鬼鹿毛
(天文九年)
「兄上 ― 」
私を呼んでいるらしい。手を振っている。
妹の禰々だ。この年、十三歳だったろうか。
私の名は武田晴信、二十歳になる。
「おおっ、禰々か。どうした」
馬を寄せて飛びおり、禰々をまじまじと見つめた。
遠駈けしてきたばかりで上半身は熱く、額の汗をぬぐいながら話を待った。
梅雨の晴れ間を幸いに出かけたのはよかったものの、蒸気が立ちのぼるようで、じっとりとして気持ちが悪い。馬上では風を受け、それほどでもなかったが、地面に足をつけるとしばらくの間、汗が止まらなくなった。
禰々はもったいぶって黙っている。でも、悪い話ではなさそうだ。
「この馬、鬼鹿毛でしょう? 父上に叱られますよ」
「知れたこと」
「でも、度がすぎるとただごとでは …… 」
「気にはしない」
そうなのだ。私と父とは折りあいが悪い。
それがあからさまになったのも、もとはと言えば、鬼鹿毛だった。十五のとき、父に鬼鹿毛をねだったが、拒絶された。
鬼鹿毛は父のお気に入りの馬だ。
毛色は茶褐色、たてがみと尾は黒。これを鹿毛という。
体は大きい。といっても、西洋のサラブレッドにくらべれば小さいけれど、当時の馬はポニーの大きさに近く、そのなかでは飛びぬけて大きな馬だった。肩までの高さは百五十センチくらいはあったろうか。
しかも、気性が荒く、かまれたり、振り落とされたりはしばしばだった。
そのようなことから、鬼鹿毛という名がつけられたようだ。
目はぎらぎらと、眉間にしわでも刻みそうなくらいにはりつめていた。
近づくにも勇気がいる。闘志をむき出しにした、その顔に惹かれた。
馬丁に頼んでは、たびたび世話を手伝わせてもらい、ほとんど毎日のようにのぞいている。
「叱られますから、おやめください」と言われても、「気にするな。好きでやっていることだから。私が笑われればいいのだ」と受け流した。
鬼鹿毛の体を拭いてあげるのが好きだった。
気持ちよさそうに見えるのがうれしい。素振りから拭いてほしいと思っていそうなところもわかる。自分から体を動かしたり、気持ちがいいのか、あくびをしたり。馬の心を推し量りながら接していると、馬も心を寄せてくれるようになる。
鬼鹿毛は強情な馬だ。
おそらくは、手なずけようと折檻されては反発する、そんな悪循環に陥ったのかもしれない。人を信じない馬だった。
「若様のおかげで、ずいぶんとおとなしうなり、助かっておりますで」と馬丁の皆から感謝されることよりも、鬼鹿毛がかわいくて、しかたがなかった。
「兄上、兄上ったら、聞いてます?」
なに?
禰々に目を向けると、このご令嬢、ご立腹のご様子。
「すぐ上の空になるんだから。もう。そんなことだから、みなから軽く見られるんです」
いやはや、説教がはじまりそうな気配だ。
「ごめん、ごめん。なんだっけ?」
「なんだっけじゃないでしょう。供もつれずに一人で遠駈けして、なにかあったらどうします」
「別にどうもしない。むしろ父もお望みであろう。たしかに、刺客がいても不思議ではない。そんな気がしてきた。おまえの言うとおりかもしれないな。ははは」
「滅相もない」
禰々のつり上がった眉がすこし沈んだ。
私は笑いを残しながら、鬼鹿毛へ向きなおり、よしよしと声をかけ、顔やあごをなでてあげた。馬具をはずし、泥をはね飛ばして汚れた足と腹を洗い、汗を拭いてやる。小屋へつれていき、水を与えた。
馬糞のにおいが鼻につくが、ここは安らぐ。
馬は無邪気でいい。くわえて、話をしない。静かでいい。
「兄上が近くにいると、鬼鹿毛はほんとにやさしい顔になる。だって、目がぜんぜん違うもの。きらきらしてる。ねっ」
禰々は私を見ると、にこっと笑った。
そう言ってくれると悪い気はしない。いや、うれしいのだ。
私にとって、鬼鹿毛はまさしく愛馬だった。
思いだす。忘れはしない五年前、私は父に執拗にねだり、激しくののしられた。
「あの馬はだめだ。おまえはまだ若い。似合わん。そんなことより、年が明ければ、おまえも十六であろう。元服したあかつきには、先祖伝来の品をそちへゆずろう。義弘の太刀と左文字の刀、脇差し。ともに名の知れた刀鍛冶の作だ。それと、ゆくゆくは新羅三郎義光公伝来の御旗と楯無がある。どうだ、すごいだろ」
ていよく断られた。
