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反覆


 僕の中には、二つの人間が存在しているのかもしれない。

 一人は人間らしい、正常な思考の持ち主。

 もう一人は残酷で、血を求め続ける。

 だとしたら、今の僕は、どちらなのだろうか――――。

 昨日やってきた廃ビルに、また足を運んでいた。廃れかけた看板の前、凍てついた冬の風はビルの隙間をくぐり、僕のマフラーを通り抜けてビルの中に走り去っていく。昨日落とした鉄の棒は、何も変わらないままそこに横たわっていた。

 ――――まるで、死体みたい。

 クスッと一人で笑う。割れた片方の棒を手に取ると、氷のように冷えた鉄の感触が手袋ごしから僕の手を冷やした。

 なあ、戻るなら今だ。これを置いて、さっさと家に帰ったらどうだ? あったかい晩飯や、ベッドのある部屋に帰れる。暖かい家族や友人に囲まれて、お前は何が不満なんだ?

 右側で、誰かがささやく。それはきっと、『普通』を愛する僕の声。

 今日のコートは長い。棒の一本や二本、隠せるはずだ。わかっているだろう。お前は満足していない。ずっとずっと夢見てきたんだろ? やっとその時が来たんだ。お前はお前の思うように行動すればいい。

 左側で、誰かがささやく。それはきっと、『血』を求める僕の声。

 目を閉じて、深呼吸する。まぶたの裏に、少年の醜い死体が映し出された。

「…………」

 コートと体の間に、鉄の棒を滑り込ませた。体に痛いほど冷たい鉄の感触が伝わる。右からは、誰の声も聞こえてこなかった。



 気がつくと、もうあたりはすっかり暗くなっていた。それまでどうやって時間をつぶしていたのかはわからない。でも、コートの内側に隠した棒だけがこれから実行しようとしていることを思い出させる。

 わからない。

 どうして、僕はこんなことをするのだろう。

 わからない。

 どうして、こんなところにいるのだろう。

 草をかき分けていくと、血色のない足と泥のついたスニーカーが見えた。用意してきた懐中電灯でその足を照らす。冬ということもあってか、腐ってはいないようだ。

 腐っている? 何を考えているんだ? 今からでも遅くない……。

 そのささやきはもうとても小さく、風に草が揺れる音でかき消されてしまった。

 草をかき分け、横たわっている『彼』に近付いていく。昨日と全く同じように、乾いた目玉をむき出しにしている。

 そっと、音をたてないように近づく。ゆっくりとコートの中から冷たく光る棒を取り出した。今日の夜空に、雲はない。

 死体の足を持ち、橋の下、土手の下あたりにある穴を目指して歩き出す。草と死体がずるずるとこすれる音が聞こえてくる。この穴は、駐車場が作られようとしたが、地盤崩壊の危険があるとかで中止になったものだ。今ではすっかり不良のたまり場と化している。が、この季節になると冷え込む場所なので、ほとんど人が来ない。

 懐中電灯で穴の中を照らす。床や天井、壁などはコンクリートで固められているが、奥の壁は土がむき出しになり、ひどく脆そうに見えた。

 死体の足を放す。コンクリートと人間の皮膚がぶつかり合う、パチンとした音がした。その音を立てている人間は、もう、生きてはいない。

 僕は死体を横向きに転ばせた。僕から見えるのは後頭部だけ。彼は今、どんな表情をしているのだろう。棒のとがった方を彼の耳の上部分につきつける。息が乱れる。汗が噴き出る。叫び出したい衝動に駆られ、僕はその欲望に従った。

「うっ、うわああああああああああああああああああああ!」

 棒を振り上げ、思い切り振りおろす。ごっという、鈍い音が暗い部屋に響く。

 息が切れる。意識が朦朧とする。それでも、目の前の光景から目が離せない。心が震えている。それは恐怖なのか、快感なのか。

 棒はとがった部分が二、三センチ沈み込んでいる程度だった。棒と頭の接合部分から、どす黒い油のような血が湧きだしてきて、それは僕の足元にまで広がってきた。

 まだ、完璧じゃない……。

 麻痺したような頭で、そんなことを考える。もっと深く深く。そう思って力を込めるも手袋のせいで手が滑った。仕方なく、片手を棒の頂点に置き、体重をかけて押す。ぐちゃりという内臓の音、骨の砕ける音が室内にこだまし、耳の鼓膜を震わせた。

 と、鉄とコンクリートがぶつかり合う、独特の金属音が聞こえた。見なくてもわかる。少年の頭を、棒が、鉄が、突きぬけたのだ。

 もう、棒から手を放しても棒は立ったままだった。あまりに不自然。あまりに不格好な光景。でも、まだまだだ。これではまだ、僕の計画は未完成。僕が長年待ち望んだ光景は、これではない。

 棒を横に倒すと、少年の死体も仰向けになる。さすがにもう血は溢れてこなかった。虚ろな彼の眼は虚空を向いている。彼が見ているのは神か? 天国か? それとも……僕か?

