13 英雄に焦がれる者
一瞬だったのか、それとも長い間意識を失っていたのか……身を起こしながら、レイは腕を組んだままレイを見つめているヴァリスを見る。
「どれぐらい倒れていました?」
「ほんの少し、だな」
思っていた程、長くはないらしい。それを確認すると、折れて消失した剣を再生し、構える。
「何度やっても、今の君に『その壁』は超えられないと思うがね」
ヴァリスの言葉に苦笑する。自分でも「そうだろうな」と、素直に思えたからだ。
「……? 何か、可笑しいかな?」
怪訝そうなヴァリス。それに対して「いいえ、何でもありませんよ」と答える。
もう一人の『レイ・ガーラント』は、自分に何を伝えようとしているのか? その真意は定かではないし、そもそもそういった話ではないのかもしれない。ただ、この『魂界』に来て触れたその『記憶』は、レイの助けになったのは確かだ。
自分が何者であるのか――それを、レイは見つめ直すことが出来た。
「今は、やれることを――赤子は、急には大人になれない」
当たり前のことを、あえて口にする。そうすることで、自分自身に言い聞かせた。
自分は強くない。賢い人間でもないだろう。でも、それを悲観することも、諦めることもないのだ。
(分かっていれば良い……分かっていれば、何かが出来る)
過信してはならない。過信は隙を生む。その『答え』に辿り着けば、何てことはない、当たり前のことだった。
「迷いは晴れた、ということか」
ヴァリスの纏う雰囲気が変わる。それは、これまで以上に『強さ』を感じさせるものだった。
「お願いします」
「来るが良い」
踏み込む――距離を縮め、さらに、目に見えない『領域』とでも言えば良いだろうか、その空間に足を踏み込む。この『領域』は、ヴァリスが支配する空間――レイにとっては本来避けるべき空間だ。
ヴァリスの剣技、体術はレイでは歯が立たない。邪神と戦い、そして勝利した英雄の一人だ、レイが勝てる筈がない。
(けれど……この戦いの目的は、勝つことじゃない)
どうにかヴァリスの攻撃を耐えつつ、レイはこの戦いの『目的』を考える。
これは、レイを少しでもマシな『戦士』へと鍛えるための戦いだ。勝てるのであれば、それは大きな成果と言えるが、そこまでいかなくとも、『王者の鎧』に振り回されない程度の強さを手に入れられれば良い。
ここ『魂界』が時間の流れがゆったりとした世界で、外よりも時間の経過が遅いとはいえ、たった数ヶ月、数年分の修行で『英雄』を超えられるなんて夢物語は、無い。レイにはそんな『素質』は無い……それが、レイの自己評価だ。だから、超えられなくても、成長さえ出来ていれば十分なのだ。
(だからといって、このままって訳にもいかない……!)
レイの成長に合わせて加減を変えているヴァリス。そのヴァリスに一撃を入れるのは、不可能に近いように思える。それでも、一撃を入れることは、勝つということ以上に今のレイにとっては重要だった。
(ヴァリスの想像を超えるんだ……英雄を出し抜け。その思考と技が、俺の新しい『力』になる!)
何もかもがヴァリスには届かない。それを理解したうえで、ヴァリスに一撃を入れるためにはどうすれば良い?
