20 違和感と、新たな影
違和感というものは、放置するべきではない――ギルバートにかつて言われたその言葉を、レイは思い出す事態に遭遇していた。
具体的に『何が』というのは分からない。しかしながら、レイは現状に違和感を感じていた。――『何か』が、おかしい。
気にしないで済みそうな程の違和感。しかし、そこにレイは気持ち悪さを感じた。――これは、何かが起きている。
いつもの街並み。見慣れた風景だ。人々はいつもの日常を過ごしている。その光景に、本来であれば違和感を感じるはずなど、ない――。
(何に違和感を感じている……?)
もどかしい。ちょっとしたことが思い出せない時のもどかしさに、それは似ていた。
違うとすれば、このもどかしさは『死』に繋がるかもしれない、という点であろうか。
レイの直感が、これが何者かによる『攻撃』であると言っている。しかし、その意図が明確に感じられないし、『見えない』。
見た目は平和を保っている街の中で、ただ一人、レイだけが冷や汗をかいていた。
腰の剣に手を触れる。――これは、マズイ。
「?!」
次の瞬間、側を歩いていた子連れの母親が、我が子の腕を掴み、レイに向かって投げ飛ばした。
投げ飛ばされた女の子を慌てて受け止めるレイ。手が塞がったところに、母親がどこから取り出したのか、ナイフを向けてくる。
間一髪、回避するレイ。だが、次の瞬間、レイは左肩に走る痛みに顔を歪める。
投げ飛ばされた女の子が、レイの肩に噛み付いていた。
慌てて女の子を振りほどく。……そして、レイは別の異常に気がつく。――街の人々は、この異様な光景に、見向きもしていなかった。
(幻覚……? いや、それにしては痛覚がハッキリし過ぎているような……)
《どうやら、面倒事に巻き込まれたようだな》
レイの疑問は、グレンが喋ったことで「幻覚ではなさそうだ」という仮定に辿り着く。もっとも、確証は何もなかったが。
「――この手の事象を引き起こせる魔術や道具に、心当たりは?」
《魔王軍が使っていた魔道具に、似たようなものがあった。……ただ、あれはもっと雑なものだったように思うが……》
心当たりはあるようだが、この現象を引き起こしているものと近しい、という程度のようだ。――それはつまり、攻略の糸口が掴めないことを示唆している。
「ちなみに、対処法としてはどんなものが考えられる?」
母親のナイフ、子供の噛みつきを避けつつ、レイはグレンに問う。
《魔道具そのものの破壊か、展開されている術式の破壊だろうな》
「具体的には?」
《いや、言葉通りなのだが》
「参考にならん!」
魔道具は見つけられなければ破壊できない。展開されている術式を破壊するのは、そういったことに長けた者でなければ、ほぼ不可能だ。――つまり、今のレイに、打つ手はない。
「おとなしくしていてくれ!」
手刀を叩き込み、二人をどうにか気絶させることに成功するレイ。
「……手間取り過ぎた、か」
気がつけば、見向きもしなかった住人達が、各々凶器を片手にレイを囲んでいた。
「何だってんだよ……!」
《一般人相手に、お前が手を出せないと踏んでいるのか、それとも――》
「……それとも?」
《こうやって、お前が悩み苦しむのを楽しんでいるか、だな》
グレンに言われ、レイはこれを引き起こしたのが何者なのか、悟った。
「つまり、これは『アイツら』の仕業、ってことか……」
《その可能性が最も高いだろうな。――来るぞ》
飛びかかってくる住人達。それを避けつつ、レイは剣を抜く。
「さすがに、丸腰ではね……!」
だが、斬れるのか? 彼ら彼女らが操られているだけであるというのであれば、斬れば無関係な者達を殺すだけになる。己の身を守るためだけに、それが出来るのか……。
《悩んでいる時間は、なさそうだぞ》
次々と襲い掛かってくる住人達。その数は、どんどん増えていく。
(全員を気絶させるのは、ちょっと無理か……!)
思わず舌打ちする。
武器だけを破壊する戦い方に専念するが、素手になると次は噛みつきが攻撃の主体になる。もはや住人達は、獣だった。
「バースト・ウインド!」
暴風魔術で吹き飛ばすも、倒れた者を踏み越えて次々とやって来る。――キリがなかった。
《かつて、ただ一人で敵軍に囲まれた時のことを思い出すな》
「――その時は、どうやったのさ?」
《総て斬り伏せた》
「……そんなことだと思ったよ」
落胆するレイ。
しかし、多すぎる。ただ斬り捨てるのであれば、もう少し楽だろう。だが、レイにそれは出来ない。次々に襲い掛かってくる住人達を捌きながら、レイは徐々に押されていく。
多少怪我を負わせるのはやむを得ないと、致命傷だけは避けて攻撃するレイに対し、住人達はお構いなしに攻撃してくる。そして、何よりも数に差がありすぎた。何十人という相手に囲まれ、レイはジリジリと後退を迫られていく。
(さすがに、これはマズイぞ……!)
