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唯我独尊

(天文八年)



 天文八年の冬は異常なほどに暖かく、いくさをするには好都合だった。

 以下、頼重殿と親睦を深めた年の前年の話である。


 その十一月の下旬、父を総大将としたわが軍勢は、万全の体制を整え、信州佐久郡に侵攻した。この出陣には、部将のみならず兵卒に至るまで、気合の入り方が違っていた。声の大きさでもそれが伝わってきた。

 しかしながら、信濃の入り口とも言える海ノ口の山城にたてこもる城兵は頑強に抵抗し、出鼻をくじかれてしまった。しかも、平賀ひらが源心(げんしん)という大剛の武者が加勢をひきつれ、士気を鼓舞しているという。甲州勢を佐久へ入れてなるものか、と吠えているに違いない。

 北へと進軍するわが陣営には、十九歳の私とともに十五歳になる弟の信繁も加わっていた。信繁にとってはこのいくさが初陣である。そわそわして緊張した様子は、まるで昔の自分を見るようでほほえましい。

 そういう自分はというと、十回ほど、戦場に赴いた経験はあるのだけれど、内実は父の後ろにつき従ったにすぎず、駆け出しとなにもかわりはしない。華々しい戦績など、かけらもなかった。とはいえ、弟の存在にうかうかしてはいられないと気をもませ、すこしはいいところを見せたいと欲も出てくる。心に期するところがあった。


 私の初陣について軽くふれておく。時は二年前にさかのぼり、相手は相模の北条勢であった。発端は武田と今川が姻戚関係をむすんだことによるもので、今川との同盟を踏みにじられた北条は激怒し、甲斐と駿河にたびたび軍勢を送りこみ、国境の村々を荒しまわった。その対応に追われたのだ。

 もっとも昨今では、北条は氏綱(うじつな)殿が老齢のためか病にふせっているようで、今のところは目立った動きがない。諏訪の大御所、碧雲斎殿も長くはなさそうだ。東の北条、西の諏方、南の今川の強国に、甲斐の国は振りまわされてきた。静まった今こそ、目指すは北。東信濃というわけだ。

 ところで、十七での初陣というのは、すこし遅い部類に入る。たいていは十代なかばまでには経験するものだ。守役(もりやく)の板垣信方は後見役の立場上、再三言上してはみても、父はまだ早いと言うばかりだった。とても物の役には立たぬと言われ、父からすれば私はあまりに軟弱者なのだ。私も合戦に加わりたいとは言わない。むしろ行きたくない。殺しあいは好きにはなれない。まして自分で人を殺すなんて。刀を持つより、書物を手にしているほうがいい。そんな私を腑抜けと父は笑う。


 今回のいくさは領土を守るためではなく、新たな領地を得るための出陣で、晴れの舞台とも言える。弟の初陣にふさわしい。

 しかしながら、戦況はというと、かんばしくない。

 一月かけても一向に落ちる気配はない。相手も必死だ。いくさでは、生きるか死ぬかの極限状態に追い込まれる。敗れれば領地もなにもかも失うし、命も失う。勝っても傷だらけだ。もっとも、当主たる父は命令するだけで、自分の命や体をはって戦場にのぞんでいるわけではない。私もそうだ。

 敵城近くには放置された死体がころがっている。陣内をめぐれば、けが人が運びこまれ、血にまみれ、うめき、泣き叫んでいる。見るに聞くに堪えがたい。なぜ人は争うのか。

 父は業を煮やして無理攻めを幾度となく繰り返すが、歯が立たない。

 父上、ざまはないではありませんか。私は冷やかに戦況を見つめ、父を見た。



 もはや年の暮れも近い。例年にない暖かな冬も、最後に出番をとりもどそうというのか、急激に寒くなってきた。雪が散らついたかと思えば、恐ろしい速さでつもりはじめた。風も強くなり、三日間も雪と風で荒れ、いくさなどできる状況ではなく、滞陣を余儀なくされた。

 小康状態になった朝の軍議で、撤退を言いだす者がいた。集まった重臣の誰もが同じ意見のようで、一同の目がうなずいている。目ぼしい成果もなく、大雪に見舞われては、厭戦気分が蔓延してもいたしかたないところだ。父も反対せず、春に出直そうとトーンは下がっている。つづいて撤収の段取りについて話がはじまった。


