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卑怯者

 人は私を卑怯者と呼ぶ。ある人は極端に忌み嫌う。

 うそつき、したたか、ずる賢い、

 残忍、厚顔無恥に裏切り者、

 強欲、淫乱、血も涙もない男。

 人はありとあらゆる罵詈雑言を浴びせるであろう。浴びせるがいい。


 親を捨て、子を死なせた。多くの人間を殺した。

 数えることができないくらいに。

 たしかに真実である。

 否定する気はないし、肯定する気にもなれない。

 この場で弁解する気もないし、弁解する余地などない。

 話したところで理解してもらえるとは思わない。

 自分さえ理解していれば、それでいい。

 まともな人間だと認めてくれる人など、いやしないだろう。

 救われないことも自分なりにはわかっているつもりだ。

 自分を必要以上に飾りたてることは大嫌いである。

 それは虚栄であり、むなしい、偽りへの努力である。

 

 卑怯者 ― そう呼びたいなら、呼べばいい。気にはしない。

 私は私。

 ならば、原因がほかにあったというのか。

 誰か、私をそそのかす人間がいたのか。いない。

 他人のせいにはしたくない。

 あえて言うなら、すさんだ世の中のせいなのかもしれない。

 舞台の上で悲劇を演じ、喜劇を演じた。

 私は歴史という演目に現れた道化師にすぎなかった。

 自分の意志で踊ったというより、踊らされたような気さえする。

 人ごとのように話しては、卑怯者とそしられてもしかたがない。


 また、ある人は熱狂的に賛美する。

 私を神として敬う者さえいる。

 英雄として祭り上げられることもある。

 けなされるより、ましかもしれない。

 この人たちはなにかしら理由をつけ、美化しようとしている。

 空々しい感じがする。迷惑な話である。

 私はごく普通の、そして愚かな人間である。

 決して聖人ではないし、天才でもなく、狂人でもない。

 ひょっとすると、世の中は変わっていたのかもしれないと思う人もいるが、

 結局のところ、そのような力はなかった。

 自分の至らなさをつくづく考えさせられる。


 私はわびなければならない。

 しかし、土下座して、百万遍、謝ったところで許してはもらえないだろう。

 許しを請いはしない。

 冥界に漂いながら、私を呪い殺してやりたいと思う者がどれだけいるか。

 考えるだけでも恐ろしい。

 今さら、なにを言ってもはじまらない。

 どうにもなりはしない。過去をとりもどすことはできないのだ。

 私の名前は数多くの悪行とともに釜にゆでられ、わきあがる泡と、腐臭と、

 ねっとりとからみつく汚れた汁のなかにどろどろに溶けていく。


 なぜだろう。

 私はまわりの人間を不幸にする。

 (ごう)というものだろうか。

 望んでいるわけではない。

 むしろ、幸せになってほしいと願っていたはずなのに。

 すべてを破壊し、破滅へと導いてしまった。


 なぜだろう。

 いやな記憶、思い出したくない記憶にかぎって忘れないということは。

 それなのに、楽しかった記憶はおぼろになり、消えていく。

 鉛筆で強く書きこんだみたいに、消しゴムでいくらこすってみても、

 押しつけられた文字は紙に刻まれている。

 それどころか、こすった痕が黒く汚れて、白い紙にはもどらない。

 紙ごと焼き捨ててしまえば、これほど楽なことはない。


 そうは言うものの、心に引っかかる「私」がいる。

 真の姿を知ってもらいたい。

 自分のすべてをさらけ出したとき、

 それは心にたまっていたものを外へ吐き出す行為であり、

 心を(くう)にできると思う。

 このとき、「私」の魂は消えるのではないか。

 この世から消滅する。それを成仏というのだろうか。

 私は忘れるために書く。 


 さて、なにからはじめようか。

 遠い昔のことなので、記憶違いもあると思う。

 順序が逆の場合もあるだろう。

 同じ話を繰り返すかもしれない。

 それはそれとして大目に見ていただきたい。

 思いつくまま書きだしていくつもりだ。


 足利殿が将軍として君臨してから二百年ののち、

 幕府の威勢が衰え、内乱の時代に移り変わる。

 力のある者、知恵のある者、度量のある者が覇権を競いあい、

 殺戮と強奪に良心の呵責を感じない、殺伐とした世界があった。

 今から五百年ほど昔の話だ。

 

 運命は本人の努力しだいで変えられるという。

 しかし、乗り越えるにはむずかしい条件もある。

 男に生まれるか、女に生まれるか。

 親から引き継ぐ貧富の差、身分の差、能力の差。

 生きる時代、生きる世界、国、土地柄、出会う人々 ……

 私は抗う(すべ)もなく、選ぶ権利もなく、戦国の世に命を与えられた。

 生誕の地は山々に囲いこまれていたとはいえ、桃源郷には遠く及ばない。

 当時は甲斐と呼ばれていた、現在の山梨県である。

 その時、その場所に、まぎれもなく「私」は生きていた。


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