劣勢に追い込まれていくレイ。このままでは――そう思った次の瞬間、グレンは叫んだ。
《レイ、鎧を展開しろ!》
「あ、ああ!」
鎧を呼び、身に纏うレイ。現出した鎧が光を放つと、襲いかかって来ていた住人の数が激減した。――それはまるで、光に溶けるように、その姿を消していった。
「……どうなってるんだ?」
レイの疑問に、グレンは《やはりな》と零す。
《いくらなんでも、住人の数が多過ぎる。だから考えた――本物の住人だけではないのではないか、とな……》
「でも、攻撃を受けた時の手応えは……」
《質量を持った幻影なんぞ、魔道具では難しいが神具――神の生み出したものとされる道具であれば、作り出せるだろうさ。……鎧の加護で消せる程度のもので、助かった》
理解があまり追いついていなかったが、本物の住人は十人程――それなら、レイにも勝ち目はあった。
「検証は、片付けてからだな」
《そうだな》
鎧を纏ったレイの動きについてこられる者はなく、レイは次々と住人達を気絶させていく。数では負けたままであるが、レイにはその不利を跳ね返せる速さと技があった。
「お互いに恨みはないだろうけど――眠ってもらうよ!」
まるで知性のない獣と化した住人達では、鎧を纏うレイの相手ではなかった。
さほど時間もかからず、レイは襲ってきた住人達を全て無力化した。
すべて片付け終わると、レイが感じていた違和感は消えていた。
「――あの違和感は、魔道具の影響下に入っていたから感じていたのか……」
《違和感?》
「ああ……囲まれる直前に、何か違和感を感じてさ……何が、って訳じゃなかったけど……とにかく、違和感を感じたんだ」
レイの説明とも言えない説明に、グレンは《ふむ……》と考える。
《感覚が研ぎ澄まされたことで、そういったことを感知する能力が著しく成長した――そういうことなのかもしれないな。断定はしないが》
「成長、ね……」
辺りを窺うが、襲ってくるものはいなさそうだ。『違和感』がなくなったことを考えると、この『騒動』をしかけた相手が諦めたか何かで、魔道具を止めたのだろう。
釈然としない物を感じながら、レイはとりあえず深呼吸する。――少し、疲れた。
鎧を戻し、剣を鞘に納める。このまま留まると『怪しい人間』として騒がれるのは明白だったので、素早くその場から離れる。騒ぎになるだろうが、後は警察にでも任せておこう。
人通りが少なかったのは、不幸中の幸いであった。下手に見られるのも面倒であったが、巻き込んでしまうことを考えると――それもまた、面倒な話になりそうだったからである。
(クリスとお茶を飲んで、のんびり過ごしたいんだけどね……)
そんなレイの心の中のため息に、応える者はいなかった。
☆ ☆ ☆
(それにしても、直接やってこないとはね……どこかで見ていたんだろうけど)
下宿に戻り、レイはベッドに横になりながら考えていた。
必ず、相手はレイを見ていたと考えられる。だが、その存在をレイは感知できなかった。――それはつまり、相手との実力差があることを意味していた。
《相当手強い相手だろうな、レイ》
「だろうね……」
ジークか、『大いなる意思』か、それともまた別の何者かか――。それを退けなければ、レイとその周囲の人間に平穏は訪れない。
まだ、足りない。天井に向けて開いた右手を眺めながら、思う。自分のこの右手では、まだ誰も守れない。
(少し強くなった――『少し』では、駄目なんだ。どんな理不尽も跳ね返せる強さがなければ、守るなんて無理なんだ)
自分を守れるだけの力では、足りない。誰かを守りながらでも勝てるくらいでなければ……そうでなければ、何のための強さだというのか。
《レイ、お前には私の知る限りの戦い方を教えよう。――だが、戦うのはお前自身だ。強くなれ、レイ。何者にも負けない――己にも負けない戦士になれ》
グレンの言葉に、レイは「ああ」と応える。
グレンは、きっとレイが己に負けそうだというのが分かるのだろう。以前よりも強くなったとは言え、レイはまだまだ『弱い』。その事実に心を折られそうになる瞬間が、時々あるのだ。それに対してグレンは、彼なりの応援をしているのであろう。
《力が強くとも、己に負けて散っていった者は多い。歴史に名を残した英雄の中にもいるくらいだ。己に負けることは、恥ではない。――恥ではないが、それをお前は許せないだろう。だから――後悔しないように、強くなるんだ。己に勝て、レイ・ガーラント》
グレンの言葉は、レイの心のなかにすんなりと入ってきた。ああ、そうだなと、レイに思わせる言葉だった。
《後悔した時は、遅いのだ。それで永遠に失うものもある。私と同じ過ちは繰り返すな、レイ。これは、相棒としての願いだ》
そう言ったグレンの声には、自嘲的な色が含まれているようにレイには思えた。




