新しい道 (三) “上田原”
とはいえ、志賀城が落ちてからは、佐久の統治は楽になった。反抗する勢力はごくわずかで、利権を守ろうと人は集まってくる。すくなくとも表面的には武田に従っている。
諏訪を手に入れてから五年。伊那、高遠、そして佐久。佐久の先には小県が広がっている。歩みこそ遅いが確実に前に進んでいる。東信濃は必ず手に入れる。
そのためには撃破しなければならない大物がいる。村上義清だ。
彼は私より二十歳ほど年上になり、父と同年代になる。天文十年の海野攻めで同盟を組んだ仲ではあったが、そのときの私は父のもとで右も左もわからないありさまだった。村上とやりとりしたこともなければ、面識もない。
彼は北信濃の豪族のなかでも一、二を争うほどの実力者だ。歴戦の強者で、合戦では自ら先頭に立って突進することもあるという。逆に言えば、兵力の規模は小さく、ほかにそれほどの人物がいないのかもしれない。おそらくは連合体の代表という位置づけにあるのだろう。父が国主と家臣の立場を明確にし、戦国大名としての強い権力を得ようとしたのとは異なり、まとまりに欠けているものと思われる。
ただし、これまで戦ってきた者たちのなかでは、あきらかに格上だ。手合わせしていないので判断はできないが、話に聞くかぎり、容易に勝てる相手とは思えない。
なにぶんにも情報が少ない。彼が拠点とする信州坂木は甲斐から遠すぎる。
その坂木の町にも、千曲川が潤いを与えている。甲武信ヶ岳を水源として、佐久、小諸、上田、坂城へと西へ流れくだり、数々の支流を集めて、北の善光寺平へとつづいていく。さらに飯山から東に向きを変え、越後に入り、信濃川と名も改めて、日本海へとそそいでいる。長い旅路だ。
私たちはどこまで進むことができるのか。わからないけれど、引き返すことはできない。水は下流に向かって流れていくものだ。海へたどり着くか、あるいは地面にしみこむか、あるいは天に舞い上がるか。淵の底に沈んだまま、身動きとれない場合もあるだろう。
ひとすくいの水もそれだけでは川にはならない。しずくが集まり、とどまることなくあふれ出るとき、川になるのだ。牛馬でさえ、いとも簡単に押し流すことができるほどの強い力になり、恐怖を呼び起こす。
人間も同じだ。一人ひとりは弱々しくても、集団になれば強い。数がふえればふえるほどに力を増していく。矛先を定めさえすれば、勢いよく流れくだる。私もまた、国を切りとり、激流となって突き進んでいこう。
村上を倒せば、東信濃の領地化は確定的になる。北信濃も眼中に入ってくる。私の心ははやりだし、すでに北信濃も支配した気になっていた。
春の陽気が私を誘うのだろうか。私は二十八になり、武将にふさわしい人物となっていてしかるべき年だ。呑気にかまえてはいられない。
志賀城を攻略した翌年の天文十七年の二月、村上討伐にのりだした。
今回は諏訪から大門峠を越えての進軍である。八ヶ岳の西側にまわりこんでから北上する。諏訪富士と称される蓼科山を右に、夏には草花で豊かであろう霧ヶ峰を左に見やり、長窪へと至る。長窪城は五年前に武田の管理下になっており、この方面での前線基地である。
なぜ、佐久街道ではなく大門街道を選んだのか。
八ヶ岳の東麓、野辺山を越えて千曲川の流れにそって進む道は馴れ親しんだ道だが、そこから坂木に向かうとなると、佐久を背後にまわすことになる。佐久の人々は武田に心服しているとは言いがたく、内心は敵意を秘めている。それどころか、恨みを買っている。
そして、次の標的は村上義清。ともに信濃に住む者として仲間意識も出てくるだろう。我ら甲斐の人間は侵略者だ。佐久衆によからぬ考えを誘いかねない。挟み撃ちにあったら大損害ではすまない。領地は広がっても、びくびくしているのだから、お笑い種だ。
