまに外出するだけの生活。私の心を癒してくれるのは、昨年生まれたばかりの次郎と、五歳になる太郎。かわいい盛りだ。
とはいえ、この状態をつづけていても、現状を打破することはなく、進歩はない。停滞であり、堕落である。父と同じ隠居生活とは笑い話にもならない。
いったい、なんのために生きている。私はなぜ生まれてきたのだ。
板垣は話しかけてこない。突っ立ったままだ。
いつまでいるつもりだ。
「無礼者、誰の許しを得て入ってきた」
「こうでもしなければ、拝謁もかないませんので」
「おまえと話すことはない。話がないなら、さっさと出て行け」
彼は甲斐の国の求心力とはなりえない。その力を得たいというのなら、徹底的に武力を行使するしかない。歯向かう相手はねじ伏せ、人々を服従させる。父がしてきたようにだ。彼が国主を望むなら、私はこの世にはいない。
文芸、教養、作法など、熱心に学んでいると聞いていた。歌会も催したそうだ。主人気取りをしたところで、こいつに歌がわかるのかと鼻で笑ってやりたいところだが、努力は認めてあげよう。人の上に立ち、国を治めるためには武力だけではだめだ、と気づいただけでもほめてやる。だが、おまえの飾り物になるのは、まっぴら、ごめんだ。できることなら首をはね飛ばしてやりたいくらいだ。
それとも、もしかして、私を殺めにここへ参ったか。
疑いが頭によぎると、ぎょっとした。思わず足をひいた。
「早いもので、桜の美しい季節になりましたな」
心にもないことを言うやつ。ますます、あやしい。
不安が高まる。人を呼ぶべきか。
ところが、次に発した言葉には耳を疑った。ぼそぼそと小さな声だった。
「願わくは、花の下にて春死なん、その如月の、望月のころ …… 」
「今、なんて言った」
板垣は桜を見つめたまま、答えようとしない。
顔がまっ赤だ。耳までまっ赤になっている。酔っぱらったみたいだ。
無骨者の板垣が和歌を口ずさむとは、開いた口がふさがらない。私の緊張もとけてしまった。
さきほどの歌は、西行法師がつくられた歌だ。源平争乱の時代に生き、世を捨て、数多くの歌を残された。彼は桜咲く二月十六日に亡くなったという。現代の太陽暦に置き換えると、三月下旬に相当する。死期を悟っていたのかと、西行が亡くなると、この歌が当時の人々の間で話題になったそうだ。「私」の生きた時代からさらに三百五十年も昔の話だ。彼はその目で見てきた。平家の奢りと凋落、源氏の台頭という無常の世の中。とどまることを許さない。人に欲望があるかぎり、人間は人間でありつづける。
そして、鎌倉幕府も北条家の支配となり、頽廃しては倒されて、皇室に政権がもどってみても立ちゆかず、足利殿で落着したかに見えても、応仁の乱を皮切りに日本国中、鬼があふれだす。人殺しにとりつかれた鬼どもが。この世は地獄の一丁目、地獄の仮の姿か、いや、地獄そのものではないか。正気と思っていても、実は金の亡者、権力の亡者になっていることに気がつかない。狂っていることに気づいていない。狂人たちのはびこる世の中に未来はあるのか。
ヒバリの鳴く声に我に返ると、板垣は空を見上げて突っ立っている。かわいそうな気がしてきた。
私もまた、立ちつくしていても意味がない。
「明日から政務にもどる。それでよいか。よければ、もう帰れ」
「はっ、お粗末様でござりました」
吹き出しそうになり、あわてて口を隠した。話し方から動き方までぎこちない。こんな板垣を見たのは初めてだ。
木戸のきしむ音が聞こえた。まるでキツネに化かされたみたいだ。いや、タヌキかな。キツネでは小利口にすぎる。
板垣の様子を思いだすと、自然と笑みがこぼれてしまう。
そうだ、三条にも教えてやろう。きっと、笑いころげるに違いない。
廊下に飛び上がり、急いで三条の部屋に行こうとしたそのとき、ヒバリの喜びの歌、狂ったように鳴く声が耳に入り、立ち止まって耳をすました。青い空を見上げ、春のぬくもりを感じながら、極楽もまた、そう遠くにはないと思いたい。すこしだけ幸せな気持ちになれた。
けれども、翌日は一転して雲が多く、肌寒い一日になり、気分はすぐれなかった。
空を飛ぶ勇気がなかった。それだけのこと。
疑問を感じながらも、もとの世界に帰っていった。
私にはほかに帰る場所がない。
結局、なにも変わらず、一つも変えられなかった。
変わったのは自分だけ。
現実をあるがままに受け入れるようになった自分だけだった。
私は忘れない。地獄行と宣告された、あの夢を。