1 英雄になれと言われても?
旅立った若い騎士が、魔王の討伐に成功したらしい。街中……いや、国中がお祭り騒ぎになっている。
「英雄の誕生だ! 我らが英雄に感謝だ!」
酒場のおっさんが、嬉しそうに振る舞い酒をしている。いつもはおっかない女将さんも、今日ばかりはおっさんの背後でニコニコしている。
魔王が現れて、十年くらいになるらしい。魔獣の侵攻に怯える日々は、終りを迎えるのだろうか?
「英雄、か……」
自分には、縁遠い肩書だ。庶民の家に生まれ、幼い頃に両親を亡くし、歳の離れた兄に養われて育った。騎士になった兄の稼ぎがあったが、少しでも負担を和らげたいと、冒険者になった。だが、その稼ぎは多いとは言えなかった。
汎用で、若すぎて、経験不足――先輩冒険者には、そう言われた。チヤホヤされたい訳ではないが、英雄になれるような人間であれば、もっと胸を張って生きられるだろうにと、思わずにはいられない。
「このおめでたい日に、なんて顔してるのよレイ……」
声に顔を上げると、いつの間にか目の前には幼なじみであるところのクリス――クリスティーナ・エヴァンスが立っていた。
「クリスか……いや、英雄になれるような人って、どんな人なんだろうなってさ……考えたら、憂鬱になった」
「……馬鹿じゃないの?」
容赦がない。大貴族とは言えないが、そこそこの良家の娘であるクリスであったが、ポピュラーなイメージにある『お嬢様』という感じはない。美しく長い金髪に宝石のような(?)青い瞳。まるで上等な人形のような外見(全て友人の談)。外見だけはお嬢様だな、と思わなくはないのだが……少々、口が悪い。
「そんなこと考えている暇があったら、働きなさいよ。昨日は休んだんでしょ?」
「何で君が僕の休みを把握しているのかな?」
短くはない付き合いになるが、未だにクリスのことはよく分からない。口は悪いが、嫌われてはいないようだ、とは思うのだが……。
「そっちこそ、わりと着飾っているけど……どこかに用事があるんじゃないの?」
彼女は白いドレスに身を包んでいた。明らかに余所行きのドレスだ。
「お父様の代わりに、ね。……マリーダさん、そろそろ時間かしら?」
彼女は背後にいた侍女――マリーダに声をかけた。
「そろそろ向かわれた方がよろしいかと」
マリーダがこちらに会釈してきたので、こちらも返す。……歳は自分やクリスと同じ十六だった筈だが、物静かな分、クリスよりもマリーダの方がお姉さんのように見える。
特に気にしてはいないが、どうもマリーダには嫌われているような気がする。……気にしてはいないが。
「それじゃ、せっせと働きなさい、レイ」
「クリスもね」
マリーダと、待たせていたであろう馬車に向かうクリス。
移動中に見かけたから声をかけたのだろうか。律儀なのか何なのか。
「……ま、どうでも良いか」
空は綺麗に澄んでいたが、心は曇り模様だった。
☆ ☆ ☆
レイ・ガーラントが冒険者になって、ニ年が経過した。初心者の域は脱したと本人は思っているが、未だに先輩からは新人扱いされてしまう。
今、目の前にいる褐色黒髪の熟練冒険者――ギルバート・レンストンは、特にレイを新人扱いしてくる。
今、レイは冒険者ギルドの依頼掲示板の前でギルバートと話をしていた。
「なんだよ、まだランク上がらないのか? そんなんだからいつまで経っても、新人君なんて言われるんだよ」
一番新人扱いしてくる人に言われたくはない。
「先輩が一番僕を新人扱いしてますけどね」
「そりゃ、お前がまだまだ未熟だからだろ」
まぁ、反論の余地はない。彼には駆け出しの頃にした『いくつかの失敗』の尻拭いをしてもらっているだけに、頭が上がらないのもあったが、事実として『冒険者としてのランク』が低いのだ。
冒険者ランクはギルドで受けた依頼の達成――つまり実績によって評価され、上がっていく。依頼の内容、数で適宜判断されるため、ランクがなかなか上がらないということは、難易度の高い依頼を達成していない、依頼を複数達成させていないということだ。つまり、冒険者として大したことのない奴ということになる。ちなみに、ギルバートはランクAで、レイはランクE(最底辺)だ。