大門越えは楽ではない。
季節は春というのに雪は残っているし、みぞれまじりの雨が降る。里では梅や水仙の花は終わりを告げている。館では沈丁花の甘い香りを楽しむこともできる。しかし、この時期の峠道は殺風景で、足場の悪い道をひたすらのぼり、くだっていく。指先は凍え、情熱も冷めていく。この道はいずれ整備する必要がある。軍馬に耐えられる道となるように。心の弱さに堪えられる精神を維持するために。
今宵の宿営地とする長窪への着到は、予定よりも大幅に遅れてしまった。兵には休息を与え、私もひと休みしたのち、城内で軍議を開き、状況報告を受けた。村上義清は坂木の葛尾城を出て、上田原に陣をしき、迎撃の準備を進めているという。
私が加わった合戦の多くは城攻めで、兵力の劣る相手に対して、戦う前からほぼ勝敗がついている場合がほとんどだった。今回は野戦になる。しかも、互角に近い。兵の数ではこちらが上と思われるが、それでも不安は高まる。私には采配の能力はとぼしく、家臣に頼ってばかり。その家臣たちですら見知らぬ土地で戦い、力量のわからぬ敵と対する。誰もが不安を抱いているはずだ。
こんなときこそ毅然としていなければいけない。気持ちを奮い立たせた。数千にのぼる兵の先頭に立ち、牽引するのが私の役目だ。私は激流がはじまる最初の一滴となろう。
佐久から動員した兵は海野に集結し、明日、合流する手はずになっている。流れは確実に大きくなっていく。
だが、まずい話はまだある。透波たちが集めてきた情報の一つに、村上勢が盛んに檄を飛ばしているというのだ。
「武田に負ければ、生き地獄を見るぞ。死ぬ気でかかれ」などと、まるで合い言葉のように叫んでいるそうだ。志賀での戦後処理は、逆らう者は容赦しないという意思表示であったが、戦意を喪失させるどころか、士気を鼓舞させる結果になっている。窮鼠猫をかむの故事のごとく、敵は必死になるだろう。まして、村上勢はねずみではない。眠れる獅子を起こしてしまったか。
ところで、透波とは乱波とも間者とも言い、いろいろな呼び名があるが、いわゆる忍びの者である。ひそかに敵地に侵入し、内情を探り、うその情報を流して攪乱させるといったスパイ活動を行う。
戦いを有利に進めるためには、敵を知ることが重要だ。しかし、状況はかんばしくない。狩りに出かけたつもりが、いつのまにか、わなに近づく獣になっていた。すこし違うのは、危険に気がつきはじめていたことだ。にもかかわらず、進むしか道はなかった。数珠つなぎとなった行列はまるでムカデのようにうごめき、後退はできない。足を止めようものなら踏みつぶされる。
面子もある。もし戦わずして撤退したなら、村上を恐れ、しっぽを巻いて逃げていったと、はやしたてられるだろう。自ら力不足を認めたことになる。こうなっては誰もが武田をあなどり、見限ってしまう。佐久も諏訪も治めることはむずかしくなり、甲斐国内ですら、あやしくなる。
だから、進むのだ。私は濁流に飛びこみ、飲みこまれてしまった。
軍議があらかた終わり、最後に跡部が兵糧の手配状況を説明した。
兵站の連絡線の確保は戦闘以上に重要な問題である。また、その延長線上にある、板垣不在の諏訪の守備は駒井に任せている。後方支援があるからこそ、我々は安心していくさができるというものだ。
村上討伐で初めて小荷駄奉行を務める跡部は、言葉につまりがちで、緊張の度合いがすぐにわかる。
