18 星空の下の決意
「無事に解決して、本当に良かった」
手土産に持ってきた酒を飲みながら、ヴァリスはそう言って微笑んだ。
例の事件から二ヶ月後。少々遅くなってしまったが、レイはヴァリスに礼を言いにエスタ村を訪れていた。
「貴方のおかげです。本当にお世話になりました」
「ほんの少し、手を貸しただけだがな……だが、それで力になれたというのであれば、酒もより旨く感じるな」
《相変わらず酒好きなんだな……》
呆れたようにグレンがつぶやく。ハイペースではないが、それなりのペースで酒はどんどん減っていった。
(グレンのアドバイスに従って、多めに買っておいて良かったな)
最近は稼ぎも良いので、少々お高い酒も手土産として買えるようになっていた。無駄遣いはしないので、たまにこういうことで出費したとしても、貯蓄は増えるばかりである。
底辺冒険者として無力感に苛まれていた時とは、雲泥の差であった。
(とは言っても、まだランクDだけどね)
冒険者として本腰を入れて活動を始めた結果、つい先日にランクDへと昇格することが出来た。ランクが上がれば受けられる依頼も増えるし、各種特典もある。厄介事も無くはないが、それでもEに比べれば全てが好転していた。
ランクアップを身内は喜んでくれたが、ただ一人、ギルバートだけは「遅すぎだ」と怒っていたのは、仕方ないことだろうとレイは思う。
「そう言えば、カミラさんはどうしたんです?」
「所謂『里帰り』というやつでな……一昨日から出かけている」
「それは、タイミングが悪かったかな……」
《もう少し、早く来るべきだったろうな》
グレンの言葉に反省する。顔を見せに来なければと思いつつ、つい仕事を一通りこなして身内を安心させてから、としたのが失敗だったように思える。
「なに、また顔を見せに来てくれれば良いさ。私もあれも、そんなことは気にせん」
「すみません」
非はレイにあるので、頭を下げる。ヴァリスは「まあ、食べろ」と食卓の料理(ヴァリスの手料理だ)を勧めた。
ヴァリスの手料理は、下手な食堂で食べる料理よりも美味かった。
「『大いなる意思』か……」
「ご存知ありませんか?」
邪神との戦いにも参加していたというヴァリスなら、と思い尋ねてみたが、その答えは「いや、聞き覚えはないな」だった。
「ただ……思い返すと、邪神のやつが気になることを言っていたな。たしか……『何故我を助けてくださらないのか、大いなる父よ』だったか」
「大いなる……父?」
邪神程の存在が助けを求める者……神の家族関係など想像もつかないが、言葉通りであるとすれば、それは邪神の親と呼べる存在であろうか? 考えてみるが、その存在と『大いなる意思』が同一存在であるかどうか結びつけるものは、何もなかった。
「奴を生み出した存在、なのだろうが……その言葉を聞き、我々は身構えたものだ。だが、その時も、その後も、邪神のように災いをもたらす者は現れなかった。我々は奴が暴走し、それを親が見捨てたのではないかと検討したが……その『大いなる意思』の話を聞くと、別の想像をしてしまうな」
「……例えば?」
レイがそう聞くと、ヴァリスは目を閉じ、深く呼吸をしてから語りだした。
「『大いなる意思』が邪神をけしかけ、邪神は世界に災いをもたらした。だが、その邪神を我々が打ち砕いた。邪神は『大いなる意思』の助けが得られると思っていた。だが、『大いなる意思』は邪神を助けなかった……興味がなくなったからだ」
「興味が……なくなった?」
「その後、何があったかはわからないが……『大いなる意思』は、一人の男に目を付ける。そして、ちょっかいを出し始めた。それが『楽しい』ことだから、と」
レイは無意識に奥歯を力強く噛んでいた。ハッとなり、深呼吸すると「まあ、これはただの想像にすぎないが」と、ヴァリスに言われる。
「そのレインという男も、その中でちょっかいを出された奴なのかもしれない。それなりの期間ちょっかいを出されたから、色々知っているのかもしれないな」
《感じた印象としては、そんな感じだな。まるで子供のような奴に感じる》
「力を持っている分、子供よりも厄介だがな……」
ヴァリスの言葉に下唇を噛む。それだけの存在を相手にしなければならないというのに、今のレイではジークにすら敵わない。今回の事件を通して少しは強くなったが、それだけでは不十分に感じていた。
「……もっと、強くならないと」
レイの漏らした言葉に、ヴァリスは「しかし、焦っても技は身に宿らない」と窘められる。
「私も基本的には隠居の身だ、時間ならたっぷりある。ここに来れば、稽古の相手をしよう。私も、こうして関わりあった者が為す術なく死に絶える未来は、避けたいからな」
「……お願いします」
頭を下げ、改めてレイから修行をつけてくれるようにお願いする。ヴァリスは「私の稽古は厳しいぞ?」と笑った。
☆ ☆ ☆
まず最初の稽古、ということで前回訪れた道場で一通りの型を叩きこまれ、気がつけば夕刻を過ぎていた。ヴァリスに勧められ、レイはヴァリスの家に泊まることにした。
汗を流し、夕食を終え、少し外の空気を吸ってくると外出したところ、レイは以前出会った二人――セシルとリゼルと遭遇する。
前回は不審者扱いされて一悶着あったが、今回はヴァリスが事前に気配を察して二人を抑えてくれていたらしく、出会うことはなかった。