 死体の頭を押さえ、棒をさらに押す。手袋が汚れてしまったが、気にならない。とっかかりはあったが、意外とすんなり動いた。彼の頭は棒の端から中心に移動する。棒に、彼の血の軌跡が糸を引いている。それは模様のようで、美しいとさえ感じた。

 どこかにこれを支えられる場所はないかと、懐中電灯で周りを照らす。……当たり前だが、何もない。ふと、コンクリートの壁に穴があいているのを見つけた。僕の背丈より少し高いぐらいで、指を入れても壁に当たらない。けっこうな長さかもしれない。おまけに、持ってきた棒が入りそうだった。まるで、僕のために用意してくれていたよう。

 そう、ここは僕のための部屋。

「…………」

 死体のもとに引き返し、棒の両側を持つ。死体というのはなかなか重く、持ち上げることはできず、ずるずると引きずって行った。

 穴の前に来ると、手に力を込めて棒を上に持ち上げた。顔のすぐ横にある死体のにおいがきつく、思わず顔をしかめた。重くて、力仕事などあまりしたことのない僕にとって苦痛だった。それでも、棒を穴に差し込む。穴は棒より一回り大きく、つっかえることなく入った。棒の三分の一ぐらいが入ったところで、棒がつっかえた。ゆっくりと、手を放す。棒がかたむき、落ちるんじゃないかとはらはらしたが、引っ掛かったらしく少し斜めになっただけだった。死体も斜めになった棒から滑り落ちることはなく、ぶらんとした手足をさらしていた。

 少しずつ後ずさり、自分が作り出した光景を眺めていた。醜く、不格好。穢れていて、汚い。それでも、それでもいつまでも見ていたいという妖しい魅力に満ちた光景。ため息が漏れる。心が疼く。震える。顔がくすぐったい。僕は声を漏らす。


          くす


              くす


                    あ、あは


       あはははははははははは



 体が、心が、細胞の一つ一つが歓喜する。初めて心の底から笑った気がする。そう、これが笑うということ。喜ぶということ。ああ、だとしたらなんて素晴らしいことだろう! 心が震える。口からは満ち足りたわらいごえがまだ漏れている。これが笑うということ。なんて幸せ。なんて快感。これを今まで知らなかった自分が愚かしい。

 それと同時に存在する、わずかな罪悪感。それは刺となり、心臓を傷つけた。居間にでも泣き出してしまいそう。ごめんなさい。そう言って謝りたい。それなのに、心は躍る。笑い続けている。泣きそうで、笑っている。頭の中は謝罪の言葉で満ちているのに、それをかき消すような喜びの渦。対立する感情が、一つの体に同時に存在している。声を上げてよろこぶ僕と、脳をぐるぐると回る謝罪の言葉。

 ごめんなさい。

 たすけてあげられなくて。

 ごめんなさい。

 こんなひどいことをして。

 ごめんなさい。

 こんなことでしかよろこびを感じられなくて、ごめんなさい……。



 本当は、もっと見ていたかった。いつまでもいつまでも。でも時間は限りあるもので、リミットは刻々と近づいていた。

 携帯電話に映る電気の数字は、両親が帰ってくる時間が近いことを指していた。その前に、血で汚れた手袋と靴を処分しなければ。先ほどの興奮が嘘のように、冷たい金属に似た冷たさを脳が帯びていた。驚くほど冷静に、冷めていた。

 コンクリートから腰を上げ、尻についた砂をはたく。洗濯物のように干されている死体に向かってほほ笑む。また明日、と。僕はこの少年の抜けがらに、確かな愛着を持っていた。毎日だって、見に来るつもりだった。

 草をかき分け、橋の下から出る。月の光が川を照らし、川はそれに反射していた。鼻歌が聞こえる。それが自分のものだと気づくのは、もう少しあと。

 そして、もうここには来れないということを知るのも。

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