わかれ道 (三)
九月も十日をすぎたころ、早馬の報せを聞いた。
高遠頼継が諏訪宮川を越えて進軍したという。上諏訪に駐留していた甲州勢は一時、国境まで撤退した。頼継は下諏訪にも兵を進め、諏訪大社下社まで支配下においた。
迂闊だった。
そして、共謀して事にあたることのむずかしさを思い知らされた。戦力は二倍、三倍になるが、報酬は分割しなければならず、二分の一、三分の一となって、実入りは少ない。お互い、その土地のすべてを望んでいるわけだから、我慢が必要だ。そして、疑心暗鬼に襲われる。いつかは攻めこんでくるのではないかと。
頼継が私を信じないのは理解できる。
先手必勝、後手にまわれば不利だ。頼継は諏訪全土を欲した。ぐずぐずしてはいられない。相手が腰をすえる前にたたかなければならない。出陣の用意を急がせた。
とはいえ、諏訪人の目には、武田は完全なよそ者である。対して、高遠家は諏方家と同じ血筋で、代をさかのぼれば諏方家総領を継ぐべき家柄だった。
中先代の乱ののち、後醍醐天皇と足利尊氏の関係が破綻し、二つの王朝が争う南北朝時代へと移り変わるのだが、信濃においても激しい戦闘が繰り広げられた。
そして、中先代の乱に敗れた諏方頼重の孫、頼継は南朝に加担した。同じ名前が現れて錯綜するが、高遠頼継とは別人である。
ところが、信濃守護職に任じられた小笠原貞宗が北朝方の先鋒となり、決起した諏方頼継の軍勢は撃破されてしまう。頼継としては無念ではなかったか。鎌倉幕府を土壇場で見捨てた裏切り者の小笠原に敗れるのは。
頼継は諏方家総領を辞し、弟にゆずることで赦免を求め、足利政権に膝を屈した。諏方頼継の子は高遠の神領の知行を認められ、その後裔に奇しくも同名の高遠頼継がいる。
彼は総領家奪還という宿願を果たすべく、戦いを挑んできた。
武田があらためて諏訪へ侵攻するとなると、諏方家にゆかりのある者だけでなく、諏訪の民、全員が結託して、我らに立ち向かってくると考えるべきだ。これはかなり厳しい戦いになる。二ヶ月前のいくさとは勝手が違う。手を引くことも選択肢の一つだ。トンビに油揚げをさらわれてしまった。
私は考えた。諏訪の衆を味方に引き入れるには、寅王が使える。寅王は頼重殿の血をひく、由緒正しい男子である。彼こそ諏訪を治めるのにふさわしい人物だ。寅王を旗印にすれば、諏訪人の心をつかめるだろう。喜ぶに違いない。
禰々はどう思うか。
寅王が成人したあかつきには諏訪の領主にすえる。ただし、武田の家臣として。そして、彼のまわりには甲斐から派遣した者たちで固める。
禰々にはすこし罪滅ぼしできるのではないか。破格の待遇だと思う。禰々は希望の持てぬ身の上なのだ。不満は言うまい。
やっかいなのは板垣信方だ。私の案に反対するに決まっている。先発部隊に板垣を命じ、追っぱらった。本隊が到着するまで手出し無用と強く言いつけておいた。
さて、禰々のほうだが、一月も無沙汰している。突然の訪問に驚いていたし、怯えていた。ついに来るべきものが来た、そう思っているようだ。
私は諏訪の現状を説明し、寅王に将来の諏訪の領主を約束した。是非とも、このいくさの旗印になってもらいたいと頭を下げた。
禰々は顔を輝かせて感謝してくれた。
「ありがとうございます。寅王も私も早く諏訪にもどりとうございます。諏訪は私の故郷のようなもの。あそこでしか生きていく気はしません」
「ちょっと待ってくれ。寅王には武田の一族であることを理解させる必要がある。あの子にも武田の血が流れているのだ」
私と同じ血が、ちらと頭をよぎった。
「心の芯まで武田と一体になってくれなくては困るのだ。そのためにはこの地で教育し、我らとなじんでもらわねばならない。だから、元服までは待ってほしい」
「しかたがありません。でも、今は諏訪にもどれるのですね。いつになりますか」
「いくさに勝たなければ、の話になるが、ともかく我らとともに来てほしいのだ。出発は追って伝えよう。輿を用意させる」
禰々の小躍りしそうなくらいの喜びようは、私を後ろ暗く感じさせた。
一方、家臣たちはわかってもらえるか、これはまた難問ではあるが、軍議にはかり、なかば強引に決定した。寅王は我らの仲間だ。
高遠勢に諏訪を占拠されてから、すでに十日近くも出遅れている。だが、禰々とともに必ずとりもどしてみせる。
我々に先立って、武田本隊には寅王君がいるとふれまわさせた。寅王君が帰ってくる、諏訪の領主は寅王君だと。有力人物には密使を派遣した。この効果は絶大で、高遠にくみしたくない者や、日和見的な者がことごとく高遠に敵対した。
九月二十五日、大義名分をもった我らが攻め寄せると、高遠勢は崩れだした。頼継の弟を筆頭にあまたの将を討ちとり、敵兵は敗走した。
