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境界線の向こう側


 金曜日の午後。僕は小学校の道路を挟んで向かいのコンビニで立ち読みをしていた。無論、雑誌などに興味はない。僕は校門から出てくる、一つの影を目で探している。

 ああ、やっと見つけた。

 ひとりの少女が何人かの級友と話しながら、笑顔で校門を出る。僕には気づかないようで、コンビニを出た。と、少女が振り返る。

「……あ! ゆーちゃん!」

 パッと花を咲かせたような顔になる少女――――柚子。その笑顔に向かって、僕は微笑する。道路を渡り、柚子とその級友たちに近寄った。道路を渡ったところで、柚子が勢いよく僕の腰に抱きついてくる。ここしばらくで、急速に背が伸びたのは気のせいではないだろう。

「ゆーちゃんゆーちゃんゆーちゃん! 迎えに来てくれたのーっ?」

「ん。まあ、ね」

 うれしそうに頬ずりをする柚子に、一人の男の子が訝しげな視線を送る。ツンツンとした坊主頭の活発そうな少年。最終的には、僕の顔を怪訝そうな視線がとらえた。ついでに、ちょっとだけの敵対心も。

「なあ、こいつ誰?」

「もー。柚子のゆーちゃんにこいつなんて言わないで!」

 ぷっと頬を膨らませる柚子が可愛らしい。それを見た男の子は、ふてくされたようにそっぽを向いた。

「別に。ばっかじゃねーの? そんな女みたいな奴!」

「ばかじゃないもん! ユミちゃん、わたし今日ゆーちゃんと帰るから! じゃあね!」

 そう言って級友たちに手を振り、元気よく僕の手を引っ張った。うれしそうな柚子を見て、さらに男の子が叫ぶ。

「知らねー人についていったらダメなんだぞ!」

 彼のわかりやすい態度に、苦笑いをする。そんな僕に、柚子は無邪気に笑いかける。

「ゆーちゃんは知らない人じゃないもんねーっ」

「……うん。そうだね」

 残念だけどね、柚子。それは不正解だ。

 ここにいるゆーちゃんは、君の知ってるゆーちゃんじゃないよ。

 でも、

 それなら僕は、誰なんだろうね……。



「で、ゆーちゃんは何しに来てくれたの?」

「んー。なんでしょう」

 河川敷を、二人で歩く。僕が「いいところに連れて行ってあげる」と言って、杏と柚子の家とは逆の方向に向かっていた。夕日が、芝生の上に黒い影を映し出す。ランドセルを背負った柚子の影は、ぴょこぴょこと跳ねていた。

「意地悪しないで教えてよぉ」

「じゃあ、教えてあげるから、目をつぶってね」

「えー?」

 そう言いながら、柚子は目をつぶる。ふわふわとした髪が、夕日を浴びて金色に光っていた。僕はあかね色に染まる彼女の手に、一つのものを手渡した。

「……わあ、これ、髪留め?」

「正解」

 絹でできた青い青いリボンを二つ、そっと柚子の手の上に置いた。恥ずかしそうに、はにかむように胸に当てる。僕はそれを目を細めて見ていた。

「それからもうひとつ……」

「? まだあるの?」

 ごそごそと鞄を探り、それを取り出した。それの登場で、柚子はさらに目を輝かせる。

「ビデオカメラ?」

「そーだよ。入学祝で買ってもらったんだよね」

 それは、入学祝金の一部で買ったビデオカメラだった。デジタル式で、機会に疎い僕でも簡単に扱えるようになっている。

「すごいすごーい!」

「撮ってみようか? ほら、髪留めつけてあげるから」

 柚子は「えー、いいよぅ」と言いつつも、うれしそうだった。黒くウェーブした髪に、青いリボンはよく映えた。ビデオカメラのスイッチを入れ、レンズを柚子に向ける。

「えへへー」

 うれしそうに、その場でくるくると回ってみせる。青色のワンピースがオレンジ色に染まり、ふわっと広がった。突然回るのをやめて、柚子は僕に向かって両手を広げる。

「ゆーちゃん、大好き!」

「…………」

 黙って、カメラをまわし続ける。

 やがて、柚子はもじもじとしだした。上目使いに僕を、レンズを見上げる。

「……どうしたの」

「あのね、あのねあのね、お願いがあるの」

「……なに?」

 笑う僕に、柚子は恥ずかしそうな笑みを返す。その表情は、杏とよく似た女の子の顔だった。

「いつか、いつかね! 絶対にお嫁さんにしてね! 今度のは本気だよ!」

 僕は、無邪気な柚子に黙って笑顔を向ける。柚子はいつもと変わらない。でも僕は、決定的にどこか、おかしかったんだと思う。

「……ねえ柚子ちゃん。ちょっと、目をつぶって」

「? こんどはなーに?」

「いいから」

 柚子は、長いまつげに縁取られた目を閉じる。期待に胸を躍らせながら。僕は、後ろから、隠し持っていたものを取り出した。高校生が持っていても、何ら不思議はないもの。でも、凶器となりうるもの。

