共産党が主導した全学連作り
その日の午後、祐司がやってきた。祐司は田沼の顔を見て微笑んだ。そうして言った。
「いや、近ごろの大学はまるで就職案内所ですよ、准教授などというのはテレビ局のアシスタント・ディレクターみたいで、まごまごすると教授会の弁当の用意までさせられるんですからね!そんな雑用で、田沼さんにしばらくごぶさたでした。しかし、それでも合間合間に「全学連と全共闘」という本を読んでいましたよ」
「おう、それは良い心がけだね」
「お褒めの言葉ありがとうございます。ま、そんな努力もありまして、霧のかなたに霞んでいたものが、おぼろげながら姿を現してきました。この著作とはべつなんですけど、すこし戦前の学生自治会運動に探りをいれましたら戦前の状況を示す出来事がありました。1933年(昭和8年)小説『蟹工船』の作家小林多喜二は警察の手によって惨殺されました。小林多喜二は小樽商高を卒業して拓殖銀行に勤めながら、作家活動をした人です。『蟹工船』が有名になったもので、彼は拓銀を首にされました。1917年(大正六年)にロシア革命が起こったことから、このころは左翼に対する弾圧は過酷を極め、どんな表立った左翼的な政治活動も許されなかったのですね。これは大学内の研究についても言えました。当然ながら民主的な自治会活動すらゆるされなかったのです。・・・ですから学生自治会は戦後に始まると言って良いですね」
「そうか。大学自治会はなかったと断じていいわけなんだね」
「ええまあそういうことです。ですから学生自治会の歴史は戦後から始まるわけなんです。敗戦によって日本軍部は解体されました。戦勝国のアメリカでは、まだ共産主義に対する危機感というものもなく、政治的に自由な気風があふれていましたから、日本にも政治活動の自由が許されました。これによって、戦前は激しい弾圧にさらされていた共産主義者にも活動の自由がもたらされたのです。・・・ここからが、『全学連と全共闘』伴野準一著の描くところです。伴野氏は1961年生まれで戦争が終わって16年後に生まれた人ですから、この著作は体験としての全学連・全共闘ではないのです。
つまり、多くの資料から、歴史として全学連・全共闘を立ち上げているのです」