このとき、板垣信方と小畠虎盛が言い争いをはじめた。犬猿の仲とは、この二人のために用意した言葉かと思うほど、ことあるごとにいがみあう。板垣は横柄な男で、身分の低い者の意見を軽んじるところがある。この日も人の話をまともに聞いていない態度に、小畠はかちんときたようだ。
三年前の伊那攻めのことが蒸し返された。
天文十四年には、高遠頼継の拠る高遠城を攻め落とした。そして福与城に進み、城主藤沢頼親を降伏させた。その一方で、藤沢氏を支援している小笠原氏の部隊がつめていた竜ヶ崎城には、板垣の部隊を派遣し、落城を遂げている。
あるいは、その前年のことだったろうか。反旗を翻した藤沢を倒すために出兵したが、成果なく撤退したこともある。
ともかく、伊那でのいくさで、敵側の敗走に不審を感じた荻原九郎次郎が、策略ではないかと板垣に進言したが、やつは採りあげなかった。陣屋に火をかけずに逃げ出したのは、あわてふためいているからであって、今こそ打って出るべきだと板垣は配下の兵に突撃を命じた。しかし、陣屋には敵兵が隠れていて、気づいたときには背後をとられていた。不意打ちを食らった兵はもろく、被官、足軽、雑人、あわせて二百人ほどが討ちとられた。臆病者呼ばわりされた荻原は敵衆に一騎で突っ込み、二十一歳の若者が戦塵に消えた。
「村上なんぞ、わし一人でたたきつぶしてやるわ」と板垣がほざいた。
「その辺でやめておけ」
私は口論を終わりにさせた。板垣のがなり声を聞いているとむかむかしてくる。尊大な振舞いをする者は概して心の器が小さい。とりあわないほうがいい。
とはいえ、合戦となれば、武将のなかでも頼りになるのは板垣だ。普段は疎ましいが、戦時には心強い。やつの大声は弱気の虫を吹き飛ばしてくれる。
翌朝、我々は出発した。曇天、風は弱い。まずまずの合戦日和。
上田原に近づくと陣形を整えさせ、気を引き締める。もはや敵地だ。奇襲があってもおかしくはない。遠望できる場所へと前進した。千曲川を背後にした、敵の陣構えは整然とし、静まりかえっている。敵将の強い意志を感じる。
不安を心の奥にしまいこみ、采を振りおろした。
法螺貝のくぐもる響きに場が清められる。つづいて押し太鼓が速い調子で打ち鳴らされ、最前列の部隊は隊列を維持しつつ足早に押し出した。室住と日向は右翼に、飯富と小宮山は左翼にかまえ、中央は板垣がおさえる。やつは先鋒を志願した。そして、第二陣に甘利らがつづく。
村上勢からいっせいに矢が放たれ、灰色の空がうなる。
戦闘開始早々に矢にあたり、死ぬ者もいるだろう。前線の兵は死に物狂いで戦い、声をかぎりに叫んでいる。彼らは生きるか死ぬかの瀬戸際におかれている。私は後方に本陣をおき、戦況を見守るしか手立てはない。
ふいに我に返ることがある。私はなにをしているのだろうかと。
時間の感覚がわからない。
状況は一進一退か。いや、分が悪い。
使番が現れるたびに、現実を直視させられる。
「申し上げます。才間河内守様、お討ち死に」
「初鹿野伝右衛門様が討ち死にされました」
次々と寄せられる訃報に、動揺は隠せなかった。敵に圧倒される合戦は初めてのことだ。
私は床几に腰をおろしたまま、頭のなかは真っ白だった。
「板垣殿の軍勢、敵将雨宮刑部殿を討ちとられたよしにござります」
おおっ、と歓声があがる。しかし、私にはわきあがる感情はなかった。
となりにひかえている原加賀守昌俊は厳しい横顔を見せていた。陣取りについては彼の右に出る者はいない。地形を判断する能力や、敵の陣形から力量を見抜く能力は、長年の経験に培われたものだ。彼は、私の父の代から戦場を見つめつづけてきた。その原が私を見た。
「兵を引きましょう。我らは劣勢。今が引き時です。お屋形、下知を」
私は判断できなかった。考えようとしても空回りするばかりで、結論を出せなかった。
