11 限界と焦り
長い夢を見ていたような……そんな、ぼんやりとした感覚から覚醒する。目の前には、暗闇が広がっていた。
真っ暗なのか、と思ったが、不思議と自分が立っている周辺は明るく感じる。何とも妙な空間だった。
「どうかしたかな?」
声に振り向くと、そこにはヴァリスが立っていた。
「あ……いえ。何だか、長い……とても長い夢を見ていたような気がして」
レイの言葉に「ふむ」と考えこむようなポーズを取るヴァリス。
「もしかしたら、『魂の記憶』に触れたのかもしれないな」
「『魂の記憶』?」
「ここ、『魂界』は魂の世界。ここには、魂に刻まれた『記憶』がある。極稀にだが、『魂界』に入った者が己の魂に刻まれた『記憶』に触れることがあるんだ。君も、そうなのかもしれないね」
言われると、そうなのだろうか? と思える。しかし、あれはまるで、これから辿ってしまう『最悪の未来』のような気がした。
「それは、未来も見えるものなのですか?」
レイの問いが意外だったのか、ヴァリスはしばし考えこむ。
「……未来、と言い切ってしまうのは乱暴かもしれないが……言うなれば『ひとつの可能性』を見ることは、あるだろうね」
ヴァリスはそう言うと、右手を左手を胸元まで上げ、そこから左右に離した。
「たとえば、右と左に別れた道で、どちらに進むかという選択肢がある。実際は右に行ったとして、『別の世界』では左に行っているかもしれない……そんな、別の世界の自分自身と繋がる可能性は、否定出来ないのがこれまでの研究結果なんだよ」
「研究されているんですか?」
「龍族では、かなり古くからの研究テーマさ」
そう言って笑うヴァリス。
「ちなみに、どんな『夢』だったのかな?」
ヴァリスに問われ、自分が見ていた(と思う)内容を話す。
話を聞いたヴァリスは再び考えこむ。そして、ひとつの推測を話してくれた。
「これは推測に過ぎないけれど、君が『失敗した』と感じる結末に辿り着いてしまった君の記憶を見てしまったのかもしれないね」
「失敗したと感じる結末、ですか」
「聞いた感じだと、それは『君が守りたかった者を守れなかった未来』というひとつの可能性のように思える。その『記憶』に、タイミング良くというか、悪くというか……接触してしまったのだろう」
ヴァリスの推測は、当たっているような気がした。あの『夢』の語り部……あれは、自分よりも年齢を重ねていたようだが、自分自身であるような気がする。だとすれば、『今は亡き少女』というのは――。
「……ありがとうございました。スッキリはしませんが、とりあえず何であったのかわかって落ち着きました」
「では、修行を始めようか」
ヴァリスは何もなかった手の中に一振りの剣を取り出し、構える。
「『魂界』はイメージが力になる。君の剣をイメージするんだ――それが、君の『武器』だ」
言われて、己の右手の中に武器を――剣をイメージする。すると、ヴァリスと同じように手の中に剣が生まれた。
確認したヴァリスは頷くと、間合いをとる。
「では、はじめよう。私は座学で叩き込む、ということはしないよ。君自身の身体……というか、魂で覚えてもらう」
「……お願いします」
剣を構える。ヴァリスの動きを見逃さぬよう、意識を集中した。
☆ ☆ ☆
「さて、これで何度目かな?」
笑わず、落胆もせずにヴァリスは言う。それをレイは、地面に寝転びながら聞いていた。
もう、どれぐらいの時間が経過したのだろうか……レイ自身には、それはわからなかった。そして、こうして倒れるのも、もう何度目かわからなくなっていた。
「ま、まだまだ……」
立ち上がり、剣を構える。
何度も折られ、何度も再生させた剣。その都度、レイは凄まじい痛みと疲労を感じた。
「剣もその身体も、どちらも君の魂そのものだ。折られたり斬られれば、それは魂へのダメージとなる。『死んだ方がマシかもしれない』というのは、そのためだ」
たしかに、実際に斬られている訳ではないが、そのダメージはたしかに感じている。そして、命の危機を感じることもある。
「グレンは一度、この苦しみに耐えかねて修行を中断している。ハッキリ言って、彼に劣る君が修行を中断しようとも、恥ではないよ」
そう言ったヴァリスは、うっすらと笑っていた。
意識的なのか、本心なのか……その言葉と表情を見た時、レイは歯を食いしばってヴァリスと対峙した。
「それは、俺が自分自身を恥じる。俺は、『夢の中の俺』に、なるつもりはない!」
彼――夢の中のレイと思しき青年が、諦めたかどうかはわからない。しかし、結果として彼は、『守りたかった者』を守れなかった。その悔しさ、後悔、怒りは、あの『夢』を通して今のレイに受け継がれている。諦められる筈がない。
「俺は、『英雄』になる……世界なんか救えなくても良い、俺は、彼女だけの『英雄』になるんだ!」
吠えると同時にヴァリスに斬りかかる。ダメージのないヴァリスにとっては、何てことのない一撃。それでも、レイは手を休めない。
無駄に倒された訳ではない。ヴァリスの戦闘術の動き、思考……それらを少しずつ、学んできたのだ。
剣に頼り切るな、その手足は飾りなのか? 魔術は効果的に使え、剣と魔術は互いを活かす。――ヴァリスの動きは、そうレイに教えていた。
「それでは合格点をやれないな、レイ」
「まだだっ!」
剣を弾かれ、蹴りを防がれ、投げを躱され……それでも、レイは諦めずに食いついていく。
ヴァリスの動きをもっと見ろ。攻撃を躱されるのは、何故だ?
