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初恋


 朝。父は出勤、母は昨日の夜勤で疲れて寝ていたため、朝は一人で過ごすこととなった。冷蔵庫から食パンを出し、トースターに入れる。椅子に腰掛け、リモコンでテレビをつけてボーっとしていた。

 もうそろそろトーストが焼けるな……なんてことを考えながら、立ち上がる。背後のテレビから聞き覚えのある地名が飛び出したのはそのときだった。耳になじんだ町の名前……この町だ。

『……でした。今日未明、藁大橋の河川敷で、男の子の遺体が発見されました。頭部に棒状の鉄が刺しており、警察は殺人の疑いで捜査していく模様です……』

 男の子の、遺体。

 見つかった。

 見つかった!

 足が震える。体が頭の先から冷えていく。立っていられなくて、椅子の上に倒れ込むように座った。

 捕まるのか……僕。

 信じられないことだが、今までそのような思考はなかった。考えたことすらなかったのだ。そうだ。あんなこと、犯罪に決まってるじゃないか。

 刑事が来るのはいつだろうか。きっとそう遠くない未来だ。そうしたら、みんなに僕の本性がばれてしまう? 晒されてしまう? そんなのはいやだいやだいやだ! 見捨てられるのが怖い。蔑まれるのが怖い。軽蔑されるのが怖い。知られたく、ない。

 大きく深呼吸する。目を閉じ、冷たい空気を肺の中に取り込む。落ち着け。僕は、捕まらない。現場に僕は証拠を残したか? 残してないはずだ。髪の毛の一本や二本、風で飛んでしまっている。僕はただの平凡なの中学生だ。特別なことなんて何もしていない。だから、警察の目にとまることは絶対にない。

 ふと、部屋の中に処分しようと思って置いていた手袋と靴のことを思い出す。警察に死体が見つかった以上、あれを処分するのはまずい。学校の焼却炉なんかで燃やすのがベストだが、学校に着くまでが危ない。やはり、ほとぼりが冷めるまで持っていよう。

 そんな考えもあったが、記念に取っておきたいという思いが一番強かった。喜びの象徴である彼を失った今、その行為の証拠である手袋や靴が愛おしかった。手袋に血を眺めては、彼の様子を思い起こす。昨晩はそんなことを繰り返していた。

 部屋の中に、不快な匂いが漂う。理科で炭素を燃やすという実験の時に漂っていた匂いとよく似ていた。そう、つまりは、物が焦げる匂い。

 案の定、トーストはカラスのように黒い墨と化していた。食べることはできなくて、ゴミ箱に捨てた。



「もうすぐ卒業だなー」

 和馬がそう言って歩く道に、雪はもう残っていない。それでも吐く息は白く、誰もが厚い服を身にまとっていた。

「うん。早いもんだね。この前入学したと思ったのになー」

「そりゃないよ……もう三年前だぜ」

 そう言って笑いつつも、じゃれあいつつも、頭の中はあのニュースのことでいっぱいだった。本当なら学校なんて休んで、一日中テレビを見ていたかったのだが、事件の翌日に休むなんて怪しまれる。

「あーあ。中学生のままでいてえよ」

「なんで? 和馬くん早く高校に行きたいって言ってたじゃない」

「そうだっけ?」

 思い起こしてみると、毎日二人と話しているというのに、会話の内容は何一つ覚えていない。それだけ印象に残らないものだったか、中身のないものばかりだったのか。

「だってよー。高校になったら大変じゃねえか? 勉強」

「あー。和馬は大変かもね……」

「がんばってねー」

 僕と杏は地元の国立に推薦入学ということになっていた。それに対し和馬は「一人だけ別の高校なんてさみしい」なんて言って無理して受験した。その結果、受かったわけだが。

「余裕かますなよ推薦組!」

 そう言って思いっきり突進してきた。突き飛ばされ、よろける。さて、こんな時僕の人格なら何をするんだっけ……。

「やったなこいつ!」

 僕も和馬に突進する。大げさに転んでみせる和馬を見て、杏が笑う。はたから見たら、ほのぼのとしたじゃれ合いに見えるだろう。だけど、いつだって僕は細心の注意を払い、心がきりきりしていたのだった。

