9 過ぎた力と、足らぬ力
「わあ! グレンなのね? すっかり変わってしまって……でも、可愛い!」
ヴァリスに案内されて通された一軒家で、レイとグレンは淡青色の長い髪の少女に出迎えられた。幼い印象と、それとは相反する『出るとこは出ている』アンバランスさを持ち、そして感じる力はヴァリス程ではないものの、強いものだった。
「紹介しよう、私の妻でカミラという。人族で言うところの『幼い容姿』をしているが、これでも龍族の成人だ」
「はじめまして、私はカミラ。貴方のお名前は?」
カミラは屈託のない笑顔でレイに尋ねた。
「レイ・ガーラントです。グレンの相棒のようなものですね」
「まあ! 良かったわね、グレン。お友達は大事にしてね?」
嬉しそうなカミラに《まあ、出来れば長く共にいたいとは思う》とそっけないグレン。
「とりあえず、お茶でも飲みながら話そう。グレンはともかく、レイは少々疲れているだろう」
「お気遣い、ありがとうございます」
グレンが目配せすると、カミラがトットットという感じで駈け出した。お茶の用意をするのであろう。
それなりに広い家のようで、幾つかの部屋があるようだった。その中のひとつ、ダイニングに通されると椅子を勧められたので、素直に座る。
「カミラがお茶を用意するまで少々ある。時間を無駄にするのも勿体無い、話を始めようか」
ヴァリスにそう言われ、レイはこの村を訪ねた理由――グレンの愛用していた剣を必要としていること、守りたい少女がいることを正直に話した。黙って聞いていたヴァリスだが、カミラがお茶を持ってくるとそれを一口飲み、「事情はわかった」と口を開いた。
「確かに、あの日――グレンがこの村を出て行く際に、私に預けていった剣はここにある。持ち主であるグレンがそれを君に託す意思を持っているのであれば、渡さないということはない。ただ……」
《ただ、何だ?》
グレンの問いに、ヴァリスはレイの目を覗きこむような視線を向けてきた。
「優れた武器を持ったところで、それを扱うものが未熟では意味が無い。赤子に聖剣を渡しても意味が無いように――」
グレンの言葉に、レイの心は揺さぶられる。その通りだ、レイ自身には、力はない。たまたま『王者の鎧』と手にし、そこそこ戦えるだけなのだ。例えるならば、『贋作』。レイは、『本物』ではない。それはレイ自身が一番わかっているつもりだ。
「貴方の言う通り、僕自身に力はない……それでも、僅かでも可能性を拾えるのであれば、僕はそれを見過ごす訳にはいかない」
「自らを殺すかもしれない――それでも、かね?」
ヴァリスの言葉に、レイは息を飲んだ。何気なく言ったのかもしれない、それなのに、レイはヴァリスの言葉に心臓を掴まれたような錯覚を覚えた。
「過ぎた力は身を滅ぼし、足らぬ力もまた、身を滅ぼす。今の君は、まさにその状態だ。それでも、君は戦うというのかね?」
「守れないくらいなら、死んだ方がマシかもしれない――」
「死んだ方が良いなんて、ありません!」
右頬を、何かが強打した。勢いを殺せず、レイは椅子から転げ落ちる。
「っつ……何が……」
頬を強打した者を見る。そこには、頬を膨らませて「私は怒っています!」と主張するかのように腰に手を当てて立っているカミラがいた。
「命は、尊ぶべきものです。それを粗末にするような人に、何が守れるって言うんですか!」
「カミラ、気持ちはわかるがお客さんに手を上げるのは駄目だよ」
「ごめんなさい旦那様、でもカミラは命を粗末するのは許せません!」
見た目のフワフワとした印象は、すっ飛んでいた。そこには、外見とは異なる迫力を擁した者――龍族が立っていた。
「でも、死ぬ気にならなきゃ、僕には守るだけの力がない……」
「最初から死ぬ気の人間に、勝利なんてありえません。戦いに勝つ者は、皆、生きることを諦めなかった者達なのですから」
そう反論されると、何も言えない。死ぬ気で挑むということは、それなりの覚悟で挑むということだ。だが、最後まで生きることを諦めない者と戦った時、どちらに精神的な強さはあるのか? それは、容易に答えが出せるものではなかった。少なくとも、レイにはわからない。
《カミラ、それくらいで勘弁してやってくれないか。レイも必死なんだ。不器用だが》
