表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/27

新しい道 (一)   “内山城”

 何千、何万という人を殺してきた。

 私という一人の人間を。

 誰も知りはしない。知ろうともしない。

 自分の所業の一つひとつが刺青のように心に刻まれて消えることはない。

 いつの日か他人の記憶から薄れることもあるだろうが、私にははっきり見える。

 未来永劫つづいていくのだ。

 所詮、この世は邪悪なものだ。

 悪を知らずに生きてはいけない。善の仮面と悪の仮面を使いわける。

 毒を食らった以上、私の心はもとにはもどれない。いくらでも飲んでやる。

 でも、それでいいのか。そんな世の中で本当によいのか。

 できるかぎり目をそらし、忘れようと思った。

 誰でもいい。痛みをわかちあえる人がそばにいてほしかった。

 壊れていくこの世界と自分。

 死んでいたんだ、「私」は。

 あなたは去り、記憶はしがみつく。離れようとしない。



(天文十二年 ~ )



 妻の三条は口出しをしないけれど、感情もあまり見せてはくれなかった。すこしさびしい気はしても、無関心はやさしさの一表現なのだろう。自分なりに解釈していた。

 ときおり、私は思い出したように小さな墓を訪れ、静かに手をあわせることがある。墓参りのときには、いつもすゞがつきそってくれた。彼女も菩提を弔ってくれる。

 私の墓だ。冷たい石に刻まれた墓碑銘こそ違うけれど。


 すゞにとって、禰々は形式上では継母だが、年齢に差がなく、姉のような存在だったという。ただ、すゞのほうが背は高く、線が細く、口数は少ない。評判の美しさは誠であった。だからといって、必然的に恋愛感情が芽生えるほど、人間は単純ではない。

 きれいな人だとは思った。

 彼女が口を閉ざしていたのは理由があってのことだが、禰々の思い出を語りあううちに、すゞとの距離が縮まっていくように感じたのは、私の思いすごしであろうか。ときおり見せるほほえみが美しさに花をそえ、その花の香りになぐさめられていたことに、はじめは気づいていなかった。



 ところで、家臣たちは勢力拡大に気合いが入っている。私の気持ちを忖度してくれる者はいない。

 とくに板垣は諏訪の軍勢をたばね、甲斐の兵力とともに、伊那谷(いなだに)へ、高遠へと目を光らせている。私が出馬しても、実質的な指揮権は板垣が握っている。いくさのことはあやつに任せておけばいい。ただし、動向には注意しておかなければいけない。やつは諏訪を自分の領土にし、独立するかもしれないからだ。


 一方で、天文十二年九月には小県の長窪城を攻めた。頼重殿が支配下においていた土地を確保するのが目的だ。けれども、歴戦の大将たちの前ではど素人にすぎず、彼らの指示に従うしかないのが現状だった。それでも、采配を学びつつ、戦国の世界にどっぷりと漬かっていた。彼らの作戦に間違いはなく、城主大井貞隆を拘束し、望月一族の主要人物は成敗した。

 私は着実に人殺しの世界に入っていく。


 天文十五年、この年あたりから佐久を攻略対象に考えはじめた。前年の夏には、敵対していた高遠頼継と彼に同調する伊那勢をようやく降伏させ、戦線が西に伸びていたこともあり、当初の目標にもどしたのである。

 しかし、期待していた結果は得られなかった。激しく抵抗してきたのだ。父が指揮をとった、昔の状況とは大きく異なっていた。あのときは敵方が総崩れになったというのに、今回は違う。

 見くびられているように感じた。

 父の常軌を逸した行動は他国にも伝わっていただろう。気分にまかせて人を殺しかねないほどに気性が荒かった。それに比べれば、自分で言うのもおこがましいが、私は普通の人間でおとなしい。そんなことを口にすれば、鼻で笑われるかもしれないが、ともかく佐久の人々は私を脅威とは感じていないようだ。

 佐久にはこれといった強い領主がいるわけではない。小豪族が割拠している状態だが、一致団結して武田を追い返そうとしている。城を奪っても奪い返され、領地を手に入れても農民は逃げ散っている。服従しようとはしない。我々は侵略者だから嫌われるのは無理もないが、業を煮やしていた。

 父に対しては恐怖が恐怖をつつみこみ、魔王のごとく思えたかもしれないが、私に対しては心理的に負けていない。対等だと思っているから、我々の攻撃をはね返してくる。しぶとい。私もまた、いくさにのめりこんでいった。

 負けてたまるか。


 言い忘れていたが、私は官職の名のりを左京大夫(さきょうのだいぶ)から大膳大夫(だいぜんのだいぶ)に改めた。結局のところは名誉職なので、どちらでもいいという気はするが、その名誉職といえども左京大夫は一級品で、簡単に手にすることはできない。お金の積みぐあいによるのだ。それほど価値のある官職だが、父から引き継いだものなので、署名するたびに父のことが思い起こされてしまう。それがたまらなくいやだった。父にも負けたくはなかった。



