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誰かの笑う声

 曇り空。朝振った雪はまだ溶けきらず、ドロドロとした汚水の塊となっていた。そんな道を一人で歩く。和馬も杏も部活でいなかった。三年生はもう引退の時期だというのに、二人とも教師に黙ってやっている。まあ、二人ともそれなりの成績だから教師も黙認してるのかもしれないけど。

 普段は通らないような狭くて暗い路地をわざと選んで歩いた。古ぼけたビルとビルの間に反響する足音。思わずうしろを振り返りたくなるような、誰かが後をつけて来ているような音がした。

 ふと、一つのビルの前で足を止める。薄汚れ、あちこちが朽ちかけている小さな廃ビル。解体工事をしていたらしいのだが、看板の日付は僕の生まれる前から止まっていた。

 こんなとこがあるなんて、知らなかった……。

 マフラーをかけ直し、廃ビルに近付く。じゃりじゃりとした砂を踏み、穴となっている入り口をくぐった。ビルの中は、隙間から入ってくる光にところどころ照らされていた。が、天気の悪い今ではそれすらも薄暗い。

 今にも崩れ落ちそうな階段を上る。なぜそんなことをしたのかは覚えていない。ただ、何も考えていなかった、というのが正しいのか。

 廃ビルは二階建てで、一回よりさらに暗い二階を通って、屋上に出ることができた。コウモリが鳴くような耳障りな音が、屋上の扉から鳴った。

 もともと人がやってくる場所ではなかったらしく、フェンスも柵もなく、四角いコンクリートの空間がぽつんと存在していた。工事で使いかけていたのか、何かの機材がブルーシートで覆われている。ここにある雪はまだ真っ白で、誰も足を踏み入れていないとわかった。

 それを、蹴散らす。

 黒く黒く、汚す。

 そこら中を歩き回り、白い雪に足跡をつけて回った。何も考えず、ただ本能的に踏み荒らした。

 汚せ汚せ。

 足もとばかり見ていた。黒く染まっていく雪だけを見ていた。僕は、ひそかな笑いをもらした。

 と。

「……あ」

 足がビニールシートの山にぶつかる。ガシャンというコンクリートのぶつかる音。転がり出てきたのは……鉄の、棒?

「! っやべ」

 慌てて追いかけたが、それは僕の手をすり抜け、雪にまみれたコンクリートから……離れた。

 がああっしゃああああああああああああああああああああああああああああん!

 信じられない騒音。無意識に目をつむる。両手で耳を押さえた。

「…………」

 騒音の後に来る静寂は、痛いほど。おそるおそる耳から両手を離す。ゆっくりと眼を開ける。広がっている景色は、先ほどと何も変わっていないような気がした。

 さっきの音、誰かに聞かれただろうか?

 いくら人通りがないところとはいえ、これだけの音だ。誰かが様子を見に来てもおかしくない。だとしたら、ここにいる僕はまずいんじゃないのだろうか?

 マフラーをかけ直し、鞄を抱えて僕は走り出した。もちろん、このビルから出るために。



 入口を飛び出し、足を止めて息を整える。入口の近く、鉄の棒が落下したところには、真っ二つに割れた棒が転がっていた。鋭くとがった断面は、古代の槍を思わせた。

「…………」

 息が整うと、僕は何食わぬ顔で歩き出した。



 何年か前、学校を襲撃した犯人はこう言ったそうだ。

 門があいていなかったら、入らなかった、と。

 はたして、本当にそうだろうか?

 僕は違うと思う。

 僕は、この出来事がなかったら事件を起こさなかっただろうか?

 それもまた、違うと思う。

 そもそも、その出来事がなくても、あまり関係はなかったかもしれない。

 でも、きっかけの一つではあった。

 きっかけが重なり合った果てが、この結果。

 もしもあの出来事がなかったなら、と考えたこともある。

 しかし、行きつく結論はいつも同じ。

 僕は遠くない未来、そうなった。

 それが、早まっただけ。

 きっといつか必ず、僕は――――。



 心臓の鼓動が、早い。先ほどのことで、僕は動揺しているようだった。自分の小心さに、自嘲の笑みを一人で浮かべた。

 日は落ちかけ、灰色の雲がうっすらとオレンジ色を含んでいる。もう何分かしたら、完全に日が落ちるだろう。あの廃ビルで意外に長く過ごしてしまったようだ。

 土手をの脇の道を通り、コンクリートでできた大きな橋を渡る。たしか、ここの橋は作が低すぎると問題になった橋じゃなかったっけ、と思い出す。たしか、ここから男の子が一人落ちて怪我をしたんだよな……。

 うつむいて歩いていると、向かいから何かがぶつかるような音がした。顔を上げると、自転車に乗った一年生ぐらいの少年が一人、橋の柵にぶつかっていた。またこぎ出すが、よろよろとぶつかってしまう。自転車は油で磨いたようにピカピカで、まだ買ってもらったばかりなのだと、練習したばかりなのだとわかった。

