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全共闘は日大の学生が名付けた 二

 「こうして、本部に膨大な利益が常に集まった。税金を払わぬまま、どのように使われたかというと

①多くを本部幹部が隠匿した上で残りを闇給与として教職員に配布した。本部に従順な教職員に厚く、反抗的な職員には薄く、年2回から3回、特別研究費、特別研修費、試験手当などといった形で配布したのだよ。この支給に規則というものはなく本部の自由裁量だった。

②学生対策費として使った。日大は学内の運動部を軍部として使うために本部の学生部長を通して体育会各部に配布された。また各学部の学生課にも配布された。各学部にも学部体育会があったのだ。

③教職員組合は昭和41年(1966年)9月10日・・・つまり、巨大使途不明金が発覚する2年前だね・・・古田会頭の独裁経営に対して、遅ればせながら設立されたという。(叛逆のバリケード載)当然のことながら、この教職員組合に本部はスパイを送り込んでいたろうから、その手当や調査費に使われていた。

④校外対策費として使った。政財界への献金だね。古田会長が会長である極右の『日本会』や佐藤栄作をはじめとした自由民主党の指導者たちに配られた。当然右翼をはじめ暴力団の資金ともなっていたのだね。


 1968年3月25日、これは 新聞に使途不明金が発表される1月前だね。経済学部の富沢会計課長が突然、失踪してしまった。会計課長は学部の年間収入8億円(今の60億円)を動していた。失踪した日に用務員に命じて三菱銀行三崎町支店から700万円(今の4900万円!)を引き出し消えてしまった。 こうした重大事件にもかかわらず本部は警視庁に捜査願いを出していない。国税局の調査に対して関係書類の償却などを指示していたといわれる本部が、その彼を本部が失踪させたとも言われているんだ。

この後のM会計課長は行方不明だということだ。


 3月28日 理工学部の渡部はる子会計課徴収主任は授業料・入学金などをベテランとして一手に引き受けて、主任独自の秘密の通帳を作るなど理工学部の会計に関与していたが、首を吊って死んだ。彼女が死ねば使途不明金の追及が暗礁に乗り上げるので、本部が自殺させたという説もあるね。

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