そのとき、使番が飛び込んできた。
「板垣駿河守様、討ち死に」
「なんだと」、私は思わず立ち上がり、本陣に戦慄が走った。「どういうことだ」
「深追いなされた板垣様は伏兵に囲まれ、率いる兵もろとも全滅されました」
つづけざまに別の使番が息せき切ってやってきた。
「甘利備前守様が討たれました。馬場殿の兵も切り崩されております。ここも危のうございます」
板垣が死んだ。甘利も死んだ。信じられない。
何かが違う。村上勢は背の旗印を「一」の文字に統一し、全員が規律にしたがって行動している。これまで戦ってきた敵は皆、各部隊が個々に判断し、動いていた。我々もだ。しかし、村上勢は一つの部隊のようにまとまっている。
突然、大音響が耳をつんざいた。雷の何倍、いや何十倍もの爆音が大地を震わせた。これまで聞いたことがない。私はたじろいだ。我々全員が驚いた。一体、何が起きたのか。
凝視すれば、火縄銃の銃口が列を並んで、こちらを向いている。白く煙っている。五十丁もあるだろうか。見たこともない光景だ。
時を置き、もう一回爆音が響いた。さらにもう一回だ。
「お屋形様、」
原の呼びかけに返答できずにいると、原はまわりの者に向かって大声で指示を出した。
「者ども、村上勢はじきにここへ押し寄せる。備えを固めよ。お屋形様をお守りするのだ」
さらに私の前でうなだれている、二人の使番に向きなおり告げた。
「その方たち、浅利殿、穴山殿に前へ出るように伝えよ。脇を固めるのだ。後備えの残りの各隊にも十分警戒するように伝えよ。敵は前からだけとは限らん。急げ」
事態は逼迫している。近習の者らが整然とならび、ひざをついて待機した。騒ぎ立てる音もない。私は床几に腰をおろした。
どうするか。言葉にこそしないけれど、進退窮まり、なすすべがない。逃げ出すことなど、できはしない。撤退を指示すれば、総崩れになる。村上勢はこの時とばかりに攻めたてるであろう。是が非でもくい止めねばならない。
合戦は、総大将を討ちとったほうが勝ちである。大損害を被ろうとも、敵将の首をとってしまえば勝ちになる。つまり、私が死ねば、負けが決定し、戦いの意義はなくなり、あとは残りの兵がどれだけ逃げきれるかになってしまう。だから、私の前に居並ぶ者たちは必死の思いだ。
くる。
雄叫びと地響きが入り交じり、しだいに音は高くなる。
「武田晴信はどこだぁ ― 」
遠くからでもはっきりとわかる大声が、耳に入るとそれは恐怖に変わった。
山津波のごとく、轟音とともに一気にぶちあたった。
押し流されてたまるものかと防ぐ者たち、かたや私を殺そうと出口をこじ開けようとする者たち、わめきあう声、ぶつかりあう音。馬は狂っている。
乱戦状態で、もはや策はない。目の前の敵を倒すだけだ。
私は立ち上がり、刀を抜いた。
そのとき、青毛の馬にまたがる大男が、刃先を失った長槍を捨てるやいなや、太刀を振りかざして突っ込んできた。
手綱を引かれ、もがいた馬は前足を上げ、仁王立ちになると、馬も男も私を見すえ、男は叫ぶ。
「その首、もらったぁ ― 」
黒糸縅の甲冑に身をつつむ、鬼のような形相の男が刀を振りおろしたとき、頭のなかのチャンネルが切り替わった。
昔、似たようなことがあった気がする。いや、あるはずがない。戦場でじかに斬りむすぶのは初めてのことだった。それなのに、遠い昔の記憶がよみがえってくる、一瞬があった。デジャブだろうか。白馬にまたがる軽装の若者が、私に斬りかかってくる不思議な記憶。現実の荒武者に、夢のなかの若者と重なりあう。彼の名は、謙信 ……
鋭い金属音、そして衝撃が私の目をさました。