 だから、和馬からその話が出てきたとき、心臓発作でも起こすんじゃないかと思った。

「聞いたか? 男の子の死体の話」

 息がとまる。目眩がする。心臓を打つ速さは、限界を超えている。

「聞いたよー。ひどい話だよねえ」

 杏が眉を寄せて言う。和馬が僕の方を向いた。動悸が早い。視線が泳ぐ。今までどうやって呼吸をしてきたんだろう? それすらも、思い出せない。

「なあ、優一は聞いたか?」

 口を開く。酸素が足りない。それでも体は演技を覚えている。いつも通り、いつも通り僕の表情は、口は、眼は、素晴らしい演技を披露する。

「……ああ。見たよ。ひどい話だよな」

 声は震えていなかった。それどころか、杏と同じように眉さえ寄せていた。まるで他人事のようにふるまえるのが、自分でも不思議で、どこか悲しさを覚えた。

「それよりさ! 昨日CD買ったんだけどさ、これがまた……」

 和馬が、僕の動揺など知らないで話を変える。どうでもいい、明るい、音楽の話。それに杏も楽しそうに乗る。

 そう、そんなものなのだ。

 僕がしたことなど、すぐに忘れられる。一時は騒がれても、すぐに忘れられるのだ。だから、ワイドショーやこいつらみたいな野次馬なんてすぐ収まる。

 今は耐えろ。普段通りに振る舞え。事件を誰もが忘れたころ――――。

「優一君?」

 現実に引き戻される。心配そうに顔を覗き込む杏の姿が目に入る。僕はすぐに笑顔を繕い、

「ああ、寝不足でちょっとボーッとしてた」

 という言い訳をした。

「なんだよ。そーゆーテレビがあったんなら教えてくれればよかったのによ」

「かっ、和馬君!」

 にやにや笑う和馬と、真っ赤になって手を振り回す杏。僕は軽く否定だけしておいて、また前を向いた。

 何を考えているんだ。僕の周りはこんなにも満ち足りているじゃないか。何が不満がある? 忘れたころ、何をするんだ? 禁忌に触れるのは一度で十分。あの時は気がおかしかった。だから笑ったり、死体に手を加えたりしたのだ。僕はごくごく平凡な中学生。それ以外の何物でもない。そんなこと、考えるな。

「そんなんみてねーよ! お前こそどうなんだよ」

 日常へ、帰れ。



 和馬からサッカーの助っ人を頼まれたが、それも断って家に帰った。テレビをつけ、床に座り込む。今日は土曜日なので授業は午前中のみで、ニュースがまだやっている時間に帰ってくることができた。

「あら、おかえり優一」

「ただいま」

 ソースの焦げる匂いと、じゅわっという熱したフライパンで野菜を焼く音。髪を一括りにした母が、台所で昼食のチャーハンを作っている。

 僕はリビングの前を通り過ぎ、二階の自室に向かう。

「もうすぐご飯できるから、早めに下りてきなさい!」

 下から母の声が聞こえる。わかってるよ、そう思ったが反抗的な態度は見せず、

「はいはーい!」

と聞きわけのいい子供の返事をする。昔から、そうやって世間の風当たりだけでなく、親からの風当たりもよくしていた。処世術とは少し違う気がする。そう、何というか、本能、かな。

 階段を上がってすぐ右の扉、僕の部屋の扉を開けた。カーテンは閉めきっており、パイプベッドのシーツはぐしゃぐしゃ。薄暗い部屋の床には服と本が散乱している。……どうやら、昨日の夜また暴れたらしい。同居している人間には僕の部屋に入らないように言ってあるので、誰もこの状態を知らない。

 僕は、ときどき夜の間に暴れることがあった。原因は、よくわからない。完全に無意識の行動だったから、自分が部屋を荒していると気づいたのはだいぶたってからだと思う。両親は心配し、僕を精神科医に連れて行ったり、騒がしい都会のせいにして、この町に引っ越してきたりしていた。そう、たしか、小学二年生のころだっただろうか。杏や和馬と出会ったのもこのころだろう。