「や、やあ……」
「「………」」
とりあえず挨拶してみたが、二人は無言でレイを見ていた。――どちらかと言えば、セシルは睨んでいたが。
「ヴァリス様に言われなければ、今度こそ貴様を叩きのめしてやるのに……」
セシルにそう言われるも、レイは今度も自分が勝つだろうなと、慢心ではなく冷静な頭で判断していた。
今のレイなら、鎧の力を使わなくても勝てる――そう、感じ取っていた。
「まあ、色々思うところはあるだろうけど、こちらとしては敵対したいとは思わないから。手合わせに関してはヴァリスさんに言えば認めてくれるだろうし、言ってみれば良いんじゃないかな?」
「ふん……その言葉、覚えておけよ?」
そう言い放つと、セシルはリゼルを連れて去っていってしまった。……何なんだろうか、と思うレイであった。
二人の背を見送りながら、レイは先程の感覚――鎧の力を使わなくともセシルに勝てる、という判断をした自分に、静かに驚いていた。
(今まで、そういうことはなかったんだけどな……)
敵いそうにないな、と感じることは多々あった。だが、それはどちらかと言えば相手の力量を読んでというよりは、相手の気配に負けてそう感じていた、というのが正しかった。だが、今はハッキリと力量差を感じ取れていた。それは、今までにない感覚だった。
《どうした?》
呆然としていたからか、グレンが尋ねてくる。「ちょっと考え事」と返し、レイも歩き出す。
ちょっとした広間のベンチをみつけ、腰を下ろす。空には星々が輝いており、レイはそれを見上げてため息を吐いた。
「綺麗な星空だな……しばらく、こんな空を見ていなかった気がする」
余裕がなかった、ということなのだろう。思えば、下ばかり見ていた気がする。しかし、今は何もかもが順調だった。その中で、心に余裕ができたのかもしれない。
「……そういえば、こうしてのんびりするなんて、いつ以来だろう」
底辺冒険者だった時も、依頼はこなせていなかったが、暇であった訳ではない。稼ごうと思えば、ランクDではそれなりの数をこなすしかない。その中で取りこぼしがあるのであれば、さらに数を増やすしかない。そうなれば、余裕などなくなる訳だ。
「『貧乏人と休みは縁が無い』なんて、上手いこと言ったもんだ」
《まだ言われているのか、その言葉は》
どうやらグレンの時代でも言われていたらしい。そこそこ古い言葉だと聞いたことはあったが。
《『名君、無駄な時を過ごさず』という言葉もある。寝る時間を惜しみ、何かを為そうとするのではなく、睡眠をしっかり取り、その分無駄な時間をなくして励むという言葉だ。今の君には、こちらの言葉が相応しいだろう》
「名君て柄じゃ、ないけどね」
そう言って苦笑すると、『未来は誰にもわからんさ』とグレンは笑ったようだった。
「色々上手く行き始めているけどさ……やっぱり、不安なんだよ」
《……不安?》
レイは、己の相棒であるグレンに心中を吐露する。
「『大いなる意思』のこともそうだけど、自分のこれからとか、それと……クリスのこととか、さ……。前向きになろうとは思うけど、やっぱり不安なんだよ。大丈夫かな……ってさ」
目の前の道が、突然崩れてしまうのではないか――そんな不安が、レイの中にはあった。元々、暗くてよく見えなかった道だ。そこをどう進んだら良いのか、という不安が、少し明るくなった今は「この未知は崩れないだろうか?」という不安に切り替わったといえる。
一歩進んだようで、実は全然進んでいない気がするのは、そういう不安を抱えているからだろうか。
《安心しろ、と言ったところで、簡単に人の不安は拭えるものではない。自分自身で、それは乗り越えるしかないだろうな》
申し訳無さそうに言うグレンに、「まあ、そうなんだけどね」と苦笑する。
根本的な問題を解決しないかぎり、この不安はずっと消えないだろう。そしてその根本にあるのは、レイ自身が感じている、己の弱さだ。
(強くならないと……心も、体も。そうしなければ、いつまでもこの不安は消えない。そして、何も守れない……)
レインは言った――レイが諦めた瞬間、全てを失うことになる、と。そしてそれは、クリスを失うことでもある。もっと強くなれ、そうしなければ何も守れない――レインはそう言っていたのだ。
「後悔しないように、か……」
《……奴の――レインという男が言っていたことが気になるか》
「まあね……」
レインは、『大いなる意思』のことをよく知っているようだった。そして、負けたことがある……。彼は、後悔している。弱かった自分を、守れなかった自分を。そして、自分のようになるなと、レイに言った。
「やれることをやっても、後悔しないとは限らない。それでも……何もやらず、後悔するのだけは嫌だ」
《当然だな》
「今の日常が続いていく、そんな毎日が過ごせるように……僕は――僕達は、強くならないと」
言い直した『僕達』に込められたものに、グレンは気が付いてくれたようだった。
《そうだな……共に立ち向かおうじゃないか、相棒よ》
レイは、何だか照れくさいものを感じつつも、悪くはないな、と思った。
「やってやるさ……魔王以上の存在だろうと何であろうと、邪魔はさせない」
星空を見上げながら、レイは決意を新たにした。