(限界を上げるんだ……自分の中の、限界を)
自分が決めてしまっている限界、それをひとつでもふたつでも超える――ヴァリスの想像する、レイの成長を超えること。それだけが唯一、今のレイに残された道だ。
「あまり考え事に集中していると、足元が無防備だぞ」
「くっ……!」
ヴァリスは当然ながら、待ってはくれない。足技を避け、一旦距離を取る。
すぐに距離を詰めてくるかと思ったが、ヴァリスはそのままの距離を維持する。
「迷いとは違う、試行錯誤の『意志』を剣から感じる。少しは成長した、ということかな?」
ヴァリスはそう言って微笑んだ。
「初めての『魂界』で、さすがに疲労も大きいだろう。残された時間はあと僅か……さあ、君の『答え』をみせてくれ」
ヴァリスが残り時間について言及する。この修業も終りが近いということだ。
「足掻いてみせますよ、最後まで」
「では、これで最後としよう」
ヴァリスが構え直す。正面に剣を構えたその構えに力みはなく、自然体に思えるほど。隙があるようにみえるのに、飛び込めば返り討ちにある未来が見えてしまう……これまでに何度も、その餌食となった。
(ただ真似したって、その本質を手に入れることが出来る訳じゃない。それでも、これは大きなヒントだ)
同じ構えを取り、息を深く吐く。そして、蹴り出す。
距離を詰め、同時に右下段から左上段へと斬り上げる。ヴァリスにそれをいなされると、次は左からの横薙ぎ。しかしそれも受け止められる。
「シャイニング・ブラストっ!」
左手で、至近距離からの閃光魔術。近すぎて自らもダメージを負うが、構わずさらに踏み込む。
突きは半身で躱され、反撃で左膝蹴りをもらう。追撃の左肘打ちを背中に受け、倒される。
迫る追撃を感じ取り、転がりながらその場を離れる。立ち上がれば、ヴァリスが剣を地面に突き立てていた。
「良い反射だ」
そう言って笑うヴァリスに、レイは苦笑する。あらためてその圧倒的な実力差を実感させられた。
再び距離を縮め、打ち合う。抑えているであろうが、それでもヴァリスの方があらゆる速度が速い。まともに打ち合っても勝てはしない。しかしながら、距離をとったところで、レイにアドバンテージは無いのだ。
「バースト・フレイムっ!」
爆発炎上。それでダメージを与えられるとは思っていない。
(魔術は有効活用しろ)
この修業で学んだことのひとつだ。
「シャイニング・ブラストっ!」
距離をとったヴァリスに対して閃光魔術で牽制し、こちらは距離を詰めていく。
もう、絶望はしない。己が何者であるか、レイは理解したのだから。
(俺は……レイ・ガーラントは、最弱の敗者だ……だから、これ以上悲観することはないんだ)
自分は強い、強くなったと思うから、強大な相手との差に絶望するのだ。自分で言ったではないか――「『彼女だけの英雄』にだって、なれないのかもしれない。でも、なれないと思って諦めるのと、なれないかもしれないけれど諦めないのとでは、どちらが自分に正直になれるか」と。自分が何者であるのか……その答えを、レイは得たのだ。
「僕は、レイ・ガーラント。それ以上でもそれ以下でもない、最弱の敗者――英雄に焦がれる者だ!」
全力で踏み込み、左下段から右上段に斬り上げる――それは、通った。
「見事だ、レイ・ガーラント」
それは浅かったが――たしかに、ヴァリスの胸を斬りつけていた。
「技も重要だが、最も重要なことは、己の精神だ。同じ技量であれば、最後に差をつけるのはその者の精神――気持ちの強さだ。今、君はその重要性を体現してみせた」
ヴァリスは満足気に微笑んでいた。
「さて、とりあえずこれで『魂界』での修行は終わりにしよう。次は、現実世界で仕上げといこう」
そうヴァリスが言うと、世界が闇に包まれていくと同時に、意識が遠のいていく。
「君は、アイツよりも強くなれるかもしれないな」
そんなヴァリスの声を最後に、レイは意識を手放した。
☆ ☆ ☆
「気が付いたか」
少しぼんやりする頭を抑え、周囲を確認する。そこは、道場だった。