先祖伝来とは言うが、古びた代物や、たんすの奥にでもしまっておくような貴重品のたぐいなんて、結局、実用にならない。私には興味がなかった。
戦国の世に生まれた男子にとって、馬はスポーツカーのようなものだ。名馬は憧れのまと。乗りこなしたい。風を切りたい。突っ走りたい。そして、自分の手元に置いておきたい。
いにしえの源平の合戦のおり、そう、宇治川の合戦で先陣争いを演じた二人の頼朝方の武将の乗る馬が、生食と磨墨という名の馬だった。名馬に跨がる英雄たちが歴史を彩る。私もそんな一人になりたい。あやかりたい。
恐れを知らない私は、いつの日か鬼鹿毛で駈けまわり、戦場を見下ろす自分の姿を思い描いていた。
あきらめることなど、できるものか。
父のそらぞらしい態度には知らぬふりして、くいさがった。
「楯無も、御旗も、刀も、家督相続の時が参りましたら、いただくべきですが、まだまだ半人前の身の上です。まして、ご先祖の方々を思うと恐れ多くてなりません。それよりもなによりも、馬を自分の手足のごとく、操れるようになりたいのです。うまくなるにはたくさん乗って慣れることが大切です。私もひとかどの武将になりたいと思います。そのためには武芸の鍛練は欠かせません。馬もそのうちの一つです。一流と言える馬に乗って上達したいのです。だから …… 」
父の目を見た。怒りがあふれ出ようとしていた。口を閉ざすと着火点に達した。
「だまれ。家督をゆずる、ゆずらんもわしの胸一つだ。誰の指図を受けようか。おのれ、代々、伝わる名物をゆずろうというのに、いやだと言うのか。ならば、次郎を総領とするぞ。いいか、この馬鹿者が。さがれ」
次郎とは私の弟、信繁のことである。
これ以上、なにを言っても無理だ。いったんは引きさがったが、あきらめたりはしない。
後日、使者を立てて説得に行かせた。しかし、火に油をそそぐようなものだった。
下知に従わぬなら追放すると。諸国を流浪し、あげく泣きついてきても許しはしないと。三尺三寸ある備前兼光の刀を振りまわし、使いの者は命からがら逃げてきた。
今までにも父の不興を買って、手打ちにされた者は数知れない。まともに話す相手ではない。
その後、春巴と申す曹洞宗の僧が父をなだめ、仲をとりもってくれたので大事には至らなかったが、わだかまりは消えなかった。
すくなくとも私は父を避けるようになった。
それからというもの、父の目を盗んでは鬼鹿毛の小屋へと出向いた。世話をしているうちに気心もかよいだした。緊張してにらみつける顔から、静かなやさしい顔に変わった。父の留守を見はからって、短い時間だけ騎乗したりもした。鬼鹿毛は私を思いやってくれている気がする。親友みたいなものだ。
父も薄々、感づいていたと思うが、この一点について目くじらを立てることはなかった。いい意味ではない。すべての面で私と父は反発しあっていた。
今では公然と言っていいくらいに鬼鹿毛に乗っている。もちろん、父に気兼ねしながらは変わらない。というのも、近頃の父のご執心は、韋駄天栗毛という名の新しい馬なのだ。鬼鹿毛にはほとんど乗らなくなった。
韋駄天栗毛は性格が素直で、従順。扱いやすいうえに、その突っ走る脚力は他の馬を抜きんでている。
鬼鹿毛もついていけない。一つにはこの暴れん坊も年をとったということだ。それが性格を丸くしているのかもしれない。しかし、老いたりといえども、並みの馬より優れている。しかも、私になついている。それが一番。
「私だけだとにらんできて、怖いけど。以前ほどじゃないし。やっぱり兄上が好きなのね、鬼鹿毛は。ねっ、私も鬼鹿毛に乗ってみたいけど、兄上がそばにいてくれたら、暴れないよね。ねぇ。また、話を聞いてないんだから」
「聞いてる、聞いてる、大丈夫だと思うよ。なっ」
鬼鹿毛にたずねてみても答えてはくれないが、私は信頼している。禰々は私を疑っている。まったくもう、という顔でにらんでいるから、まいったな。
ところで、引き馬で歩く程度なら造作はない。ちらと母上のことが頭によぎった。
「じつはね …… 」、禰々は照れながら話しはじめた。
「あのね。父上から嫁ぎ先の話があったんです」
恥ずかしそうに下を向き、声も小さくなった。
「ほぉ、相手は誰?」
「諏方さまです」
「諏方頼重殿か。それはよい。いい話だ。諏訪上社の大祝。由緒ある家柄。しかも美男というじゃないか。めでたい、めでたい。いや待て。たしか、諏方殿は妻を娶っていたはず。子もいると聞いたが」
