全共闘はフォーク世代。演歌が嫌いな奴もいた。
「僕らと親父の世代の間には封建主義と民主主義とを分ける川が流れていたのだ。これは男女の関係についても現れていたのだ。親たちの多くは見合い結婚だった。僕らと言えば、まだ自由恋愛におずおずとはしていたが『ガールハント』を試みる勇気のあるやつが、それにチャレンジするという状態だったのだよ.従って見合い結婚も多かった。
僕が思うには、都会出身の奴はエルビス・プレスリーやシナトラやコニー・フランシスやポール・アンカやパット・ブーンやナットキング・コールやニール・セダカや坂本九やパラダイスキングやビートルズといった60年代ポップスが好きで村田秀雄や美空ひばりや三橋美智也や都はるみ等『演歌・歌謡曲』と呼ばれるものは、好きでなかったように思う。僕は個人的に言うとプレスリーのアルバム『ブルーハワイ』が好きだったな。
ビートルズは60年代のポップスでも遅れて流行ったものでね全共闘の闘争が終わった大学を自主退学した僕はその後、新宿御苑近くの新宿内藤町に住んでいたのだけれど、夏の暑い昼下がりにはまだ冷房もないむんむんとしたアパートにいるのが嫌で、四谷三丁目の『喫茶クラウン』で冷房装置で涼みながらイギリス製高級大型スピ-カー『グッドマン』で美しい音色のビートルズの『イエスタデイ』を聞いていたのを思い出すよ。つい先日、そこを通りかかったら王冠風に屋上を作った古いビルが残っていたのには感動したよ!そして『クラウン』は『ドトール』になっていたっけ!」
「田沼さん、僕らのイメージでは全共闘はやくざ映画とか演歌に結びついているように思うのですがね、そうでもないのですね」
「ああ、それね。それはね68年11月の東大駒場祭りのポスターが評判になってイメージがついてしまったものなんだ。そのポスターには刺青した男が描かれていて次のコピーが書かれていた。『止めてくれるなおっかさん。背中の銀杏が泣いている。男東大どこへ行く』とね。このコピーは、当時東大在学中だった、小説『桃尻娘』を書いた橋本治が作ったのだというね。
田舎から出てきた奴と東京周辺の出身の奴とは音楽の好みは違っていたなあ。地方での奴はやはり歌謡曲や演歌が好きで、僕みたいな東京の奴はポップスとボブディラン・岡林信康に代表されるフォークが好きだったな」