「『魂界』での修行は魂に少なからずダメージを与える。疲労感を感じるだろう」
たしかに、レイは少なからず怠さを感じていた。
「少し休んでから、と言いたいところだが……時間がないので、このまま仕上げに入ろう」
そう言って立ち上がったヴァリスは道場の壁から木剣を取ると、一振りをレイに投げた。
「技は君の魂に刻まれた。だが、身体はそうではない。それは違和感となる。だから、これからその違和感を無くす」
「練習を経ての実践、という訳ですか」
「その通りだ」
ヴァリスが構える。レイも立ち上がると、同じく構える。
「始めよう」
ヴァリスが距離を詰め、上段から打ち込んでくる。半身でそれを躱し、横薙ぎで反撃するが、躱される。
(たしかに、違和感がある。身体が付いてきていない……)
体で覚える、とはよく言ったものだ、とレイは思う。実際に身体を動かして得た技ではない、それを再現しようとすると、慣れない動きに身体が反応しきれていないのだ。
打ち合いながら、身体を慣らしていくしかない。ヴァリスの高速の剣技に押されつつも、レイは必死で食いついていく。
「まだ踏み込みが甘い」
「くっ……!」
まるで修行を巻き戻されてしまったかのようなもどかしさを感じる。しかし、それでも絶望的な焦りは感じていない。辿り着けない場所ではない――その確信が、レイを支えている。そして、『魂界』で辿り着いた『答え』も、今のレイを突き動かす動力源となっていた。
全力で挑む。そうしなければ、いつまでも身体は限界付近での動きを覚えない。疲労感が次第に身体の動きを奪っていく中、歯を食いしばってヴァリスの動きについていく。
魂の疲労だけではない、現実世界では肉体の疲労も足を引っ張っていく。だらだらと長引かせる訳にはいかない。
「さあ……ここで終わりか、レイ・ガーラント」
ヴァリスの言葉に下唇を噛む。口の中に血の味が広がる。
「まだまだっ!」
ついてこない身体を、どうにか動かそうと気を張る。もっと動け、動け、動け! 十の力が出ないなら、十二の力をイメージする。自らが――自らの肉体が決めた限界を超える。身体が軋む。彼方此方が悲鳴を上げる。それでも、前に。ヴァリスに一撃を入れるために、ひとつでも先に。
「うおぉぉぉっ!」
意識と身体がひとつになる――そんな感覚がレイを包む。『魂界』でヴァリスに入れた一撃と同じ動き、それが今、再現されようとしているのをレイは自覚していた。
(このまま……振りぬけっ!)
全力の一撃。それは、破裂音となり、望んだ結末とは異なる現実をレイの前に現れた。
「相打ち、といったところか」
ヴァリスの――いや、二人の木剣は砕け散っていた。レイの一撃は、ヴァリスによって防がれたのだ。
「大いなる力を宿した木を使い、丹念に仕上げた木剣なのだがね……こうも見事に破壊されるとは」
ヴァリスは剣先を無くした木剣を見て、苦笑していた。
「見事な剣だった、レイ。付き合った甲斐があったというものだ」
「ありがとうございます……大きな成果だとは思いますが、ちょっとだけ悔しさも感じますけど」
そう言って苦笑する。贅沢なことだ。英雄を相手に、一撃を入れられなかったことを悔やむなど。
「年季の違い、としておこう。種族的なアドバンテージもあるがね。だが、その私を相手にあれだけやれるのであれば、大したものさ。このまま修行を積み重ねていけば、まだまだ強くなれると思う」
「本当ですか?」
「嘘を言う必要はないだろう。――お前もそう思わんか、グレン?」
ヴァリスの問いかけに、それまで黙っていたグレンが《そうだな》とだけ答えた。
「なんだ、それだけか?」
《正直なところ、レイがこれだけやれるとは思わなかった》
「……なんだ、嫉妬か?」
《……そういうのではないさ》
ヴァリスとグレンのやり取りに、レイは首を傾げる。
(『覇王』が嫉妬? まさか……)
苦笑する。おそらく、予想以上にレイがやれたことで、驚いただけだろう。そう結論付ける。
「魂の疲労にも効く秘薬をやろう。――急ぐのだろう?」