「やれば出来る奴だと、思っていたんだがなぁ……」
ギルバートはそう言って大袈裟にため息をつく。そういえば、最初の頃は「お前はそのうちデカイ仕事をこなすような冒険者になる筈だ!」なんて言ってくれていた気がする。それを考えると、期待を裏切ってしまった自分がボロクソに言われるのも仕方のない事なのかもしれない。……いや、勝手に期待されても、とも思うが。
「どうせ僕は、兄と違って平凡な奴ですよ」
「まだ気にしてんのか、それ」
言われて、少し顔が赤くなった自覚がある。
そう、兄――ジン・ガーラントには敵わない。自分でもそう思うし、周囲からはよく言われることだ。なかなか実績を挙げられず、この先どうすれば良いだろうかと悩み始めた頃に「騎士様の兄とは違って、弟はとんだ出来損ないだな」と言われ、取っ組み合いの喧嘩をしたことを、ギルバートは指摘しているのだ。事実だし、認めていることだが……だからといって、「はい、そうですね」とは言えなかった。
(ちっぽけなプライドってことなんだろうけどさ……)
兄が嫌いな訳ではない。尊敬しているし、大切な家族だ。ただ、それだけに……兄のように周囲に認められるような『何か』を成せない自分が、恥ずかしかったのだ。
「どんなに努力したって、お前はお前だ。兄貴にはなれない。逆もまた然り、だ」
ギルバートが頭をポン、と叩くと「んじゃ、俺は今日は帰るわ」と去っていった。
「……いつまでも、子供扱いだなぁ」
不満はあるが、仕方ない。きっと、こんな風に思うから子供扱いされるのだ。
気を取り直し、依頼掲示板を見る。今日もまた、レイに達成できそうな依頼は少ない。
「やっていけるのかな、僕は……」
たまに考える。このまま、冒険者としてやっていけなくなったら、自分はどうなってしまうだろうか……と。兄の世話になる訳にはいかないが、どこかで野垂れ死ぬのも迷惑がかかる。冒険者以外に、自分にできることはあるのだろうか、と。
「憂鬱だ……」
ため息をつきながら、レイは依頼を受けるためにカウンターへ向かった。
☆ ☆ ☆
「とりあえず今日も無事に……無事、ではないか?」
夕暮れ時。所々痛む身体に顔をしかめつつ、レイは下宿へと足を向けていた。
受けた依頼は、畑の作物を荒らす獣の討伐依頼。別に冒険者でなくても達成できるであろうその依頼に、レイは挑んだ。ランクの低い依頼の中では割が良かったのが大きい。獣風情に遅れを取る筈がない、等と思っていたのだが……。
「獣じゃなくて、魔獣とはね……」
魔獣――魔力を操り、普通の獣とは段違いの身体能力を持つ特殊な獣。突然変異なのか、進化した姿なのかはわからない。今回遭遇したのは、猪のような魔獣だった。
「討伐には成功したけど、畑の一部を滅茶苦茶にしたから報酬減額だなんて……」
魔獣なら魔獣と書いておいて欲しかった。準備だって変わる。それでこちらの落ち度なのだから、報酬は減額だなんて……しかし、ギルド側からそれで押し切られてしまったので、底辺冒険者としては従わざるをえなかった。
底辺冒険者なんて、ギルドに睨まれたらやっていけないのだ。
「明日はもう少し割の良い仕事を探そう……」
ため息混じりに下宿に向かうと、何故か自室のドアの前にクリスとマリーダが立っていた。
「遅い!」
「いや、別に待ち合わせをした訳でもないでしょうが……」
レイがそう反論すると、「私が待っているんだから、アンタは早く帰ってくるのが義務なのよ」と、よく分からない主張をされてしまった。彼女の従者になったつもりはないのだが。
「で? 何の用なのさ。ここは、お嬢様が来るような場所じゃないぞ」
わりと小奇麗な下宿ではあるが、控えめに言ってもお嬢様が来るような場所ではない。
「レイ。アンタ、英雄になりなさい!」
こちらを指さして、クリスはそう叫んだ。
ご近所迷惑だなぁと思いつつ、彼女が言ったことを反芻する。
「……何だって?」
