第一話
電車で出かけることっていうのは、田舎者にとって大したことだ。山手線とか、地下鉄とか、そういった便利な電車っていうのは片田舎をくるくると周回してくれたり、畑の下にトンネルを作って快活と駆け回ってくれたりするものではないから。だから僕たち田舎者が電車に乗る、っていうのは遠出をするときだと、相場が決まっている。
都会の電車賃がどのくらいかは知らないけれど、少なくとも僕の住む田舎町からの電車っていうのは安い運賃払えば乗せてくれるようなものでもなかった。
田舎の金銭感覚っていうのが安っぽいだけなのかは分からないけれど、電車を走らせるお偉いさまはそんな安っぽさにあわせてくれそうな気配はないのだから困ったものだ。
そんなわけで、僕を含めたこの町の住人は、基本的に電車というものに乗ったことがない。
IT産業だとか、ハイテク産業だとか、エレクトロニクスだとか、そんなものが発達した現代社会。それなのにこの田舎町には最近になってやっとケーヨーデイツーというホームセンターがやってきた。ハイテクのハの字もないけれど、西洋風な名前の店ができたというだけで、町民は一気に活気付いた。一部商店の方々は少々不服な思いをしたようだけれど。
それはともかく、ケーヨーデイツーができたところでみすぼらしい駅は変わらずにたたずんでいて、やっと発達の兆しを見せたこの町を外から遠ざけているようだった。
僕は毎朝、駅前を自転車で通り過ぎる。この町唯一の高等学校へ向かうためだ。
駅前を自転車で通り過ぎるだとか、いかにも栄えたところを通りすぎるような口調であるのにかかわらず、この駅前ときたら田んぼで稲作が栄えている程度だからいやになる。僕は祖先にイナゴなんて絶対にいないし、これから先もイナゴと交えることはないだろう家系の人間だから、稲がたくさん生えていてもうれしくない。いや、我が家も農家なので豊作であるのは確かに嬉しいことなのだけれど、それとこれとは大きく訳が違う。
いわゆる駅前を通り過ぎて、ほんの五分ほどで高校に着く。僕の家からは三十分ほど。まぁ田舎の通学なんて、時間と体力以外に必要なものがない。この町を回るバスはないし、外から来るバスは一日一本だから、実質自転車か徒歩しか通学手段はないのだ。
教室から見える景色は、町を一望できるとあって、なかなかに荘厳………ではない。田舎町を一望だとか、自宅のベランダからでも可能だ。高い建物なんてホームセンターの看板くらいだし。
しかしながら壮大な自然を満喫できるという点は認めざるを得ない。だから嫌いではないのだ。田舎に生まれ育ったからって、自然が嫌いになるほど不出来な人間じゃあない。
だからこうして、授業中は外を眺め続けている。
今日みたいによく晴れた日には町を囲む山々の青が映えていて、ぽつぽつと見える赤、黄のまだら模様、また空の青もところどころ白を浮かべつつも相当に美しいものだ。もうすぐ稲刈りの季節だから田んぼも黄金色にゆれているし、黒いアスファルトも、夏に見るまがまがしい熱気をそろそろどこかへ置いてきてくれたのか、落ち着きをもって黄金色をよりいっそう輝かせているようだ。
自然を堪能しているというのに後ろから僕の方をせせこましく突く野郎は、農業用水路にでも頭から突っ込んでやろうかと思う。
「なんだよ、僕は金色を走らせる美しい大地と紅葉に色づいてく山々、それを見守るように慈悲深く蒼々たる空に思いを馳せているところなんだからほっといてくれないか」
「そんなことをいっていると先生が痺れを切らしてカーテン閉めちゃうよ?今もほら、黒板の前で太陽のフレアみたいにごうごうっ、とね」
僕は黒板に目を向けた。
右端には羅生門、と。左へ視線を移すと……芥川龍之介、と文字がある。おや、羅生門に続いて、かなりの達筆じゃないか。左へ左へと恐る恐る――
「おい、俺はこっちだ」
突然僕の後ろから声が飛んでくる。
驚いて振り向くと先生が般若の形相でそこに立っていた。
「あ、先生、いつからそこに?」
「あぁ、ちょうどさっきだ。いいから、お前は続きを読まんか!」
そこで今まで誰もがこらえていた笑いが教室中を駆け巡る。僕は恥ずかしくって立ち上がる。
「ど、どこからでありましょうか、先生」
立ち上がったのに読む場所が分からなかった。順序が逆だろうに、判断を誤ったおかげで恥を上乗せしてしまった。