 天文十五年五月、内山城攻めに出陣した。

 なつかしい道だ。以前、私は分岐点に立った。道は二つにわかれ、一つは北へ進む道、もう一つは西へ進む道があった。私は西を選んだ。それでよかったのかどうか。結果的には正しかったと思いたい。領土は広がり、国力は増し、守りは堅くなった。

 あのころは佐久へ進出しようとすれば、上杉と正面から戦わなければならなかった。関東管領の地位にある上杉憲政(うえすぎのりまさ)は、関東の諸将を統括する立場でもある。あまり戦いたくない相手だった。ところが、相模の北条は東へ北へと進軍し、その上杉を追いつめている。憲政の取り巻き連中は私利私欲をむさぼり、心ある人物は距離をおいているといううわさもある。

 我々が出陣の準備にとりかかっていた四月には、北条氏康殿の率いる主力が、河越城を包囲していた上杉の大軍を完膚なきまでにたたきのめした。扇谷上杉朝定(おうぎがやつうえすぎともさだ)は戦死、憲政は逃亡、そして馬廻衆(うままわりしゅう)三千騎あまりを失うという大敗北を喫している。もはや上杉に気後れすることはない。私たちはそれぞれの道を模索し、突き進んでいく。


 残念だが、多くの人が気づいていると思う。私は小心者なのだ。


 八ヶ岳は神々しく、私の汚れたちっぽけな心など意に介さず、泰然自若にして世の中を眺めている。そして、天空を見上げている。太陽を、月を、星を、闇を。すべてが秩序正しい。八ヶ岳は空の色を身にまとう。青く、もっと青く。黒く、もっと黒く。

 千曲川にそって、私たちはあわてることなく進んでいく。

 ときどき、のどを潤す。

 川音はリズミカルで永遠につづいていく。太古の昔から、はるかな未来まで、いったいどれだけの水が流れ、どれだけの時間が流れるのだろう。水は清らかだ。


 どこまで流れていくのだろうか、この私は。


 北へ進むと佐久平の平野が目に飛びこんでくる。視界の開けるこの場所は、敵側から見れば、甲斐へ攻めこむ進入路となる。攻めるためにも守るためにも両翼に城がほしい。西に前山城があり、すでに手に入れている。東には内山城がある。今回の目的は、この城を奪うことにある。

 


 内山城は山城だ。

 このあたりは大地を南北の両側から力をかけて、ひだ状にしたように起伏をつくっている。東西方向に細長い山並みができていて、西の先端に城が築かれている。東に目を転ずると荒船山(あらふねやま)をはじめとする山塊へとつづく。ここでも山々が国境をなしている。

 信州から上州へぬけるには、内山城のふもとをとおる街道か、北の碓氷峠(うすいとうげ)を越える街道が主要ルートになる。内山城をおさえる意義は大きい。東へ進む道ができるのだ。交易も盛んになるだろう。選択肢は広がっていく。

 是が非でもこの城を落とす、その決意はゆるがない。

 我々の進軍は敵に知られていよう。準備も万端であろう。心してかからねばならない。

 南よりに陣形を組む。

 北側の二キロメートルくらい先には、内山城と平行するように山の峰がそびえ立ち、そこにも志賀城という山城が築かれている。こちらは日を改めて攻略する考えだ。しかし、内山城が落ちれば、志賀城も危うくなるから、当然、援護してくるだろう。恭順を拒む近隣の豪族たちもゲリラ戦を展開してくるかもしれない。不注意は死を招く。

 早々に、内山城の水の手をおさえた。水に窮すれば命は保てない。

 しかしながら、あいにくの雷雨があり、天を恨めしく思った。梅雨の季節なのでいたしかたないが、城兵たちには恵みの雨であろう。

 我々は天候の別なく、昼夜の別なく、断続的に攻撃し、敵方を追いつめ、弱らせるだけだ。

 そして、日数こそかかったが、投降する者も現れ、ついには城主大井貞清も城を捨て、逃亡した。

 


 翌日、私も城に登った。下から見上げていたときには気にならなかったが、いざ登ってみると意外なほどの高度感がある。山すそまでころげ落ちていきそうなくらいに勾配がある。

 城攻めには守りの三倍の兵力が必要というが、まさにそのとおりで、五倍、十倍はほしい。なによりも死者の山を累々と築くことが恐ろしい。負傷者はそれ以上だ。戦ってくれた者たちへの感謝の念を忘れてはならない。

 本丸にたどり着くと、北には志賀城が見える。

 間には川が流れ、東から西へとくだり、千曲川に合流する。あらためて志賀城全体を見ると、つまり山そのものだが、内山城より規模が大きいことが見てとれる。収容人数も多いはずだ。空中を歩いていけるなら、志賀城の本丸まで三十分ほどの距離という近さだ。志賀城の武将や兵がこちらを見ているに違いない。お互いを敵としてにらみあっているのだ。今は内山城に守りの兵を残して撤収するが、いずれあの城も落とさねばならない。

 志賀城の左には、浅間山がのぞいている。途切れることなく蒸気が立ちのぼり、どっしりとかまえながら、熱い思いをたぎらせている。

 不意に私はさびしさを感じることがある。むなしさだろうか。

 城の修繕で、まわりは騒がしい。ねぎらいの言葉をかけながら、私は山をおりた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