表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
13/31

更なる掘り下げ

 翌日昼過ぎ紗耶香がやってきた。「先生録音聞きましたよ。なかなかいい線を攻めているじゃないですか。」「そうかい。そう言われると悪い気持ちはしないね!」

「祐司さんとのお話を聞いていると、最初は霧のようにうすぼんやりしていたものが、徐々に霧の中から姿を現してくるようで面白いですわ」

「そうか、僕の狙いは当たっているということかな」

「そのあとの進み方はどうなんですか?」

「そうだねこの前僕は芸術学部の授業はそんな悪いものではなかったと言ったのだが、橋本君の著書によればやはりそれは井の中の蛙だったようだ。読み進んでゆくうちにこんな一章があった。

 ・・・芸術学部では大講堂の授業などには授業の初めに出席票が配られもう一度授業の終わりに出席票が配られることがあった。その時は2枚の出席表が提出されなければ出席とは認められなかった.退屈な授業からエスケープする学生があまりに多くて、それを防ぐためにこのような処置がとられたのだ。芸術学部に関していえばろくに研究もしないような教授が甘やかされていたのだ。こうした教授が目につく中で、身分不安定の講師の中には『先生』と呼ぶにふさわしい人もいた。こうした講師と数少ない上質の専任教授が、かろうじて大学の水準を保っていた。音楽科は例外として、他の6学科は800人ほどの学生に専任教授がたった2人から3人というありさまなのだ。早稲田大学でいえば800人の学生には35人から40人の選任教授が置かれている。1958年、古田重二良は日大会頭に就任し「日大合理化方策案」を決める。その中には「創意工夫して最小限度の経費をもって最大限度の効果を上げることに努力する」とあった。その具体策が選任教授の過小配置だった。・・・

 だから、僕の芸術学部に対する良い印象は、たまたま僕が良い教授、講師にあたったという事に過ぎないのかも知れないと気が付いたのだ。大局的にいえば、芸術学部は学生ばかり多くて教授の少ない大学だったという事だね。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