「……わかった。グレンがそう言うなら」
《助かる》
何となく話は落ち着いたようなので、あらためて席に座る。「すまないね、レイ」とヴァリスに言われるが、「気にしないでください」としか言えなかった。
「まあ、カミラの言うこともその通りなんだ。最初から諦めていては、見える道筋も見えなくなってしまう。だから、私が君に道筋を示して上げよう」
《おいおい、アンタがレイを鍛えるつもりか?》
グレンの言葉に「君の弟弟子の誕生だな」と、ヴァリスは笑った。
「それって……グレンは、貴方の弟子だったということですか?」
「そうだ。彼は、かつてこの村で私に鍛えられた。自らの一族に伝わるバーナード流ではなく、私の我流戦闘技術をグレンは学んだんだ」
「では、『覇王流』というのは……」
《あれは、ヴァリスの戦闘技術を基礎として、私が自分用に再構築しなおしたものだ。『覇王流』は剣と魔術、そして一部の体術を技として洗練させたものだが、ヴァリスの技は元々は、もっと大きな枠組のものだ》
「まあ、私が生きてきた中で身につけた我流の技だがね。その中でも体術と剣術だけでも君に叩きこもう。付け焼き刃というのも危険だが、無いよりはマシだろう」
あの『覇王』が使った技を使いこなせれば、それだけで戦闘力の向上は大幅に見込めるだろう。だが――。
「それは嬉しい話ですが、時間がありません。今の僕には、修行に割ける時間の猶予は無いんです」
レイの言葉に、「それは問題ない」とヴァリスは微笑んだ。
「これでも龍族の中でも『王』の称号を持つ者なのでね……『秘術』と言われるようなものを、私も持っているのだよ」
《ま、それしか無いだろうな……》
グレンは何やらわかっているようだが、レイにはさっぱり理解出来ていなかった。
「大丈夫! 何も心配することはないわ。旦那様が、これから貴方の魂に触れて、現世とは異なる時の流れの世界でレイを鍛えてくれるから!」
カミラが満面の笑みでそう告げたが、レイは「はあ……?」と、たぶん間抜けな顔で見ることしか出来なかった。
☆ ☆ ☆
ヴァリス宅から離れ、村の奥にある建物――ヴァリス曰く『道場』にやってきたレイとヴァリス。カミラは留守番するということで来ていない。
「これから、君の魂に接触し、君の中の世界――『魂界』に入ります。そこは現世とは異なる時の流れをしており、現世では一瞬でも、『魂界』では数年の時が経過します」
《私もかつて経験した修行だ。こんなやり方、普通はしないだろうな》
「そうですね、私も龍族の中でしか聞いたことはありません。ですが、人族でも問題なく行うことが出来ます」
「はあ……」
半信半疑というか、よくわかっていないレイ。
「時間がない君にはピッタリの修行方法だと思うよ。ただ……死んだ方がマシ、と思うかもしれないけれどもね」
そう言って、ヴァリスは不敵に笑った。
「どうする? 今なら引き返せる。諦めるか、それとも、やはり足らぬ力で自らを滅ぼすか。全ては、君次第だ。選ぶのは、君だ。君の生き方に責任を持てるのは、君だけなのだから……」
ヴァリスは、決断しろと言っている。進むのであれば、そこには『死んだほうがマシ』と思うような地獄が待っているのであろう。
(それでも……)
そうだ。このままでは彼女を守れない。守れないのであれば、それは死ぬことと一緒だ。だったら、答えは最初からひとつだけだ――。
「やります。僕には、その『道』しかない」
レイの答えに、ヴァリスは笑わずに頷いた。
「では、始めようか。君の、レイ・ガーラントの『再生』の修行を」
ヴァリスの言葉に、レイは静かに頷いた。
何が待っているのか、何もわからない。だが、レイはグレンを信じた。そして、そのグレンが信頼していると思えるヴァリスも、信じてみた。
(もう、進むしか無いんだ。だったら、少しでも可能性があるのなら、それに賭けるさ)
向かい合い、床に座るレイとヴァリス。
「目を閉じ、ゆっくり呼吸をしてくれ。徐々に私が『合わせ』ていく」
言われるまま目を閉じ、ゆっくりと呼吸をする。温かい何かが、触れてくるような……そんな感触があった。
そして、レイは静かに沈んでいくような感覚の中、肉体の感覚が遠のいていくのを感じていた。