「だから……英雄になりなさいって、そう言ってるのよ!」
意味が分からない。
「いや、英雄ってのは、なろうと思ってなれるもんじゃないだろ?」
「なりなさいよ!」
何故か、涙目でそう言われてしまう。
(何があったんだか……)
助けを求めてマリーダを見るも、彼女は黙って首を横に振った。
「とりあえず、落ち着いてくれ……話がよく分からない」
「お茶出して……」
「薄い、安いのしかないけどね」
「我慢する……」
急激におとなしくなったクリスに「何だかなぁ……」と腑に落ちないレイだったが、このままではいつ苦情が来るかわからないので、とりあえず部屋に入れることにした。
湯を沸かし、安売りの茶葉で出したお茶をテーブルに着かせた二人に出すと、彼女らは黙ってそれを飲んだ。てっきり「本当に安いお茶ね」とでも言われるかと思ったのだが……。
しばらく、レイは対面の席で二人がお茶を飲むのを待っていた。
「……で? 僕に分かるように、何があったのかを説明してほしいな」
ひとまず落ち着いたらしい頃合いで話を促す。伏し目がちになっていたクリスが、それでようやく口を開いた。
「……お見合いだったの」
「……誰の?」
「……私の」
昼間会った時、彼女は「お父様の代わり」と言っていた。
「ローレンツさんに、騙されたってことか」
「そうみたい……」
父親に騙されたのがショックだったのか、それとも……。クリスは、普段の彼女とは異なり、弱々しく、落ち込んでいた。
「それで、その話と『英雄になれ』って話は、どうやって結びつくんだ?」
解けない疑問を投げかけると、クリスは顔を上げて立ち上がり、レイの両肩を掴み、揺すった。
「だって、私……あんな人と結婚したくない!」
「答えになってない!」
クリスの手を剥がし、席に着かせるとマリーダを見る。
「話が進まないので、マリーダさんから説明を」
「……仕方ありませんね」
何やら不満げに、マリーダはため息混じりに首肯した。
「今回のお見合いは、旦那様と相手方――カイル・レドリック氏との間で進められたお話です。私も、実際にレドリック家に着いてから知りました」
「随分と秘密主義なことで……」
エヴァンス家当主、ローレンツ・エヴァンスはレイもそれなりに知っている。幼なじみの親であるから、知らない方が不自然だと言えるか――それなりに、付き合いもある。その立場からローレンツのことを考えると、やや不自然に思える部分があった。
(あの人が、そんなやり方でお見合いを進めるか……?)
ローレンツはレイの知る限りでは、スマートなやり方を好むタイプだ。後々の事を考えると、今回の件はスマートであるとは言い難い。
「互いの家の面目もありますので、とりあえず即座に席を辞するようなことは避けましたが、その……お相手の方が……」
言葉を濁すマリーダ。
「あんな、気持ち悪くニタニタ笑うような男と結婚するだなんて、無理です!」
再び立ち上がるクリス。……そんなに嫌だったのか、その男が。
「だから、言ってやったんです。私には、心に決めた人がいます、と!」
「ほう」
初耳だった。そんな話は聞いたことがなかったし、そんな素振りも見たことがない。
(まぁ、社交界とかに出ていれば、僕が知らない交友もあるか)
「だったら、その男を連れてローレンツさんに話をすれば良いんじゃないか?」
「話が早いわね。だから、よろしくね!」
……何だって?
「……話が、よく分からない」
「だから、アンタが英雄になって、誰からも認められる存在になれば、問題ないのよ!」
「どことどこが繋がったんだよ、今の話!」
思わず、立ち上がってテーブルを叩く。
そんなレイを、またも涙目になったクリスが見つめる。
「……だから、英雄になって……私に、相応しい男になってよ!」
気圧されるレイ。救いを求めてマリーダを見ると、彼女は黙って首肯した――彼女の言う通りにしろ、ということか?
「いきなり、英雄になれと言われても……」
変な空気が、部屋を満たしていった。
2015年4月4日 誤字修正
・『両家』を『良家』に修正。