 少年はよろよろしたまま僕とすれ違う。橋が下り坂になり、自転車のスピードは上がる。が、狭い道の上、車道に出そうになり、あわててハンドルをきる。ハンドルを切ったのは、低いと問題になった柵の方向……。


 危ないと注意する機会はあったはずだ。

 とっさに手を出して助けることも、不可能ではなかったはずだ。

 でも、僕はどちらもしなかった。

 僕は、見ていた。

 少年の体が自転車を離れ、空中に飛び出すところを。


 どさっという鈍い音。大きな音を立てて転がる自転車。僕は黙って、それらを見つめていた。隣を、ライトをつけた車が通り過ぎる。光は自転車を、僕を一瞬だけ照らして、すぐに僕のもとから消えてしまった。

 心臓が早鐘を打つ。一歩一歩を踏みしめるように、橋の下――――土手にむかう。

 橋の下は暗く、注意して見なければそこに少年がいるとはわからないほどだった。

 少年は仰向けに転んでいた。雲の割れ目から見えるかすかな月光で、白目をむき、よだれを垂らした哀れな姿をさらけ出した。

 手首に手を当てる。まだ温かいが、どんどん体温が失われていくのが手袋ごしにわかった。そして、脈が動いてないことも。

 救急車を呼ぼう、人を呼ぼう。

 そんな考え、頭をかすめもしなかった。「大丈夫?」と声すら掛けなかった。ただ、生きているか死んでいるか、確認しただけだ。

 そして、その時の僕の頭をしめていたのは、あのあきれた妄想。

 人の頭に棒を刺すとどうなるか。

 そんな、あきれた妄想だった。



 息が荒く、体中がどくどくと脈打っている。めまいが、立ちくらみが僕を襲う。それでも意識ははっきりとしており、死体から目が離せないでいた。

 頭の中に、廃ビルでの光景がよみがえる。あの堅そうな、さびかけた鉄の棒。あんなに鋭かったじゃないか。もしかしたら、使えるかも――――。



 あれ?

 僕は……何を考えているんだ?

 自分の考えていることに気付き、恐怖を感じた。何を考えているんだ! そんなの人間の考えることじゃない! こんなの普通じゃない! 中学生が考えることじゃない! こんなこと、考えるな!

 そう考えることが、どこか白々しく、嘘っぽく思える。

 わかっている。そうやって否定する心こそ、そうやって恐怖する心こそ演技なのだと、心のどこかで冷めた部分で理解している。人間らしく振舞おうとする心こそ嘘。普通に生きようとしていることが嘘。僕が異常でないということが嘘。嘘。嘘。

 いつだって考えていた。なぜ僕はみんなみたいに笑えない? 泣けない? 怒れない?


 他人を欺き、


 家族に嘘を吐き、


 友人を騙し、


 自分にすら偽る。


 なんとも、


 なんとも救いようがない。


 なぜ今まで認めなかった?

 認めたくなかったからだ。

 いままで、子供特有の残虐さに対する好奇心、世間では珍しくない、刺激的なことが好きなだけだと思っていた。そう信じていた。

 でも、違う。

 こんな状況でそんなことを考えること自体、異常だ。

 なぜ僕は、死体を目の前にして冷静でいられるんだ?

 なぜ僕は、死体の頭に棒を突き刺そうなんて考えたんだ?

 なぜ僕は、叫び声一つ上げないんだ?

 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!

「……う、う」

 足が震え、芝生の上に膝をつく。喉をせりあがってくる熱いものを、必死で飲み下した。その吐き気が死体を見たショックでないことが、余計に吐き気を催した。

 明日。

 小さく、一言つぶやく。

 明日、まだ死体が発見されていなかったら……。

 されていなかったら、どうなるんだ?

 なにをする、つもりなんだ?

 わからない。

 わからないよ。

 僕はただ、もがくことしかできない。



 死体を、橋の下の暗い部分、草が生い茂る部分に移動させた。そこに死体があるなんて、誰も気づかないような場所に。

 橋の下から出て、空を見上げる。町の光で見えにくくなった星と、厚い雲が空に浮かんでいた。月はもう、見えない。

 ……あ、自転車。

 橋の上には、この少年の自転車が転がっているはずだ。それを見て、誰かが不審に思ったらどうしよう。死体が……見つかる?

 その瞬間、僕は走り出していた。



 なぜ、死体が見つからないように隠したのかはわからない。まるで、秘密基地に宝物を隠す子供のように。

 僕はこう考える。あの時僕は混乱と疲れが入り混じった、ぐちゃぐちゃの状態だったのだと。だから、無意識に従ったのだと。

 本能、に。



 翌朝、何事もなく朝を迎えた。

 僕の家では父はよく出張に行くし、母も夜勤が週に二度ある。昨日は二人とも留守だったので、遅くに帰っても何も言われなかった。

 そういえば、今日も家には誰にもいないな……。

 ベッドの上で、そんなことを考える。いつの間にか浮かんでいた笑みを知っても、何も感じなかった。



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