16 祝杯
夜明け前の街中を歩き、レイは下宿に辿り着いた。疲れた身体に怠さを感じ、ため息混じりに自室を目指す。……すると、扉の前にはクリスとマリーダ、そして兄――ジン・ガーラントの姿があった。
「兄さん、何で……」
「話は二人から聞いた。どうしてもお前を待つのだと言うから、こうして付き添った訳だ」
流石に勤務外なので、ジンの服装は私服姿だった。
見苦しくない、清潔感のある白いシャツに、シワ一つ無い黒のボトムス。レイと同じ、黒髪に中肉中背という姿ながら、ジンの方が顔が良く見えるし、シャキッとして見えるのは『中身』の問題なのであろうか?
「無事に戻ってきたということは、『終わった』ということで、良いんだな?」
ジンが、まるで尋問でもするかのようにレイに尋ねる。その顔を見て、レイは「あ、これは怒っているな」と思った。
「色々あったけど……とりあえずは、ね。――カイル・レドリックがちょっかいを出してくることは、もう無いんじゃないかな?」
「そうか」
ジンはそう言うと、レイの頭に拳骨を落とした。
「痛っ!」
「どうしてお前は、俺に相談しないんだ!」
「ちょ、兄さん、近所迷惑!」
レイの指摘に「むぅ……」と唸ると、ジンは「とりあえず部屋に入れてくれ」と、ため息を吐いた。
☆ ☆ ☆
「相談しなかったのは悪かったけど、兄さんの手を煩わせたくなかったんだよ」
「弟が困っている、しかもそれには幼なじみであるクリスの問題が関わっているとなれば、俺だって何かしてやりたいさ。……それを後から聞かされる方が、俺は嫌だね」
今年で二十六になるジンだが、今はまるで子供のように拗ねていた。
騎士として世間の評判高い兄ではあったが、レイにとっては目の前にいる大人げなく拗ねている姿の方が、馴染み深いものだった。人格者であり、努力家で、頭の回る自慢の兄ではあるが、家族の前では少々子供っぽいところをみせることがあった。
「――で、一応お前の行為は不法行為なんだが、何か証拠を残すことはしていないだろうな……?」
「王立騎士団騎士の言葉とは思えない言葉が飛び出してるけど……」
「時と場合により、緊急性が認められれば、ある程度の不法行為はお咎め無しで済ませることもある。今回のは、まあ……難しいところだが」
ジンはそう言って頭をかく。……まあ、屋敷に押しかけて剣を振り、魔術を放っては……やり過ぎと言われても、否定はできない。
「とりあえず、俺は何も知らないし、お前はレドリック邸には行かなかった。今日……というか、昨日か。昨日はクリスの抱えている問題を解決するために、俺達兄弟が色々話し合う内に明け方を迎えてしまった……ということにしておこう」
「悪知恵を働かせるようなことになって、ごめん」
「ごめんなさい、ジンさん」
クリスも頭を下げる。ジンは「よしてくれ。何も出来ずに二人に辛い思いをさせるより、遥かにマシな選択をしただけだ」と苦笑した。
「襲撃時は仮面をしてたし、カイル・レドリックは自分のことで手一杯だろうし、問題ないと思うよ」
「……何か、あったのか?」
「自分の悪行が、部下の裏切りで露呈したらしい。快適な獄中生活まであと僅か、かな?」
どの程度の罪に問われるか分からないが、たとえすぐに釈放されたところで、カイルがクリスに手を出すことは実質的に不可能だろう。あるとすれば、逆恨みによるレイの暗殺くらいだが……それも金がかかることで、現実味は薄い。
「その辺りは、俺が調べておこう。今日出勤すれば、何か分かるかもしれん」
「じゃあ、そこはお言葉に甘えて調べてもらおうかな」
「お願いします、ジンさん」
「私からもお願い致します、ジン様」
クリス、マリーダが頭を下げる。「わかったから、顔を上げてくれ」と、ジンは居心地が悪そうだった。
「ギルに『見守ってやれ』とは言われていたんだがな……結局、俺は何も出来なかったな」
「ギルバートさんが?」
意外な話に、レイは驚く。ギルバートには、今回の件で手助けを頼んで断られたという経緯がある。……もっとも、それは仕方のない事だし、グレンと引き合わせてくれた恩があるので、気にしてはいなかったのだが。
「『立場上、表立って協力はできないが、レイが厄介事を抱えている。俺よりはお前の方が動きやすいだろうから、見守ってやれ』ってね」
「ギルバートさん……」
ギルバートには頭が上がらないなと、改めて思うレイ。彼には助けられてばかりである。
「だが、それで色々調べてみれば、エヴァンス家は大変なことになっているし、話をクリスに聞けば、お前は何やら危ないことを考えているようだし……結局、気がついたら終わっていたって訳だ」
