久しぶりの散歩
翌日の朝方、田沼は車イスで近くの浜まで出てみた。気が付けばクリニックの近くの山桜も散っている。気分晴らしに、薔薇のガーデニングの中で極上のコーヒーが飲める「薔薇ガーデン」に行ってみた。 本棚に田沼のエッセイ集や詩集や海浜リゾートクリニックにおける究明シリーズも置いてある。それから金子みすず詩集、山之口獏詩集、黒田三郎詩集、中原中也詩集、谷川俊太郎集、相田みつを書、吉野弘詩集、まどみちお詩集、西条八十のランボウ研究などなどが置いてある。田沼の作品がそれらの詩集にまぎれて目立たないのが嬉しい。母と娘でこの喫茶店がきりもりされているのだが、娘が壇蜜そっくりで、したがって五十台の母も美しい。壇蜜に似ているなどとは、とても口に出して言えることではないが、田沼はそう思っている。娘はまだ大学生で今日は店に見えないが、店主の母が、庭に車いすのままいる田沼に声をかけた。
「田沼さんお久しぶりですね。本読ませていただいてますよ。日本書紀の究明はとっても面白かったですよ!」
「そうですか。ママにそう言ってもらえるのは嬉しいですね」
「クリニックの院長さんから聞いたのですけど、今度は学生運動の話なんですって」
「そうなんです。若いころの記憶が、今となっては貴重かなと思って書き始めたんですよ」
「楽しみにしてますよ。・・・それから田沼さんの詩を待っている女が一人いることも忘れないでくださいね!・・・いつものコーヒーでよろしいですか?」
「そう、よろしい!特上ブルーマウンテン、カウボーイの夜明けね」・・・これは極上のブルーマウンテン豆に直接湯を注ぎ煮だしその上澄みをカップに移したものだ。牛を追うカウボーイは、ひいた豆に熱湯を注ぎ、浮いた粉をナイフか太い指かなんかで沈めて上澄みを飲むのだが、ここは鎌倉だ、もう少ししゃれている。なんといっても詩人堀口大学、西脇順三郎の世界だ。こうするとコーヒーはフィルターでろ過されすぎず、油分やポリフェノールやエキスが残ってうまい。この飲み方は、コーヒーが最初に愛飲されたアラブでもそうだった。田沼は思う。11世紀のペルシャの大詩人、オマール・カイヤムも熱いコーヒーに人差し指を突っ込んでコーヒーを飲んでいたのだろうかと。