「父上、最後に一戦、しかけてみてはいかがですか」


 唐突に、私は戦闘を主張した。これまで軍議に出てはいても、ただ聞いているだけで、一言も発しなかったのだから、驚きの目が向けられた。


「おいおい、いくさを知らぬおまえがなにを言う。これまで、どれほど苦しんだか見ていたろうが。そのうえ、この雪だ。城攻めどころか、へたをすればこちらがやられるわ」

「苦しいのはあきらかです。雪は相手方にとっては吉兆。喜んでおりましょう。兵をひくのも当然と思うでしょう。そこに油断があり、奇襲も生きてくるのではありませんか」

「奇襲だと」

「撤退すると見せかけて、一部隊を海ノ口にさしむけるのです。年もおしせまり、城内では帰りたがっている者も多いのではありますまいか。むこうも兵を解けば、城は落とせると思います。かなうなら、私もその部隊にお加え願いとうございます」


 父は黙った。私の策に一理あると思ってくれたのか。板垣が話に割ってきた。


「それは妙案。お役目、それがしにいただきたく、是非にも若殿に手柄をあげさせてご覧にいれましょうぞ」


 父は口を閉ざしたままだ。目を家臣らに向けると、反論しようという者はなく、むしろこの作戦に期待してくれているのがわかる。大将として指揮をとったことはないけれど、不思議と初めてのようには思えない。軍記物や兵法書を読みあさっていたから、頭のなかで思い描いていた合戦絵巻が、目の前で広がっていくかのようだった。


三八(さんぱち)を呼べ」


 沈黙を破る、父の突然の大声は、はっとさせられ、すこしがっかりした。

 多田ただ淡路守あわじのかみ三八郎(さんぱちろう)は奇襲、夜襲のエキスパートだ。今後も彼はこの手の作戦の第一人者として武田家家中に名の知られた存在となり、多くの武功をあげた。しかし、それに見合う兵は与えなかった。というのも、奇襲は少数精鋭で行うものなので、大部隊を与えても彼には使いこなせないからだ。

 多田が呼ばれた段階で、なりゆきが見えてしまった。家臣らも同様であろう。

 彼が軍議の場に参じると、父は奇襲攻撃の命をくだし、手はずについて話しはじめ、まわりに意見を求めた。

 私は完全に蚊帳の外になってしまった。いくさを知らぬ若造の出る幕ではない。口を膨らませながら、横で聞いていた。

 話も出そろったころを見はからい、私は多田に注意を与えた。


「淡路、無理はするな。ぬかりがないと見たら、すぐもどるように」

「はっ、承知」


 となりで父はさげすむように私を見ている。そんなことくらい、三八はわかっているわ、と言わんばかりに。

 私は自分の発案した作戦で人を死なせたくない。


「父上、私にしんがりをお命じください」

「なんだと。笑わせるわ。しんがりの役目をわかっているのか。敵の追撃を受けとめ、本隊を無事に退却させる、大事な役目だ。そのためには、しんがりを務める者どもは全滅することだってある。わかっているのか。情けないやつだな。それとも、この降りつもった雪をおしのけてまで追ってこないとあてこんでのことか。なおさらあきれたやつだ。さっきも話していたろうが。この寒さ、雪を蹴散らしてまで追いかけてくることはなかろう」

「そのように決めつけては、敵の計略にはまります」

「なにを偉そうな口をきく」


 私はあきらめる気は微塵もなく、父を見つめた。それが私の意思表示である。


「しかたのないやつだ。板垣、おまえに任せる。晴信をつれていけ」


 突きはなすように父は言った。

 私は頬がゆるむのを悟られないように軍議の場をはずした。



 雪はやんだが、いつまた降りだしてもおかしくはない。仮住まいの本陣の外は白銀の世界だ。八ヶ岳は天上へとつづく巨大な白亜の城門のごとくそびえているだろう。しかし、空に灰を流しこんだような雲が覆い隠してしまい、山裾だけがその大きさを偲ばせる。

 撤退という通達に、兵たちは喜んでいる。

 敵方の兵も喜ぶに相違あるまい。

 多田の部隊はすでに先発しており、国境の峠までもどり、夜の作戦に備えて休ませる手はずだ。気のきいた食事と酒が用意されている。彼らには大役が待っているのだから。

 撤退の準備であわただしくなり、そして順次帰路につきはじめ、最後尾になると、さすがに身体さえもこわばるくらいに緊張した。刃をかまえることも覚悟していたのだが、敵方に動きは見られず、ひとまず安堵した。しかし、不安は消えても油断は禁物だ。