「ほんとゴメンって……」
「いや、俺も肝心な時に頼りにならないなと、自嘲したくなってな」
そう言ってジンは苦笑する。
「まあ、お前の話通り、カイル・レドリックに何かあるとすれば、問題にならない可能性は高そうだ……念の為に気をつけておくが、お前もボロを出さないように気をつけてくれよ?」
「わかってるよ、これ以上兄さんに面倒かけるつもりはないって」
そうレイが告げると、「まあ、それはそれで寂しいところもあるがな……」と呟くジン。レイは、聞こえなかったふりをする。
「とにかく、もう遅い……というか、もうすぐ夜明けなんだが。とりあえず、二人をエヴァンス家まで送っていくよ」
ジンがそう言うと、クリスが「少しだけ、レイと話をさせてください」と言い出す。
マリーダは何かを言いかけたが、何も言わず「では、ジン様と外で待っていますので」とジンを促して部屋から出ていこうとする。
ジンも何かを言いたそうな顔をしていたが、何も言わずにそのまま出て行った。
「レイ……本当に、ありがとう。無茶を言った自覚はあるの。それでも、私は……」
そう言って、クリスはレイの胸に飛び込んできた。
どうしようかと迷ったレイだったが、しばし迷った後、クリスを抱きしめた。
「まあ……惚れた弱み、ってやつかな……仕方ないよね」
苦笑するレイの顔を見上げるクリス。その顔は、少し驚いていた。
「今……何て?」
そんなクリスの表情が少しおかしくて、レイは思わず微笑んでしまう。
「さあ……何て言ったかな?」
「……意地悪なのね、レイって」
「君に言われたくないかも」
そんな事を言いながら、何も言わぬ相棒のことを考えるレイ。
(お互いに、気まずいよなあ……)
クリスを離し、彼女の頭を優しく撫でる。
「今日はもう疲れた……クリスも、もう休んだ方が良い。話は、また後で」
「……わかった。また来るわ」
「いや、僕の方から会いに行くよ。……夕方、君に会いに行く。ローレンツさんにも、色々話をしないといけないだろうし、ね」
「……じゃあ、待ってる。必ず、会いに来てね」
おとなしくなった彼女に、幼き頃の姿を重ねる。今では強気な彼女も、幼い頃は少々気弱なところもあったのだ。
「……どうしたの?」
「いや、ちょっと昔を懐かしんで、ね」
詳しくは話さない。それは少し、照れくさかった。
「じゃあ、気をつけて。……兄さんがいるから、大丈夫だとは思うけどね」
「ええ。それじゃあ、また」
扉を開け、クリスを送り出す。
「兄さん、申し訳ないけど二人を頼みます」
扉の前で待っていたジンにそう告げると、「ああ、お前ももう休め」と返される。
「それでは、おやすみなさいませ」
「おやすみ、レイ」
マリーダとクリス、そしてジンを見送り、部屋の中に戻る。
《全て片付いた、とは言えなさそうだが……ひとまずはお疲れ様というところだな》
「そうだね、少しはゆっくり寝させてもらうよ……」
疲労感が急速にレイの身体を重くしていく。ベッドに倒れ込むように横になると、重い瞼を上げることは困難になっていた。
「おやすみ、グレン……」
《ああ。今は、ゆっくりと休め》
グレンの言葉を聞き終わると、レイの意識は暗闇の中へと溶けていった。
☆ ☆ ☆
夕刻。睡眠と食事、そして風呂で疲れを癒やしたレイは、仕事を終えたジンを伴ってエヴァンス家を訪ねていた。
「ジン君、久し振りだね。活躍はよく耳にするよ」
「お恥ずかしい。まだまだですよ」
久しぶりということで、握手をして再会を喜ぶローレンツとジン。
「レイ君、今回は本当にありがとう。君のおかげで、私は最低な父親にならずに済んだ」
「頭を上げてください、ローレンツさん。今回のことは、自分自身で決断したことです」
頭を下げるローレンツ。そして、同席していたクリスとマリーダも、同様に頭を下げていた。
「とにかく、落ち着いて今回のことを話しましょう。兄からもカイル・レドリックのその後について、話がありますから」
「――という訳で、カイル・レドリックは商業規定違反その他諸々及び脅迫罪で逮捕。法定での判決待ちですが……しばらくは刑務所暮らしとなりそうです」
ジンの話では、やはりあの後カイルは逮捕されたということだ。カイルが気絶していたこと、屋敷内外で多数の負傷者が倒れていたことについては問題になったらしいが、『レドリック家に恨みを持つ裏社会の組織が、襲撃を計画している』という事前のタレコミがあったため、それに関係しているのだろうと、捜査は進められているという。
(ジークの言っていた『小細工』のひとつ、か?)