先生は僕の態度によほど腹が立っていたのか、僕に「全部だ!」と怒声を浴びせるや否や、教団のほうへ肩を鳴らしながら立ち去っていった。
あたふたと教科書をめくっているうちにチャイムがなった。思わず歓声を上げそうになった。
大層気に食わない、といったような様子で先生は教室を後にした。委員長の挨拶は行き場をうしなって、委員長までもおろおろとあたりを見回す始末だった。
「相変わらず、だよね。そろそろ真面目に授業受けたら?」
授業が終わって、真後ろから高説をたれてくださる。
この町じゃ幼馴染なんてめずらしくもなんともない、僕だって少なく見積もって十人は幼馴染はいる。こいつはその中でも特別幼馴染っぽい幼馴染だ。
家が隣というのが大きな要因だろう。それプラスアルファで小さいときから勉強だとかスポーツだとか遊びだとか、親同士の交流だとか。関わりからして、友達みんなが幼馴染であるなかでも幼馴染というにはこいつが最もふさわしい。
「授業を受けるくらいならロックンロールに身を投じるよ、僕はね。そう言うミカこそ、真面目に授業を受けた試しがないじゃないか」
「あたし?あたしはいいのよ、生きるロックだからね」
どこの内田ですか。膝を立てて土下座とか言いそうで少し心配になる。
「そんなこと言っているから、この間の中間で赤点とったんだよ。高校一年生の中間テストって、先生たちだって優しく作っただろうに」
「だからどーした、あたしはロックに生きるんだよベイベー!」
「ギターすらやってない奴がロックねぇ………。歌えるっていうなら話は別だけど、ミカの歌唱力ほど冗談にならないものもないしね」
ミカの歌は、中学の卒業式を前にした合唱練習だというのに先生が思わず酷評を口にしたくなるほどだ。まぁ、某剛田さんといい勝負、といったところか。
「ふ、ふん。あたしだって本気をだせば世界に羽ばたくロックスターだよ。電車オタクのあんたに四の五の言われる筋合いはないよーだ」
「電車オタクじゃないって何回言わせるんだ。電車の名前だとか、そんなのは一切合財知らない」
ただ、電車が好きなことは確かだ。この場でわざわざ口に出さないのは、ミカに自慢げな口を利かれるのが癪だからなのだけれど、電車への憧れがあるのは嘘ではない。
生まれて初めて電車に乗ったのは小学生…………三年生ごろだったはずだ。校外研修、小学生の時分には遠足と名づけられていたもので、この町の外、山を一つ越えた先にある街の駅前へ行ったときだ。小学生が発展した駅前に行ったところでやることはほぼないにしろ、田舎者の子供たちが集団行動をして回るぶんにはなんら問題はなく、はしゃぎまわる子供たちを落ち着かせるのに手一杯だった先生たちの姿が今でも思い浮かぶ。他の子供がデパートやら、映画館やらに感動していたなか、僕一人、映画もおもちゃ売り場もそっちのけで電車をやけに褒め称えていた。始終電車を褒め称え、帰りにみんなが寝ているなか、ずっと流れていく景色を目で追っていたのだった。
思えばあのころにはすでに、電車の魅力に取り付かれていたわけだ。
僕が思うに、電車の魅力というのは車体そのものとか、線路そのものとか、そういったものに現れるようなものではない。箱のなかから、移り変わる壮大な景色の色合いを味わうことにこそ、真の魅力があると思っている。まぁ技術力に裏打ちされた魅力であることは確かだけれど、技術屋でもない僕にはよく分からない。文系の人間が設計図だとか見てみたって、数字が見て取れますねとしか言いようがない。
小学生にして、魅せられた僕は、中学に入ると小遣いをほぼ全額、電車賃に使うようになった。小学生のときには月にワンコインしかもらえなかった。それも百円玉だ。説得の甲斐あって千円まで引き上げたことで、山越えができるほどの電車賃を僕は月の初めに手に入れることができるようになった。そうして街まで行って、なにもせずに帰ってくるのを月に一度の楽しみとして過ごしたのである。
ガキンチョ一人の行動なんてものは小さな田舎では筒抜けで、すぐに僕の奇行は学校中に知れ渡ることとなる。そうして、電車オタクという称号が与えられた次第だ。
「正直に言おう、僕は電車よりも、ロックのほうが好きだ。ミカにはもう何度も言ったじゃないか」
僕の主張を聞き入れる気なんてミカには毛頭無いようで、大げさに肩をあげてみせると、やれやれ、といった。
そう言いたいのは、僕のほうだよ、やれやれ。