 しんがりの役目を申し出たとき、一つの考えを隠し持っていた。

 夕刻、それを板垣に伝えると、あからさまにいやな顔を見せた。お屋形様の同意を得るべきとたしなめられたが、無理をとおした。談判する時間はないし、父に話したくはなく、これも計算のうちだ。

 多田の部隊とすれ違うこともなく、すでに向かったのか、まだこれからなのか、まったくわからない。おそらく、本隊にも気づかれぬように別の道をぬけたものと思われる。

 私たちも進路を反転させた。

 日中なら海ノ口城が見えるはずの場所へ、おそるおそるたどり着き、時を待つ。その時間は恐ろしく長く、寒かった。雪を踏みしめてきた足は冷たい。皆には酒を飲ませた。体をあたためるためだ。下戸でも無理やり飲ませた。



 有明の月を残したまま、東の空が白みだしたとき、海ノ口城に火の手があがった。

 私たちも前進し、自分たちの仕事をはじめた。持ってきた、ありったけの薪に火をつけ、大声で叫び、金物や太鼓を打ち鳴らした。いかにも全軍が舞いもどり、攻め寄せてきたと思わせるために。

 戦いはあっけなく終わった。

 一ヶ月かけても落ちなかった城が、一夜にして落ちた。いや、半時も必要ない。いくさとは、そのようなものなのかもしれない。

 私たちも城下へ兵を寄せた。飯富、上原、横田の各隊も合戦のはじまるまでには街道沿いに待機していたが、出る幕はなかった。

 多田は事の顛末を知り、驚いていた。


「お屋形様が加勢に参られたと思いましたぞ。いやあ、これはしてやられました。城兵もおののいたでしょうが、我らも勇気百倍、行け、行け、それ行け、といったありさまでしたからな。若殿に勝ちをもらったようなものでござる。しかも、この奇襲を考えられたのは、殿だそうではありませんか。手柄を横取りしたようで申し訳なく …… 」

「よい、よい、誰の手により勝とうが武田の勝ちにはかわりない。多田らの働きがあったからこその勝利ではないか。私は応援しただけのこと。第一の功はおまえたちだ」


 多田は面目なさそうにかしこまっていた。板垣は検分にせわしない。

 私にあるのは、自分の考えを実践したいという願望だけだ。どれだけのことができるのか、試してみたいだけなのだ。そして、空想の産物が実現していく、その喜びを感じている。


「これをご覧くだされ」


 多田が示したところに太刀が置いてあった。刃渡りは四尺三寸あるという。約一三〇センチになる。持ち上げようとしたが、ずっしりと重い。こんな得物を平賀源心という男は振りまわすのか。


「源心のやつ、へべれけに酔っぱらっていて、たやすく討ちとることができましたし、城兵もあらかた帰っていて、残っていたのは雑兵ばかり、百人もいないありさま。殿の策がまんまとはまりましたぞ」


 多田は喜んでいる。そして、私をおだてあげようとする。

 しかし、後味は悪い。敵とはいえ、七十人力とまで言われた平賀ほどの人物を死なせてしまうのは、やりきれないものがある。だからといって、味方に引き入れるのはむずかしい。優れた人材であっても殺さなければならない。悲しい時代だ。

 酒もこわい。酒に飲まれてはならない。

 朝日はすでに高く、青空も垣間見える。八ヶ岳は白く輝き、我々を祝福してくれる。春はもうすぐやってくる。八ヶ岳を覆う雪もしだいに消えて、雪を押しのけるように草木は芽を出し、花を咲かすであろう。花は咲きつつある。


 さてさて、父からは大目玉を食らった。大目玉ではすまされない。軍律違反だ。親子という関係に甘えて、独断行動をとったのは弁解のしようがない。

 その昔、源九郎判官義経が頭領たる兄頼朝の了解も得ずに官位を受領するなど、勝手なふるまいに対して、頼朝の逆鱗にふれ、討伐された史実もある。父のことだ、勘気をこうむれば命はない。慎もう。頭を下げながらも心のなかでは舌を出していた。