(届かないのは、届かない理由があるからだ……!)
ヴァリスには敵わない。それは明白だ。だが、この『魂界』にいる間に、そのヴァリスに近付かなければならない。だから、ひとつも無駄にできない。得られるものは全て手にしなければ。そうしなければ、レイは『あの夢』へと辿り着いてしまう。
(そんなのは、嫌だ!)
弾き飛ばされながら、レイはそう思った。
☆ ☆ ☆
どれぐらいの時間が経過したのだろうか。
「少し良くなったかな。だが、まだまだ足りない。見てから動いていては、相手に先んじることは難しい。君がただの人間であれば、尚更だ」
ヴァリスの言うことは、もっともだ。龍族の、それも王の名を冠するようなヴァリス相手に、底辺冒険者である自分が後から動いて勝とうなど……日が沈んで日が昇る程おかしなことであった。
「もっと感覚を研ぎ澄まさなければ。視覚に頼ってばかりでは駄目だよ」
ヴァリスの動きは、徐々に速くなっている。近付いたと思えば、また離れていく……絶望しそうになる自分を鼓舞し、レイは剣を構える。
「このまま終われない……俺は、強くならなければいけないんだ」
「だったら、まずは私に一撃入れてみなさい」
挑発、なのだろうか? そう言って笑ったヴァリスに、レイは一撃入れんと踏み込む。
効率的な足運び、踏み込み、身体の使い方……ここまでにヴァリスから学んだ(盗んだという方が正確かもしれないが……)技術を活用し、ヴァリスに挑む。
(でも、ただ真似しているだけでは駄目なんだ……その『先』を行かないと!)
同じ技で勝負してヴァリスに勝てると思えるほど、レイは馬鹿ではない。全てを理解した上で、それを上回る『何か』がなければ……ヴァリスに一撃を入れることは不可能だった。
(出来るのか、俺に……?)
何度も、その考えがレイを捉えようと脳裏に浮かんだ。お前は敵わない、どうせ誰にも勝てない、何者にもなれないのだ、と……。
(なるんだ、俺は……クリスだけの『英雄』に!)
彼女を救えなければ、レイは一生後悔を抱えたまま、日々にイラつき、絶望したまま死ぬことさえ出来ないだろう。それを、『あの夢』は示唆していた。
(そんなのは、嫌だ……!)
