全共闘以前の学生自治会について
祐司は言った。「そりゃそうでしょうね。田沼さんの気質だったら当然でしょうね。ちょっとワルですけどね・・・」
「あれ、君はそう思ってるんだ。・・・まあ、自治会費を使ってたまに委員会を引き連れて研修会名目で犬吠や湘南の大学研修所に旅行を楽しんだけどね。しかしそれは、驚くほど安かったのだよ。そうだ一度などは学部のステンレス色のバスを使って自治会主催で学生希望者を連れて日帰りで城ケ島に遊びに行ったっけ。そこに僕の好きな人も参加してたりしてさ・・・楽しかったな!岩場で彼女の柔らかい手を握って支えてあげたりしてさ…あの恋は失恋に終わったけどね・・・」
「ほら、隅には置けない人じゃありませんか」
「だってね、毎日会議、会議だよ、たまにそんな楽しみがなければ遊び大好きな、平凡パンチ的な学生がついてこないよ。まして僕らは給料のもらえる仕事をしてるのではないのだからね」
「自治会費の流用だなんて言われませんでしたか?」
「後輩に四角四面の女がいてね。追及されたことがあるよ。そんなヒステリーみたいな女は嫌いだよ。それまでは頑張るまじめな子だと思っていたが、それからはなるべく近づかなくなったよ。僕みたいな詩人肌のボヘミヤンには一番苦手なタイプだよ」
「具体的な自治会の目標というのは何だったのですか」
「まあ、発足したばかりの自治会だからね。いろいろ考慮中だったね。その一つが、今言った、学科生の参加による日帰りバス旅行だった。他大学の学生自治会の発足目的が共産党による共産革命の運動者を作るというものだったけど、僕などはまったくの民主主義者だからね、そんなことは考えもしない。マスプロ教育の是正とか授業の向上とか図書館、クラブ室の整備とか学生のための安いアパート設備とか生協とかが、当面の目標だったね。大学当局の腐敗が露呈するまではね」
「共産主義に対するあこがれというのはなかったのですか?」
「それはあったさ。しかし大学学生自治会を共産革命のための手段にしようと思ってはいなかった。当時は共産主義を掲げるソ連や中国が青年の目には未来の夢ある国に見えていたし、ベトナム戦争のさなかで、多くの学生がベトナムの共産側を支持していたけれど、それと自治会運動は別だと思っていたよ。僕もだけど当時の若者はロシヤ文学が好きだった。プーシキンとかトルストイとかゴーゴリとかツルゲーネフとかドストエフスキーとかゴーリキーとか共産党宣言とか早大露文中退の五木寛之の『さらばモスクワ愚連隊』とかエッセイ『風に吹かれて』とか、頭の中はロシア革命だったね。
だから僕は左翼だった、けれど自治会を共産革命の手段にしようなどとは少しも考えていなかったのだよ。これが日大に起きた全共闘と共通したところじゃないかな」