ヴァリスの言葉に頷く。安心してのんびりしている訳にもいかなかった。
「ええ。早く決着をつけないと」
《慌ただしくてすまないな、ヴァリス》
「気にするな。……今度は、暇な時に来い。歓迎する」
ヴァリスはそう言って笑った。
「おっと、肝心なものを忘れていたな」
そう言うと、ヴァリスは道場の奥にある箱を開け、中身を取り出す。
「お前達が探していたもの、これを渡さなければな」
布に包まれた物――グレンがかつて愛用していたという剣を、ヴァリスから受け取る。
「これが、グレンの……」
「まだ『覇王』なんて呼ばれる前に使っていたものだ。特に何かの力を封じられている訳ではないが、純粋に剣としてみればなかなかの業物だ」
《今のお前には十分な代物だろう》
布を外し、鞘から剣を引き抜く。
「綺麗だ……」
その刀身は、丁寧に管理されていたのもあるだろうが、とても美しく輝いていた。
「その剣で、君の大切な人を守ると良い」
「はい」
ヴァリスの言葉に頷く。
足りなかったもののひとつが、今、レイの手の中に収められた。
「これで君は技と武器を手にした。ここに来るまでの君と比べて、今の君は強くなった。だが、忘れてはならない。君が、何のために戦うのかを」
「何のために……」
「それを見失った者が、悲しい結末へと辿り着くのだ。かつての『覇王』のように」
ヴァリスの言葉に、胸元のペンダントを見る。――グレンは、何も言わなかった。
「力が人を狂わせるなどと言われるが、そうではない。弱さが人を狂わせるのだ。強い心を持て、レイ・ガーラント。そして、君が辿り着いた『答え』を忘れるな。そうすれば、君は己の求める自分に辿り着けるだろう」
「はい」
素直に頷く。
「さて……これだ。味は悪いが、効果は保証できる。飲んでおくと良い」
ヴァリスが胸元から取り出した小瓶を受け取り、中身を飲む。薬草臭さが酷い、『薬』といった感じの液体だった。
「すぐに気怠さがなくなるだろう。それに伴い、肉体の疲労も和らいでいく」
「ありがとうございます。何から何まで……」
「いや……昔導いてやれなかった弟子にし忘れたことを、したかっただけだ」
そう言って笑うヴァリスは、どこか寂しげに見えた。
「あとは、これもついでに渡しておこう」
ヴァリスはもうひとつ、胸元から袋を取り出すとレイに手渡した。
「これは?」
「少しでも足しになれば良いのだが」
中身を確認し、レイは「これ……」と言ったまま、開いた口が塞がらなかった。
「グレンを連れて来てくれたことへの感謝の気持ち、とでもしておいてくれ」
「で、でもこれは……」
さすがに、素直に「はい、ありがとうございます」と貰うのは、気が引けた。
《貰っておけ、レイ。どうせこの村では、必要にならん》
「けど……」
限度というものがある。
「なら、必ずこの村を再び訪れてくれ。そうだな……君の大切な人と一緒に。その『依頼料』とでもしておこう。どうかな、冒険者殿?」
そこまで言われては、受け取るしかないと諦める。――依頼料にしては、高すぎる気はするが。
「では、その依頼を受けさせていただきます」
「そうしてくれ」
ヴァリスは、優しく微笑んでいた。
☆ ☆ ☆
「それでは、これで失礼します。また、あらためてお礼に伺います」
「いつでも来ると良い。歓迎するよ」
「今度は美味しい料理も用意するからね!」
そう言って微笑んでくれるヴァリス、そしてカミラに見送られ、レイは村を後にする。
村の入口では二人――セシルとリゼルが立っていたが、彼らは何も言わずにレイを見送った。
「さて、『英雄』になりに行きますかね」
《やることは悪党に近いがな》
グレンにそう言われ、苦笑する。だが――悪くない。
「別に、正義の味方なんて気取るつもりはないさ。僕は、クリスだけの『英雄』だからね」
そう言うと、グレンは笑ったようだった。
「とりあえず、クリスの家に行こう。――反撃開始だ」
《楽しそうだな、相棒よ》
「そりゃ、楽しいさ! 僕は、英雄に焦がれる者だからね」
レイは、身も心も軽くなった気分でクリスの家へ向かった。