 僕はさすがにまずいと思い、部屋のベッドに手首を自分で縛りつけた。夜中に目が覚めることもあったが、暴れることは抑えることができた。それを親はいい友達ができて、空気のきれいな田舎に引っ越したおかげだと思い込んだ。そして、僕の暴れ癖はもう治ったとも。

 実際は気付かれないだけで、こうしてたびたび暴れていた。いい友達も、空気のきれいな田舎もまったく効果がなかったわけだ。気付かないなんて、なんて低脳なんだろう。もしかしたら気付いているのかもしれないが、気付かないふりをしているのかもしれない。だとしたら、その判断は間違っている。少なくとも、僕は精神病棟行きだな。息子があんな行動を起こしたのに、まったく気が付いていないなんて。なんと愚かしい。

 部屋の小型テレビをつける。チャンネルを変えると案の定、ニュースがやっていた。地方局は地元で起きた殺人事件を映しっきり。それが一番視聴率を上げる方法だと分かっているから。だとしたら、僕は見事にその術中にはまってしまったわけだ。

『……藁大橋のしたは、駐車場として開発されかけておりましたが、地盤崩壊の危険があったとして取りやめにされました。そこで、悲劇は起こったのです』

 わざとらしく言い、顔を隠した子供に取材をしているシーンが映し出される。子供は泣きながら、なんでケンちゃんが、と喚いている。人の心を揺さぶる映像だろうが、僕には何の効果もなかった。何度も使い回しがされているしね。

 ブラウン管の中に、少年の顔が映し出される。目を細め、笑う口元には前歯がない。見事なまでに美しい少年の笑顔。ちがう。僕が見た彼は、もっともっと醜かった。もっともっと怪しい魅力を有していた。こんな写真は、嘘っぱち。きっと、それは僕だけが知っていること。

 画面の下に、宮脇健二くん(6)という白いテロップが流れる。そうか、彼は宮脇健二くんというのか。あの死体に、初めて名前がついた。いいや、あれはもう健二くんなんかじゃないだろう。あれは健二くんの残骸であり、最終形態だ。

『警察は、健二くんを犯人が橋の上から突き落として殺害したと見ています。橋の下からは健二くんの自転車が発見されており、警察は復讐目的で殺害したと……』

 その結論には驚いた。どうやら、彼の家は知人に金を貸していたという。その知人は行方知らずで、警察はそいつを容疑者として追っているらしい。わらってしまった。なんて馬鹿なんだ。警察なんて大したことない。これは好都合だ。

 僕は服や本を踏みながら、クローゼットの前に立つ。クローゼットを開き、一つの服をハンガーごと取る。服の前のチャックをおろすと、ハンガーにひっかけてあるビニール袋が現れた。袋から、それを取り出し、頬ずりする。

 心地よい血の匂い。血がかたまり、ばりっとした手袋はもう使いようがなかった。でもいい。こうやって見てるだけで、触っているだけで心が疼く。目を閉じて、あの行為を反芻する。ため息が漏れる。体温が上がる。僕はあの死体に、まるで恋をしてしまったのかの様。何度も何度も彼の頭に棒を突きたてる。どす黒い血があふれ出る。それがぼくの靴を浸していって……。

「優一! 降りてきなさーい!」

 母の声で、僕の行為がとまる。それによって行為が邪魔されたことで、少々の憎しみを覚えた。でも、それを明るいところに、表面にさらけ出すわけにはいかない。大きく息を吐いた。

「ちょっとまって! 今行くから!」

 手袋を、またビニール袋に戻した。



「ねえ、最近学校はどう?」

「まあまあだよ」

 箸で、麺とキャベツを口に運ぶ。味がしない。それでも、いかにもおいしいという表情を作って焼きそばを口に運ぶ。

「それにしても、聞いた? 事件の話……」

「聞いた聞いた」

 またその話か、とうんざりする。学校でもその話で持ちきりだった。そのおかげで、その話に対する対応というものを覚えられた。

「一体、だれがやったんだろうね」

「ほんとうにねぇ。こわいわぁ。優一も気をつけるのよ」

 そんな母親に、僕は微笑む。

「大丈夫だよ」

 だって、その怖い人はあなたの目の前にいるから。


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