敵将の気迫が乗り移った刀に、私の甘ったれた刀がかなうはずはない。私はよろめいた。
稲光のように落ちてくる刀の切っ先が右の籠手をかすめた。尻餅をついた。
馬の足元をとおして現実が視界に入る。
陣幕はなぎ倒され、誰が誰だかわからないほどに大混乱に陥り、大地は震えている。
血しぶきが飛び、断末魔の叫びが聞こえる。
だめかもしれない。もう終わりだろうか。
そう思ったとき、うなりをあげて、矢が一筋、線を描いた。荒武者の動きが止まった。
さらに矢が飛び、私の首をねらった男と私との間にある厚い空気を切り裂いた。
馬が後ずさりすると、彼は矢が飛んできたほうに視線を移した。
「ひけぇ ― 」
怒濤のようにやってきた嵐は、雨風のかわりに刀と槍を降りそそぎ、死体を残して去っていった。
振り向くと、配下の者を後ろに従えた又八郎が、弓を高々と振りあげていた。彼には借りをつくった。彼の名は正しくは跡部勝資という。兵站を任せていた者だ。
よく見ると、火縄銃を手にする者が数人ひかえていた。異国より伝わる新兵器だが、機動力に欠け、野戦には向かないと考えていたけれども、鎧さえもぶち抜く破壊力があり、脅しがきく。
それはともかく、助かった。
ほどなく、村上方から陣を引かせる合図の太鼓が打ち鳴らされた。こちらも兵を引かせた。
合戦はひとまず終わったが、完敗だ。次の一手を考える余裕はなく、むしろ奇襲を警戒しなければならない。気の休まる時はないのだ。
板垣と甘利の遺体が収容されたころには、日が暮れていた。痛ましい姿になってしまった。板垣の首はなかった。首は武将を討ちとったという確固たる証拠となるから、恩賞をあずかるために、立身出世のために、競って奪いとろうとする。
板垣の体をつつんでいる鎧の縅毛には、赤黒い血がしみついていた。土ぼこりははらい落とされているが、血は落とせない。記憶をたぐりよせ、板垣の顔を想像し、遺体につなぎ合わせようと試みる。いくらか小さくなった気がする。
憎たらしい板垣が死んだ。顔を見るのもいやだったはずなのに。今となっては胸が締めつけられる。後悔してもはじまらないが、猪武者のような彼の性格を考えれば、突進するのは目に見えていた。先陣を任すべきではなかった。
しかも、甘利まで。二人がともに死ぬなんて考えてもみなかった。いくさをすれば、間違いなく人は死ぬ。勝っても負けても死者が出ることにはかわりなく、違いがあるのは死人の数くらいなものだ。どちらが多く死に、どちらが多く殺すか。死者の多少と勝敗は高い相関関係がある。
けれども、私にとってそれ以上に重要なのは、両手、両足、両目のごとき存在だった二人を失ったことだ。考えてみれば、現在の私があるのは、板垣と甘利がいたからこそである。私の恩人なのだ。
そう考えたとき、父のことが頭に浮かんだ。甲斐をまとめあげた父は、甲斐を追い出され、駿河で暮らしている。私が成しとげたと胸をはって言えるものがどれだけあるのだろうか。
過ぎてしまったことにとらわれるのはやめにしよう。
前を見ろ。できることを考えろ。
今宵、月は出まい。二月十四日、如月の望月のころ、天も風流を知るならば、丸い月が上田原を照らし、敵陣を浮かびあがらせるであろう。しかし、空は冷たく閉ざしている。桜のかわりに小雪がちらつき、まぶたは重くなる。静かだ。
ふと、意識の途切れに気がつき、異変がないか耳で探る。目はさえてしまい、そのまま朝まで眠れなかった。体の震えは寒さだけではないのかもしれない。
あくる朝、村上勢に動きはなく、我らもしかけなかった。というより、戦う余裕はなかった。お互い、相手の出方を見極めようとしていた。攻めてくれば、矢の雨をありったけ降らしてやる。信濃の春は遅れてやってくる。これから花を咲かせてやろうじゃないか。
