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全共闘世代の親 二

「親父の強運は多少は僕にも受け継がれたようだ。僕には籤運はないけど、不思議にひどく困った時には運が開けるようなのだ。…これからはちょっと僕の話をしよう。親父は1942年5月26日以降、程経たないうちに親父は日本に移送されたに違いないのだ。親父が母といつ結婚したのかを僕は知らない。結婚したのが1943年である可能性が高いね。すると母に聞かされていた『長い間子供ができなかった』という期間はほぼ3年間に及んだわけだね。こうした状況で僕の種は頑張って母に到達できたのだね。そうして僕は母にひどいつわりを味あわせて『おろしてしまおうか』と思ったそうだよ。そうであったら僕はこの世に生まれず辛い思いをしないで済んだのに、少し残念だな!そうしておまけに僕は逆子で、足からこの世に出て来たので、仮死状態だったそうだよ!だから、僕がこの世に存在するためのハードルは高かったのだなあ。・・・あれ話が脱線してしまってるね。まあとにかく父親はそういう人だったのだよ。」

 祐司は言った。「全共闘世代の多くの父親は戦争に行って戦ったということですか。それが世代的な特徴ということですね。僕など、今40台50台の父親母親は田沼さんより20歳は年上で昭和の始め(1925年頃)生まれで、銀色に光る米軍の爆撃機B-29をさけて都会の児童は学校ごと親と離れて移住したのですね。これを『疎開そかい』といいました。僕の両親は『疎開児童』だったそうですよ。」

「そう、ここで言っておきたいのは、父親との思想のひどい違いだね。君たちの親は戦中、戦後が青春だったから、ひどく古い封建的な思想を持っていないだろうけど、僕らの親と言えば、まさに演歌の世界観を持った人達なのだ。男女が交際することは非道徳な事で結婚は見合い結婚で男尊女卑で官や警察や軍に逆らってはいけなかった。国家を危うくする共産主義者めいた言動は厳しく取り締まられた。親たちは忠君愛国の教育を受けた。だから親の頭は封建主義でぎっしりだったのさ。そして僕らといえば敗戦によってアメリカから持ち込まれた自由平等の民主主義教育の産物だったのさ」

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