「正室としてです」ときまりわるそうに答えた。「その御方は里に返されるそうで申し訳ないです」
「そうか。でも、これで諏方と武田の関係は磐石になる。おまえはその橋渡しだ。大切な役目じゃないか」
「はい、」と小さくうなずいた。
諏方家は昨年、碧雲斎頼満殿が亡くなり、孫の頼重殿が跡を継いだばかりだ。これまで領地を争いあっていた仲だが、代がわりとなってからは和を請うてきた。渡りに船で、四囲を敵にまわしている身の上としてはありがたい。
もっとも、頼満殿とは一度は境界線を定めたにもかかわらず、わが父が時をおかず、約束を破っている。今回は若年の頼重殿なら組みやすい、言いなりになりやすいと踏んでいるのだろう。
「ところで、兄上」
「なんだ」
「この縁談、兄上の謀というもっぱらのうわさ。誠ですか」
「そんなはず、あるわけないじゃないか。いったい、誰がそんなことを」
「侍女から聞きました。駒井が父上に意見申し上げていたそうで、これはきっと、兄上が後ろで糸を引いているのではないかって」
「ない、ない。そんなことはない。同盟関係を確実にするには、縁をむすぶのが最良の策だ。誰でもわかっていること。父上とて、当然のことを考えたまでであろう」
「ほんとかしら」
こんなうわさ話が広まってはまずい。偏屈親父の機嫌を損ねては破談になるかもしれない。目立つ振舞いは禁物だ。
「兄上は正直者だから」
顔色を確かめるつもりか、意味深な言葉を投げてきた。笑っている。うるさいやつだ。
鬼鹿毛はブルルッ、と鼻を鳴らした。
「でもね。できれば、兄上みたいな人がよかった」
「 …… 」
「う、そ、で、す、本気にした?」
かなわんな、こいつには。しかし、幸せいっぱいの禰々だった。
ところへ、走り寄る足音に気がつくと、懇意にしている馬丁が息を切らし、父がこちらに来ていると教えてくれた。
言うまでもなく、父に会いたくはないし、鬼鹿毛と一緒にいるのも気まずい。逃げるが勝ちだ。
別れぎわ、禰々は鬼鹿毛に乗る約束を忘れないでと念を押した。
返事をしたものの、一人、歩きながら考えた。嫁ぎ先が決まった以上、けがをしては一大事だ。鬼鹿毛に乗るなんて、母上はお許しにはならないだろう。やむをえまい。あきらめてもらおう。
父は凱旋将軍だ。信州佐久郡に侵攻し、昨日帰ってきたばかりで、戦果は上々だった。
なにしろ、一日に三十六の城を落としたと、うわさが立っているから恐れいる。城といっても砦のようなものばかりで、戦いもせず、敵兵は逃げ散ったのだろう。板垣駿河守信方を大将として送りこみ、その先鋒隊がほとんど片づけてしまい、父は左うちわ。
甲斐一国の平定と、近隣諸国とのせめぎあいに明け暮れた父にとって、昨年からはじまった遠征である。それがこの結果となれば、意気も揚々、それは、それは、おめでたいありさまである。
屋敷へもどり、書でも読もうかと『三略』を手にしてはみたものの、気がのらず、なにをするでもない、ぼけっとしていた。
雨に洗われて、きらめいていた山の木々や、青々とした稲田を思い起こした。
そろそろ梅雨も明ける。今年は日照りにならないでほしいものだ。水害も御免こうむりたい。国を豊かにする最低条件として、食糧の安定供給は欠かせない。誰よりも苦労しているのは百姓をはじめ、下々の者だ。手をかけて育ててきた稲が不作となれば、まじめに働くのもいやになろう。年貢を納められず、逃げ出す者もあろう。死にゆく者もあるだろう。
実際、荒れた田畑も目立つ。盗人にでもなったほうが、よほど実入りはいい。他人の生産物を奪いとる。楽な商売だ。気楽でもないだろうが。
その盗賊の最たるものは、我ら武士ではないか。
他人の領地、他国の領土を奪い、食い物やら人間やら掠めとる。百姓は年貢を巻きあげられ、いくさになれば兵として前線に出させられる。たまったものではなかろう。武士の存在意義はなにか。世の中の邪魔者にすぎないのか。なくなるべきなのか。
天文九年のこの年、はやり病で多くの者が死んでいる。
神に願う、仏にすがる、その行為にいかなる意味があるのか疑問を抱くようになったのも、このころのことだったと思う。神様はあてにはならないし、なんとかならないものか。