雨降って地固まるのごとく、諏訪のすべてを手にすることができたのだ。
このいくさの第一の功は、寅王であろう。生後五ヶ月の赤ん坊は、この世の有為転変をうわの空で見つめている。しかし、この子のおかげで私たちは勝った。
諏方家の家老衆を前にして、寅王にこの地を治めてもらうことを約束し、彼の名を千代宮に改めると宣言した。長きにわたり、平安が訪れるようにとの願いが名目だが、実のところ、寅王という名前が勇ましすぎるからである。名は体を成すという。虎の牙は抜いておく必要がある。
気がかりなのは、愛嬌ふりまく小さな男子が、旧臣たちの希望の光であると、彼らの視線からひしひしと伝わってくることで、私の心に不安の影がさした。
それにしても驚いたのは、禰々の堂々とした態度と言動だった。わが子の将来を頼みいる姿に、彼女も一児の母なのだと思わずにはいられなかった。
ともかく、板垣を郡代として諏訪に残し、禰々と千代宮をつれて甲府にもどった。
しばらくは、禰々にとって幸せな日々がつづいた。しばらくの間、だけだった。
幼い子供には神霊が宿るという。諏訪大社の神職である大祝も、童子がその地位に就く。
年をとるにつれて、人は神の力を失うのだろうか。
私だって昔は描かれていないキャンバスのように純白の魂を持っていたはずだ。白い布地に絵を描きこみ、さらに描きこんで、ぐちゃぐちゃになって、どうしようもない絵になってしまった。とても人に見せられるような代物ではない。
千代宮の心にも、憎しみの感情が芽吹いてくるだろう。
摘みとる自信はない。
私は家臣たちから波状攻撃を受けた。千代宮の処遇についてである。諏訪の領主に就けてよいものか、物心がつけば我らを敵と思うのは必然のこと、うまくいくはずがないと会うたびに言ってくる。私も反論できないのだ。ならば、どうするというのだ。具体的には言わなくとも、考えていることはわかる。
もう一つ、私を悩ませているのは、すゞ姫のことだ。このまま飼い殺しにするか。それとも、かたづけるか。
すゞとは対面すらしていないが、十二歳の少女である。そして、乳飲み子の千代宮。二人の命を奪わねばならないのか。
私は日々、苦悶していた。いや、考えまいとしていた。禰々との約束を破ることも堪えがたい。こうしている間にも暴挙に出る者が現れぬともかぎらない。宙に浮いた状態にしておくわけにはいかないのだ。どこかに落ち着けなければ。
季節は冬に移り変わっている。
私は決断した。駒井にすべてを任せ、手を引いた。
すゞは私の側室とする。拒めば生きる道はなく、心のうちはわからないけれど、彼女は受け入れた。
千代宮は捨て子として寺に預ける。禰々とは親子の縁を切らせる。せめて命だけは助けよう。どこの寺に預けるかは私も知らない。遠く離れた里に送られるであろう。もう二度と会うことはない。会ってはならない。子供を奪いとられる悲しみを思うとつらくなる。禰々の絶望はいかばかりか。
この世の不条理を知らず、赤ん坊は笑顔で旅に出る。
誰も私を許してはくれまい。
飯富兵部が聞こえよがしに陰口をたたいていた。まどろっこしいことをしないで、城攻めで討ち滅ぼせば、気勢も揚がっただろうにと。
そんなことはない。「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」という孫子の言葉もある。私たちは損害を最小限にして勝ったのである。
けれども、結果的には遠回りしただけであって、時間と労力をいたずらに費やし、禰々の心をずたずたにしてしまった。
年は明けたが、これほど暗い正月は初めてだ。
三日の夕方には火事があり、すゞの屋敷に燃え移るという騒ぎがあった。私もあわててかけつけた。放火ではあるまいが、不吉なものを感じさせる。天罰なのか、呪いなのか、風が行き場を求めて吹き荒れていた。新築したばかりの屋敷は燃えつきてしまい、すゞは住む場所を失った。駒井に彼女を託し、部屋をあてがわせた。
そもそも、すゞは形ばかりの側室で、身を寄せてはいない。
禰々は食を絶っていると聞いた。
母がたびたび見舞いに行ってくれたのだが、意志を変えることはできなかった。
私は禰々に会いに行けなかった。母にもあわす顔がなかった。
そして一月十九日、禰々は息を引きとった。
享年十六。あまりに短すぎはしないか、禰々よ。
土地を奪い、夫を奪い、子供を奪って、幸せを奪った。
むしりとるだけ、むしりとって、放り捨てた。
頼重殿も、禰々も、この地上からこぼれ落ちてしまった。
私の魂もころがり落ちていく。暗闇の淵へどこまでも、どこまでも落ちていく。