 野球の、バット。

 次にこの瞳が見るのは、なんだろうか。

 バットを、ふりあげる。一直線に、彼女の頭に落ちていく。

 カメラは、回り続ける。



 冷たい、廃工場の中。隙間から光がさし、まだ中は明るかった。その中心に、彼女は横たわっている。血色のよい肌は血の気をなくし、好奇心でキラキラと輝くひとみは、かたく閉じられている。

 あの後、血が流れた柚子の頭を帽子で隠し、背負って廃工場まで連れてきた。幾人も人とすれ違ったが、誰も僕と柚子の状況に気付かなかった。それどころか、挨拶すら交わしたのだ! 「こんにちは」「こんにちは、いい天気ですね」「そうですねぇ。そちらは、妹さん?」「ええ、まあ」なんて愚か。なんて無知。なんて鈍感。

 カメラを、ドラム缶の上にセットする。ちょうど、柚子が見れるように。と、そこで柚子がほんの少しだけ動いた。うめき声を漏らす。

「う、うう……」

「柚子、気がついた?」

「うう……、いたい、いたいよぉ。頭が……」

 もう、作り笑顔は浮かべなかった。無表情に柚子に近付く。機械のような動きで、上半身を起こした柚子を、押し倒した。

「え……ゆ、う、ちゃん?」

 何が起こったのかわからないのか、混乱した面持ちで僕を見つめる柚子。僕はそれに、最後に一度だけ、微笑んでやることにした。

「柚子ちゃん」

「ゆーちゃん、なに?」

 おびえている、め、目、眼。

「お嫁さんにするのは、無理だよ」

「え?」

「ごめんね」

 ちきちきちき。

 ちきちきちき。

「ゆーちゃん、それ……」

「ん? ああ、これね」

 目の前に、わかりやすいように、近づけてやった。

「これはね、カッターナイフだよ」

「え?」

「さよなら、柚子ちゃん」

 満面の笑み。それと同時に、柚子の胸の中心に、押しあてた。

「ゆーちゃ、あ、がっ! うあ、あああああああああああああああ!」

 ずぶりずぶりと飲み込まれていくカッターの刃。手足を動かして逃げようにも、僕が手片手首を押さえているから逃げられない。よだれを垂らし、目を見開く。白い喉が、跳ねる。その表情で、さらに手に力が入る。

「う、いたっ、いたい、ごぷっ、いたい、よー。ゆう、ゆー、ちゃ、ごはっ」

 ぞくぞくする。気分が高揚する。興奮のあまり、口元から唾液が垂れる。

 柚子の赤い唇から唾液だけでなく、血も噴き出してきた。生々しい温かさが、手に当たる。肉はやわらかく、カッターの刃はどんどん吸い込まれていく。柚子は目を見開く。目のふちに涙が溜まっている。自由な片手をあげ、柚子は何かを求めるように、手を空中にさまよわせる。涙が一筋、頬を伝った。

「ゆー、ちゃん、た、すう、けて、よぉ。たす、けて、ゆーう、ちゃぁあん……」

 これでもまだ、柚子は僕に助けを求めた。手は、空中をあてもなく彷徨う。やがて、それも、だらりと冷たい床の上に転げ落ちた。

 冷たいコンクリートの床に、膝をつく。膝が暖かい。血の湖が、広がってきたのだ。柚子は、目を見開いたまま、胸にそびえ立つカッターナイフを墓標として、息絶えていた。空を向いている視線は、誰を見ていたのだろうか。杏? 和馬? 僕? それとも、柚子が信じていた『ゆーちゃん』?

 先ほどまでの高揚感が、潮が引くように引いていく。よろよろと立ちあがる。見下ろすのは、柚子の残骸。そこからは、僕が感じた幻覚と全く同じにおいを発していた。心から、初めて彼女に微笑む。はたから見たら、きっと歪な醜い笑顔だろう。それでも、微笑まずにはいられなかった。

「そのリボン、似合うと思ったんだ」

 青いリボンに、赤い血が飛び散っていた。青いリボンは、真っ赤な柚子によく映えた。

「ねえ、中も見せてよ……」

 僕は柚子に近付き、カッターで柚子の体を引き裂いた。


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