禰々に言わせるといつものことだが、考えごとをしていることが多い。いろいろな思いが頭に浮かんでは消えて、浮かんでくる。
話は変わるが、「諏方」は誤字ではない。
「諏訪」を使いだしたのは後世のことで、子細は知らないが、徳川が幕藩体制を築いた初期のころ、家康に従った頼忠という人物が諏訪を名のったそうだ。頼重殿のいとこにあたる。彼は長男を藩主として「諏訪」姓を、弟を大祝として「諏方」姓を名のらせ、祭政分離を行ったという。さらに天保五年、高島藩は地名を諏訪に統一した。
それまでは古くは日本書紀で「須波」、古事記で「洲羽」、その他いろいろと字をあてられてきた。
ともかく当時は「諏方」を使用していたので、人名にはこちらを用いることにする。
しばらくすると、小姓が急ぎ足でやってきた。嫌な予感がした。話を聞くと、私は一目散に馬場へ走った。
そこには数人の下男が集まり、倒れた馬を荷車に積もうとしていた。
信じられない。鬼鹿毛だった。
首の根元をざっくり切られている。血は半分固まっていた。まだ、あたたかい。
さきほどの馬丁はたずねるまでもなく話しだした。久しぶりに鬼鹿毛に乗ろうとしたらしい。しかし、前足を高々と上げ、父上を振り落としたという。激昂した父が鬼鹿毛を切ったそうだ。
父上と、鬼鹿毛と、ともに荒ぶる顔が目に浮かぶ。憎しみの目を。
「墓をつくりたい。手伝ってくれないか」
私の頼みごとに、下男たちには意外だったようだ。馬の死体なんて、空き地に放置するのが通例だからだ。
また、墓作りに加わることが父の心証を悪くするのではと、不安を感じているようにも思えた。
「おまえたちは私の命に従ったまでのこと」と説得し、気乗りはしていないようだが、適当な場所を選び、穴を掘ってもらった。
近くに楠の大木が生えている。昼下がりにはその木陰で休むがいい。息することをやめた親友に心で語りかけた。
あらかた掘り終わると、その穴へ鬼鹿毛を落とした。土がかけられた。
やるせない、このどうしようもない気持ちをどうすることもできず、叫ぶことができるなら叫んでみればいいのだけれど、人目を気にする自分がいる。
鬼鹿毛の顔に土がかかると、これ以上見ていたくはなかった。
曇り空を透かした太陽はいつしか黒い雲のなかに隠れていた。
すこし離れたところには、骨がむき出しになった死体が無造作に捨てられている。その死体の一つに足を置いたカラスがこちらを見ている。いまいましく思っていることだろう。
土をたたく音がした。土饅頭ができあがったようだ。墓掘り人夫となってくれた者たちへ礼を言い、帰すと、花をさがした。見まわしたけれど見つからない。あとにしよう。
墓の前にひざをつき、手をあわせた。
閉じたまぶたの遠くには、鬼鹿毛の笑顔が映っている。甘えるような素振りも見せている。もはや、この笑顔を見ることはない。そう思うと、涙が止まらない。まるで川の流れのように落ちていく。私の体にこれほどまでに涙がたまっていたのだろうか。
流れても、流れても、悲しみは止まらない。
許さない。絶対に許さない。
【馬のエピソード】
一時期、乗馬をたしなんでいました。練習に励んでいた乗馬クラブには、コロニアルルースという名の馬がいて、この馬が鬼鹿毛のモデルになっています。上級者向けの馬なので、たまにしか乗ることがありませんでしたが、私にとって思い入れの強い馬でした。
最初はとても怖かったのですが、しだいになついてくれました。私のへたくそな乗り方にも我慢してくれている様子でした。
ある日、乗馬クラブからコロがいなくなりました。扱いにくい馬なので、いつかは出されるのではと恐れていたのですが。当時は、悲しくて泣きあかしました。
このときの話は、自費出版した『馬という名の道標』(文芸社、2008年)に盛りこみました。インストラクターになろうと挑戦しましたが断念し、結局は失敗談になり、ほめられたものではありません。
なお、『甲陽軍鑑』という軍記物に登場する鬼鹿毛は、父子の仲違いの原因になりますが、死んではおりません。
予告となりますが、後半には黒鹿毛の馬が登場します。こちらもやはり愛馬のシクレノンシェリフという馬がモデルです。架空の話ではなく、『高白斎記』という史料に、天文十七年に黒鹿毛の馬が贈られる記述があり、史実を踏まえていることをここでは強調しておきます。