ナースの卵 ユーリ②
ユーリの人生初、病院実習の日が近づいてきました。
初めなので、実習の目的は医療者としての患者さんとのコミュニケーションと看護師の一日を知ること。
一日目は患者さんと共に過ごし、二日目は看護師に張り付いて過ごす行程です。
ユーリは不安でいっぱいでした。
(高齢の男性・・・苦手だなあ・・・)
おじいさんに厳しく躾けられてきたユーリは、高齢男性が苦手になってしまっていたのです。
(声出なかったらどうしよう。おじいちゃんの世代の人にとっては、私みたいなのはダメ人間にしか見えないのかな)
(なに話せばいいんだろう。今まで習得した技でごまかせるのかな)
(座るときって、どうするんだっけ・・・叩かれて、怒られたのにもう覚えてないや)
考えたくなくても、嫌な考えや思い出ばかり出てきます。
そして、実習先の病棟発表の時。
わいわいと騒ぐ同級生をかき分けて見た、行先の書かれた用紙。
ユーリは、消化器科でした。
「ユーリー。一緒だねーよかったぁ」
モモが後ろから抱き着いてきました。あと人、同じ科で実習する予定です。
ユーリの背中を嫌な汗が伝います。
(性別関係ないじゃん・・・産婦人科とかなら、よかったのに)
世の中、そう上手くはいかないようです。
実習の日の朝。
ユーリは実習着を身に着けて、消化器科病棟のナースステーションに立っていました。
病棟が選んでくれた患者さんと、今日は一緒に過ごさせてもらうのです。
ユーリがつくことになったのは、優しそうな中年の女性でした。
胃の手術のために入院し、手術を明日に控えていました。
初めて接する患者さんが高齢男性でなかったことに安心したユーリは、落ち着いて、どもらないように慎重に話を進めていくことができました。
(だいじょうぶ、大丈夫・・・できるよユーリ、落ち着いて)
何度も何度も、ユーリは心の中で念じます。
時々言葉が詰まったり出てこなくなることもありましたが、聞き返されたり会話が止まることもなく、時間が流れていきました。
しかし。
「河村さん!河村さんわかりますか!しっかりしてください!」
「ドクターコール!救急カートもすぐに!」
「吸引機持ってきて!急いで!」
あと1時間で実習が終わるというときになって、ユーリの目の前で患者さんが突然吐血し、意識を失ってしまいました。
病棟は大騒ぎです。
ユーリは着ていた服が汚れてしまったのと、いてもスタッフにとって邪魔でしかなかったため、病棟の隅の倉庫で着替えることになりました。
替えの服を持って倉庫に行き、着替え、出てきた時。
目の前の病室から、青年が1人顔を出しました。
騒ぎのあった方を見ると、フンと鼻を鳴らして青年は病室の中に戻ろうとします。
その時、ユーリと目が合いました。
「・・・あんた、実習生?」
半開きのドアにだらりともたれかかったまま、男性が話しかけてきました。
「は、はい。さ、咲野ユーリといいます」
深く帽子をかぶった、二十歳前後の男性。目つきが悪く、細身の長身。ユーリが街中では絶対近づかないタイプです。
(ヤンキーって、こういう人のこというのかな・・・ダメダメ、平常心平常心!)
と、ユーリは悠長に考えました。
「大変だね。わざわざあんな仕事就こうなんて。なんでなりたいの」
「・・・し、しし知り合いの看護師さんにあ、憧れて・・・です」
「へぇ。それだけで?」
「そ、れに・・・お、応援してくれた、人が、いい、るので」
もう会えない心の支え、鵜森さん。
「ふうん。ま、あんま頑張るなよ。じゃないと・・・」
男性は首だけ一度上を向き、しばらくすると向き直って言いました。
「あんたみたいなタイプ、すぐ死んじゃうよ」
ユーリは言葉が出ませんでした。
この人は、何を、言ってるの?
「な、んで・・・です、か」
「・・・なんでも」
震える声で言葉を続けようとしたとき、廊下の奥から声がしました。
「こら!あなたは部屋に戻ってなさい!」
看護師が1人足早に歩いてきて、青年を部屋に押し込みました。
青年はドアが閉まる寸前、ちらりとユーリを見ましたが、それきり出てはきませんでした。
「何か言われた?」
「い、いえ・・・」
あんたみたいなタイプ、すぐ死んじゃうよ
この言葉が、ユーリの脳内にずっと響いていました。
翌日、看護師にくっついて一日の流れを学ぶ日。
来て早々、ユーリは大変驚きました。
「本当は実習生つかせていい患者じゃないのよこの人・・・」
「でもどうしてもつけろって。朝から何もかも拒否で」
「だからって言いなりになっていいの!?」
学生がナースステーションに入る前からこのざわめきです。
昨日ユーリに絡んできたあの青年が、ユーリを自分の担当看護師につけないなら全て拒否すると言っているようなのです。
よりによって、今日は検査の日。拒否では話にならないのです。
「・・・実習生も今日だけでしょ?それで今日一日済めばいいじゃない」
これが、担当医の判断でした。
こうしてユーリは、彼の担当看護師にくっついて一日過ごすことになりました。
「桐島さん。来ましたよーお待ちかねの実習生」
担当看護師は病室に入るや否や言いました。
「ふうん」
桐島さんと呼ばれた彼は、ベッドに横たわったまま興味なさそうに窓の外を眺めています。
「熱測って」
「36.5度」
「お腹は?」
「なんともない」
「朝ご飯は?」
「食べたくない」
淡々と看護師から問診が続きます。
彼は一度もこちらを見ません。
「・・・あー、血圧計忘れた。学生さんごめん、ちょっとここで待ってて」
途中でそういうと、看護師は病室を出ていきました。
「・・・来たんだ」
彼がゆっくりこちらを向きました。
行けと言われたら行くしかないのが看護学生なのですが、そんなことは言えませんでした。
「俺のカルテ、見た?」
ユーリはゆっくりと首を横に振りました。今回の実習では、カルテは見ないのです。
「あんたが昨日、おばさんが吐いた血かぶったのたまたま見て、俺に似てるなって思った。いつ死んでも構わないって、この人死ねるのかって思うと衝撃だけど羨ましい。そんな顔してた」
ユーリの脳裏に、自殺未遂をした高校生の時の思い出が走馬灯のように流れていきます。
「そ、んなふ、ふ不謹慎なこと、お、思わな・・・」
息とともに言葉が流れ出ていきます。
思い出したくもない、あの時の記憶。後悔、悲しみ、懺悔。
「思わない?嘘だろ。今ここにいるのは周りが言うから。周りのために頑張る。周りのことばっかりじゃねえか」
「ち、ちが・・・い、ます」
「楽しいか?そんな人生。気弱で優しい方だろあんた。そんな生き方、すぐ潰れるぞ」
ユーリは喉元をきゅっと掴まれたように、声が出なくなりました。
そのうち看護師が戻ってきて、彼は再び視線を窓の外に戻しました。
再び淡々とやりとりが続いていきます。
涙こそ出なかったものの、全てが図星でした。
いつでも、こんな人生辞められるのなら辞めたいと思っていた。
死にたくて、でも死ぬことのできない自分が情けなかった。
普通になりたくて、普通になる方法を模索して。
みんなと変わりなく聞こえるよう必死に練習して。
何してるんだろう、といつも思っていた。
みんなに必要ない努力をしなければならない自分、努力しなければみんなと肩を並べない自分を、ユーリは好きになれませんでした。




