明治維新は江戸時代のリニューアル
「猛烈な艦砲射撃で薩摩の城下町は廃墟と化したという。このことで、日本の軍力ではとても、欧米に勝てないことを薩摩藩はしみじみ悟ったのだね。この艦砲射撃によって薩摩藩は勤皇攘夷の攘夷の旗を降ろしたのだ。そうして早く天皇を中心とした軍力強大な国家を作らねばならないこと深く認識したわけだ。
薩摩藩には四民平等なんて意識はなかったから、今でいえば薩摩藩が描いた将来の日本の設計図は、一つの強大な軍隊であるような国家だったという事だね。とにかく強力な国家を作らねば日本は世界の先進国によって植民地もしくは属国にされてしまいかねないと非常に強力に意識されたのだ。
だから明治維新は革命というより古い天皇制への回帰という側面を持っていた。ヨーロッパの共和国に学ぼうという一部の人もいたけれど、やはりこれは復古した天皇制になってしまったという事だね。そうしてそれを支える人々は、旧幕府の侍たちであり、思想は欧米の民主主義思想とは相いれない滅私奉公の朱子学だった。
だから、僕は明治政府は徳川幕府のリニューアルだったと思っているんだ」
紗耶香は、それまで黙って聞いていたが言った。
「へえ、そうなんですか。司馬遼太郎さんの明治を描いた小説『坂の上の雲』とか読むと明治は優れた時代だったと感じますけど田沼さんは違うのですね?」
「そう、司馬さんは明治政府の暗黒面を書かずじまいだった。明治政府は江戸時代の言論統制をそのまま続けたのだ。それは大正に入っても昭和に入っても同じだったのだね。この暗黒面を僕はそのうちクローズアップする作品を書きたいなと思っているくらいさ」
「そうですよね。明治が良い時代なら、大正時代も昭和の初期もその息子の時代なのですから、あんな悲惨な戦争を体験しなくても良かったかもしれませんね」
「そうなんだよ。まさにその通り。だからね僕が言いたいのは、体制を崩壊に導く意図を持つ共産党はおろか、議会活動によって共和国を作ろうという民主主義者すら、戦前の日本では言論統制の対象だったという事だよ。つまり日本においては民主主義的な組織としての合法的な学生自治会運動も戦後から始まると言って良いのだね」