確認しようもないが、自分から遠ざかってくれる状況であれば、文句は無かった。
「レドリック家の財産は没収。諸々片付けば、被害者への救済も始まるだろう、という話らしいです。……全額とはいかないかもしれませんが、エヴァンス家が支払った金額は『本来発生しなかったもの』としてレドリック家の財産から回収できるだろう、と担当者から話を聞いています。まあ、時間はかかりそうですが……」
「私自身は懐を痛めていないが、レイ君が提供してくれたものだからね……」
そう言って申し訳無さそうなローレンツ。
「気にしないでください。僕自身も、本来であれば手元になかった『お金』ですから。それに……」
そこまで言って、急に気恥ずかしくなる。――ジンを呼んだ場で話すのはやめておけば良かったと、少しだけ後悔したが……いずれ、わかることではあった。
「報酬として、クリスをいただくのですから。安いものですよ」
言って、顔が赤くなった自覚があった。
「報酬って、お前……」
ジンが、信じられないものを見たという顔でレイを見る。
「いや、あの、これはね……」
慌てるレイ。――ジンの顔が、怖かった。
「お待ち下さい、ジンさん。これは、二人にとって都合が良い『報酬』なのです」
突然そんなことを言い出し、レイの側に寄り、腕を絡ませるクリス。
「その……素直になれない二人には、あの……とても、都合が良かったのです……」
顔を赤くしながら、そんなことを言うクリス。二の腕に触れる柔らかな感触にドキドキしつつ、レイは「え、何言い出してるの君?」と困惑していた。
「私は、レイの側にいられる。レイは、私を側に置ける。ふ、二人にとって、都合が良いのです!」
「ああ、クリス……」
マリーダが、よろよろと崩れ落ちる。……何か、ごめん。そう思うレイであった。
「クリスがそう言うなら……というか、良いんですか?」
ローレンツに視線を向けるジン。ローレンツは「思うところはあるが、好き合う者同士を無理に離しても、ね」と、天を仰いでいた。
「……レイ、後でお前に話がある」
「はい……」
ここは、おとなしく言うことを聞こうと思ったレイであった。
「とにかく、これで諸々は解決、エヴァンス家の皆さんには安心していただけると思いますよ」
「……そうだね」
ジンの言葉に、素直には頷くことは出来なかった。ジークと、彼の『主』という存在が、また何かしてくるのではないか……。そんな不安が、レイの中にはあった。
(あの男――レインも、気になるしな)
レインはジークとその『主』を追いかけているようだった。そうであれば、また出会うこともあるのだろうか?
(その時は、今回よりも苦労しそうだな……)
レイは、自らの右掌を眺め、そう思う。今の自分では、ジークのような相手に勝てない。それでは、クリスを守れない。レイは、強く『強くなりたい』と思うようになっていた。
「レイ……?」
クリスが心配そうに声をかけてくる。少し、考えに集中しすぎたようだった。
「……いや、疲れが抜けていないのかな、少しぼうっとしちゃったよ」
あはは、と笑って誤魔化す。それをジンは、レイが何かを誤魔化した時に「何か隠しているだろ?」と尋ねる時同様の顔で見ていた。……さすがに、誤魔化しきれなかったようだ。
だが、ジンは何も言わなかった。
「とにかく、今回の依頼達成とエヴァンス家の無事をお祝いして、祝杯といきましょう!」
持ってきていた酒(資金提供はジン)を取り出し、「さあ、飲みましょう!」と場を無理やり明るくするレイ。
「そうだな……今は、全てが無事であることを祝おう」
そう言って、ローレンツは笑った。
ローレンツに言われ、マリーダがグラスを用意する。それに酒を注ぎ、それぞれがグラスを手にする。
「それでは、エヴァンス家の今後の平穏を願いまして……乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
食事もつまみもないが、平穏という現状を噛み締めながら、全員笑顔でその酒を味わった。
※この世界では16歳から飲酒が認められています。
※現実では、日本国内ではお酒は20歳から。法律は守りましょう!




