使途不明金から全共闘立ち上げまで
「使途不明金が発覚し新聞記事になった1968年4月15日遡る二年前かな、学校側、つまり高校だったら職員室である研究室から学生自治会を作るとの話が学生にあったのだ。ここで注目すべきなのは自治会の創設が大学側からもちだされたことだね、当時の通念として学生自治会は、すでに学生ホールや学生食堂やクラブ室や図書室と同じに、普通の大学にはあって当然な環境となっていたという事だね。
学生ばかり増やしていた大学は、諸設備の整備がひどく遅れていたから、設備の一つとして軽く考えて学生自治会を創設したというところではないかな。僕はその時二年生の後半で、クラスから僕と増田というのが選ばれて放送学科の自治会発会に出席することになったのだね。そうしたら僕が委員長に選ばれてしまったのだ。僕は一年生の高柳というのを副委員長にしてこじんまりとした放送学科学生自治会委員会を作った。学科自治会とはいえ巨大な大学(学生数10万)の学科だから、およそ800人を代表する委員会だ。学校からあてがわれる自治会予算は10万円(今の70万円)だった。僕はそのお金を江古田の三菱銀行に口座を作って預けた。会計は作らなかったから通帳と印鑑(その頃はまだカードなどはなかったね)は僕が管理した。それから各学科(写真・映画・演劇・美術・文芸・音楽・放送)の学科委員長が集まって相談して学部学生自治会委員会を立ち上げたのだね。この学部委員長は映画学科の委員長、住田というのがなった。資金はおそらく学科自治会費から数万円が供出されたのだと思うが、覚えていないな。
こうして、僕は委員長になった。しかし僕には学生自治会がどのようなものであるか解らなかったのだ。僕は早稲田や明治における学生自治会の様子を調べてみた。するとそれらの大学の学生自治会は共産党から分派した反共産党のセクトと呼ばれる集団によって支配されるものであることが解ったんだ。つまりこれが『全学連』の部分なんだな」
裕司は言った「田沼さんは委員長になるときに学校側の接待とか報酬とかを受けましたか?」
「馬鹿を言うな。こんな僕だってそんな事だったら委員長などはやりはしないさ。やがて仲間たる全共闘の一部の連中から御用自治会と呼ばれるのだが、僕が選ばれたのは学生の民主的互選によってだと断言できるよ」