全共闘が起こる前の学生運動
「いろいろあったんですねー」
「あったね-.・・・さて、本筋に戻ろうか。今,手元に、伴野準一著「全学連と全共闘」平凡社新書2010年刊があるんだ。何故これを手に入れたかというと、僕には全共闘の成立については実体験があるけれど、さすがに全学連は、いうなればお兄さんの世代の出来事で良くわからないからなんだよ。だから今からいう事の中にはこの本から引用している部分もあることを言っておこう。
全学連と全共闘は同じものではない。また全共闘は全学連から分かれてできたものでもないのだ。全共闘は当初、日本大学の学生が立ち上げたものなんだ。
大学本部による巨額の使途不明金が発覚しても会頭・総長をはじめ経理責任者も誰一人責任を取ろうとしないで辞めずに平然としていた。これに怒った学生たちは経済学部前で各所に点在する各学部から自主的に参加した学生を集めて集会を持った。学生たちは大学当局の数々の不正をただそうと、学内各学部の連携組織と代表を決めようとした。まずこの学生連携組織は拍手とともに全学共同闘争委員会と決定された。そうしてその代表、委員長に、すでに経済学部の自治会で活動していた秋田明大が、これも拍手によって選出された。幸運なことに僕は、この会合に放送学科自治会の数名を引き連れて参加していたのだね。もちろん僕も拍手したし、他の学部の自治会委員ではないと思われる学生も拍手していた。学科自治会の委員長であろうと、そんな権限はなかったのだが、自治会規則などは出来立てで決まってはいなかったからこれでよかったのだ。
つまり、日大においては全学共同闘争委員会における全学とは(全学部)共同闘争委員会という含みがあったのだが、のちには他の大学が全国大学共同闘争委員会という意味に拡張したように使い始めたのだね。なぜなら一つの学部しかない大学でもこの言葉を使い始めたからね。これを最初にやったのが東大なんだ。全共闘に東大を乗せて東大全共闘と名乗ったのだよ。この細かいいきさつは、次の全学連のところで説明するよ。全学連の生き残りがまさに東大全共闘と言えるからなんだ。