軍議では、撤退を主張する者がほとんどだったが、私は拒否した。
負けっぱなしで帰れるか。板垣、甘利、そして多くの武将と兵を失い、本陣はひっかきまわされたのだ。このままおめおめと甲府にもどれるものか。
一つ本音を吐いてしまおう。私はこのいくさで自由を手に入れた。板垣という縛りから逃れることができたのだ。目の上のたんこぶのような存在。邪魔だけど、切り取るわけにはいかない。その板垣が消えた。甘利も消えた。私は自分の才覚で軍を進め、そして国を動かすことができる。やってやるぞという思いがわきあがってくる。総大将としての力量を示す時だ。
しかし、思いとは裏腹に策はない。戦う気持ちだけがある。それは、いきがってみせているだけの、実力のともなわない反発心にすぎず、くやしさを依代にして上田原に居すわりつづけた。
数日後、使いの者が甲府の母からの文をたずさえてやってきた。
要点をまとめれば、軍を引いて出直すようにとのことだった。使者の言上も同様で、勝ち目がないとまで言われては逆上こそしないが、むかっときた。私ではなく父にだったら、そんな口はたたけまい。
使者はさらに駒井からの伝言を付け加えた。それは「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」という孫子の一文である。準備不足で短期決戦に出ることはあっても、長期戦に持ちこんで成功した例を知らない、という意味で耳に痛い。
また、使者はこうも言っていた。「主は怒りを以て師を興すべからず、将は慍りを以て戦いを致すべからず」だと。くやしいが、そのとおりだ。だからといって、言われて引き下がるのも癪にさわる。家臣たちも退くように勧めるが、いっさい受け付けなかった。私は意固地になっていた。
膠着状態のまま、時間だけが遠のいていく。意味もなく消えていく。
私はなにをしているのだろう。
一日を、一月を、一年を、一生を、そして一分一秒を無駄にしてはいないか。
この世界でやらなければならないことが、あるはずだ。
三月になり、撤収の指示を出した。私の気持ちは萎えていた。兵の士気も落ちている。仮にいくさがはじまれば、間違いなく負ける。
先の合戦はあきらかに負けである。けれど、負けを認めたくはなかった。現実を肯定しなければ未来はない。現在は過去になり、記憶に変わる。くだらない記憶、唾棄すべき記憶。
北信濃につづく道は、村上義清という壁にぶつかり、行き止まりになってしまった。
大門峠を越えて諏訪にもどった。兵のほとんどは家族のもとに帰したが、私は甲府には帰らず、諏訪に一月ほど逗留した。
ぶざまだ。桜が咲いていたようだが、楽しむ気にはなれなかった。母にも駒井にも会いたくなかった。
私は幼かったと思う。国を預かる者としてふさわしくなかった。長期の滞陣は消耗戦になり、たとえ勝っても国費を湯水のように使い、民の窮乏につながる。不満は内乱を呼ぶだろう。「戦わずして勝つ」を最上の策とする孫子の目から見たならば、愚の骨頂。私は二度、負けてしまった。村上義清と自分自身に。
鬱々とした気分をぬぐい去ることができず、来る日も来る日も諏訪湖のほとりへと足を運んだ。そして、かすかな波音を聞く。満々と水をたたえ、銀色に輝く湖を前にして、私という人間の小ささを感じていた。これからどうしたらよいのだろうか、いくら考えても知恵は出てこない。そういうときにかぎって、関係のないことが思い浮かぶもの。湖の見えるこの場所に城館を建て、諏訪のまつりごとの中心にすえたい。
新しい、なにかをつかんでみたい。