 この先しばらく、いくさにつれていかれることはなかった。



 明けて天文九年の元旦、年賀の席が設けられ、家臣が一堂に会した。そこに私もいた。弟の信繁もいる。父は家臣をねぎらい、今年は佐久を攻めとり、一気に領土を広げるといきまいた。挨拶もそこそこに酒宴に移り、私も杯に口をつけた。

 板垣は次回の先陣には自分をと願い出て、父はそうだなとうなずいている。上機嫌だ。板垣のにやけた顔がいやらしい。うさんくさい会話だ。


 平賀源心を倒したからは、佐久攻略の第一段階は越えた。残る敵も大物はいない。

 問題は上杉だ。上杉は黙ってはいまい。古来より佐久は上杉との関係が深い。今回の海ノ口城攻めは上杉に対する手切れに近い。長い間、父は上杉と同盟関係を維持してきたが、武蔵扇谷(むさしおうぎがやつ)上野山内(こうずけやまのうち)の両上杉氏は相模北条氏におされて分が悪い。弱きをくじくは世の習い。諏方と手を組み、方針を改めたのはこのためだ。上杉に余裕はないが、さりとて武田の所業を見すごすこともできないだろう。いつかは合戦になると覚悟しておいたほうがいい。

 ちなみに、上杉とは上杉謙信のことではない。彼は越後守護代、長尾ながお為景(ためかげ)の末子として生まれ、このころは虎千代という幼名を名のる少年であった。のちに山内上杉憲政(のりまさ)の養子となり、関東管領(かんれい)職をゆずられ、私の最大のライバルとなるが、それはまだ先のことである。


 ところで、海ノ口城攻めについては、誰もほめてくれない。一言もふれない。信繁だけが作戦の妙を賞して酒をついでくれたが、やはり、認めてほしいという気持ちは強い。


「おい、晴信」


 なんだよ、おいって。私は父を見た。いや、にらんだ。


「おまえは酒が嫌いだったな」


 会話する気もなく、「えぇ」とだけ答えた。

 私は酒を好まない。酔いつぶれた者の姿はよく見かけるが、まず美しくない。ああはなりたくないものだ。酒は知的な飲み物とは言いがたい。精神の働きがにぶる。むずかしいことは考えたくない。いやなことを忘れるにはいいかもしれないが、ほどほどにたしなむにかぎる。

 だんだん騒がしくなってきた。この騒々しさも好きにはなれない。

 とはいえ、酒でも飲まねば生きていく気もしないだろう。正月くらいは飲んだくれになるがいい。武人はいつまで命があるか知れたものではないのだから。人生なんて、楽しいことがなければやっていけない。苦しいだけなら生きている意味がない。

 しかし、苦しみは魂の糧になる。それを知るには年月がいる。このときの私はまだまだひよっ子だった。



「信繁、酒をとらす」と父が言うと、弟は前へ進み、杯を受け、飲み干した。


 家臣たちは静まり、その一挙一動に注目した。


「おまえも酒をおぼえたほうがいいぞ。すこしずつでいいからな」


 信繁は元気よく答えた。父は目を細め、うれし顔だ。私に対するときとは、ずいぶんな差ではないか。信繁は十六になったが、この時代はそのくらいになれば、男も女もすでに大人の扱いだ。

 酒をつぐ、つがないは、私にとってどうでもいいことだし、父も、信繁も、深い意味なんて考えていないはず。しかし、家臣たちにとっては、後継者問題を象徴しているように受けとる者もいたことだろう。屋形様は信繁様を跡継ぎにされるのではないかと。

 家督を継ぐのがあたりまえのごとく、私は育てられてきた。父に反発したのは、それが理由の一つかもしれない。国主になりたいとは思わない。人殺しの大親分なんて、まっぴらだ。それならば、私はどうしたらいいのか。進むべき道がまるで見えなかった。


 八ヶ岳は天を指さしていた。私は地べたをはいつくばる虫けらだ。空を飛びたい、天に昇りたい。けれども、意志に反して地の底へと引きずりこまれていく。私たちは石の下に潜む虫と同じ。巨人がこの館の屋根を持ちあげたなら、隠れる場所を求めて右往左往するに違いない。人間はとてつもなくちっぽけな存在だ。そのことに気づく者はいない。

 笑い声がこだまする。


 そうして、この年、鬼鹿毛は死に、禰々は嫁いだ。時間さえも私からすりぬけていく。漫然と日々をすごし、季節はめぐる。私は一人、置き去りにされたまま。



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