レイは、クリスに伝えられなかったことがある。それを伝えるには、今回の騒動を解決するしかないのだ。失敗すれば、きっとレイは精神的にも肉体的にも、クリスを失う気がした。だから、失敗は出来ない。
生身であれば瀕死の重傷を負っているであろうダメージを受けつつ、レイはそれでも立ち上がる。痛みはあるが、レイの身体はまだそこにあった。――だったら、まだ戦える。
「認識を改めよう。君は、グレンよりも強いのかもしれない」
ヴァリスが、立ち上がったレイを見て言う。
「……僕が、あの『覇王』よりも強い? そりゃ、面白い冗談ですね」
は、は、は……と、痛みと疲労で乾いた笑い声になる。
「僕には才能がない。努力もしなかった。だから、底辺冒険者なんだ。大切な人すら守れない、『英雄』になんかなれない人間なんだ……」
「――では、何故『英雄』を目指す?」
ヴァリスは、そうレイに問うた。
「自分自身を『英雄』になれない人間と評価し、何故それでも『英雄』を目指す? それは、ひどく矛盾しているのではないか?」
ヴァリスは、そう言って剣を下ろす。
「君とこうして打ち合い、『魂界』とはいえ短くない時間を共に過ごし、私は君という人間を理解し始めている。……ただ、その一点だけ――『英雄』になれないと自覚しつつも『英雄』を目指すという、その意思だけが理解できない」
ヴァリスは、苦笑した。
「矛盾を自覚しつつも、足掻き続ける……君は、こう言っては失礼かもしれないが、とても面白い人間だ」
「そりゃどうも」
レイも苦笑する。
わかっているのだ。ヴァリスの指摘する矛盾……それを一番わかっているのは、きっと自分自身だ。
「なれないからって、そこで諦めたら……そしたら、一歩も近付けないじゃないですか。たとえ辿り着けなくても、目指し続けていれば……少しは近いところで止まれるかもしれない」
「ふむ……」
「駄目なら、駄目なりに最上の結末を。それが、今の僕の生き方です」
レイは、『覇王』にはなれない。世界なんか救えない。大勢を守ることなんて出来ない。それでも、そうあれと願い、努力し続けなければ……レイは、自分自身を諦めることすら出来ない。
「『彼女だけの英雄』にだって、なれないのかもしれない。でも、なれないと思って諦めるのと、なれないかもしれないけれど諦めないのとでは、どちらが自分に正直になれるかな、って。自分自身に言い訳したいだけなのかもしれないけれど、諦めたら絶対後悔するって、わかるんですよ。そんなの、嫌じゃないですか」
レイの言葉に、ヴァリスは「ふっ……」と、優しく笑った。
「そんなのは嫌、か……随分前に、同じことを言った男がいたな」
ヴァリスの言葉に、レイはグレンを思い浮かべる。なんとなく、それはハズレではないような気がした。
「では、君の足掻きにもうしばし付き合おう」
「ありがとうございます」
ヴァリスに礼を言いつつ、レイは斬撃を放った。
☆ ☆ ☆
もう、どれだけの時間が経過したのだろうか。
「あと少し、というところかな」
ヴァリスは嬉しそうにそう言った。
まだ一撃を入れてはいないが、レイ自身が「惜しい!」と感じる程度には競り合えるようになってきていた。あとは上手くまとめるだけ、そこまでは来ていた。
(ただ、そこからがまた難しい……)
技も、経験もヴァリスの方が圧倒的に上。本気を出していないとはいえ、ヴァリスにレイが敵う訳がない。そのヴァリスに対して一撃を入れるとなると、ひとつのミス無く、今のレイにとっての全力で挑むより他はない。
「本当に、あと少し。それさえ突破できれば、君は新しい自分自身を手に入れられる筈だ」
ヴァリスの言葉に胸中で頷く。そうだ、そこさえ突破できれば、違う世界が見える筈なのだ。
だが、それを意識したためか……レイは、別の壁にぶつかることになる。
(あと少し……あと少しなんだ!)
焦り。ようやく現実的な『着地点』が見えたことで、レイの中に焦りが生まれ始める。しかし、それは状況を良くはしてくれない。それをわかっていても、レイは己の焦りを無くすことが出来なかった。
焦りはミスを生む。先程まで手が届きそうだったのに、レイの攻撃は全くヴァリスに届かない。
「焦りが技を曇らせる。残念だよ……君は、ここまでか」
ヴァリスがため息混じりにそう言う。
「このままじゃ、終われない……!」
「しかし、今のままでは……君には無理だよ」
剣も、蹴りも、拳も、魔術も……全てが、届かない。思考も焦りにより乱れていく。
「まだ時間はある……が、本当にここまでかな?」
ヴァリスの言葉に、レイは反論すらできなくなっていた。
「このまま終わるか、君自身の限界を乗り越えるか……」
ヴァリスは、真剣な表情でレイと対峙していた。
「これを乗り越えられなければ……君は、本当に何者にもなれない」
下唇を噛み、レイは諦めまいと剣を構えた。
時間は、どれだけ経過したのだろうか。残された時間を意識し、レイは己の弱さに絶望しかけていた。




