ありのままというふしあわせ
長い間、眠っていた気がする。
体を襲う倦怠感。目が覚めた時、瞼を開けるのさえを躊躇したほどに。もう一度寝ようと、寝がえりを打とうとしたとき。
「……ん」
手が動かない。重たい。ゆっくりと、目を開いた。灰色の箱のような部屋、その端にあるベッドの上に、僕はいた。手錠つきで。
僕の両手は、分厚い鉄の輪でつながれていた。動かすと、鉄がぶつかり合う音がする。ぼんやりと天井を見つめる。小さな窓から見える青は、鉄格子で区切られていた。
少しずつ、記憶がよみがえる。まず最初に思いついたのは、警察だった。僕は捕まったのかと。が、すぐにおもい直す。いきなり後頭部に拳銃を突きつけてくるほど警察も現場慣れしていないだろうし、威嚇射撃をしないと後々面倒だ。それに、口ぶりからして通りすがりの一般人って線も薄そうだ。それに、あの身のこなしは、
「ヤクザ……かな」
言ってから、苦笑い。僕は極道のほうに首を突っ込んでしまったわけか。厄介だった。
殺されるのかな……。
細胞がひとつひとつ、死んでいっている気がした。殺人鬼が殺される。最高のコメディじゃないか。力が抜ける。窓から見える、澄み渡った空を見つめる。
流れに身を任せてみようじゃないか……。
瞼を閉じると、男たちの亡骸が浮かび上がる。手には、ぐにゅりとした感触がよみがえる。誰にも気付かれず、僕はうっすらと笑った。
次に目が覚めたのは、扉の開く音がしたとき。いかつい中年の男が入ってきたときだ。
無理やりスーツを着せたようなビール腹。それでも、どこか筋肉質な印象を受ける男。髪には白いものが多く混じっており、指には重たそうな指輪がいくつも付いていた。
男は僕のベットに近付き、見下ろしてきた。ぼんやりとしたまま、男が口を開くのを見つめる。
「おまえ、沢田優一やな?」
関西弁の問いかけを、否定することも一瞬頭に浮かんだ。が、こんなことを訊いてくるぐらいだから調べは付いているのだろうと思い直し、うなずいた。
「まだ十五だっちゅうに……なにをやっとるんや」
男がぶつくさ言うが、何も言い返せない。言い返す気力がないと言った方が正しいのだろうか。男はやれやれという風に首を振る。
「おまえさんが、わしの娘を助けてくれたのには感謝しとる。だがな、指名手配犯となると……」
「指名、手配?」
日本語の意味がわからなくて、繰り返す。指名手配。僕の写真が、公開されたのか。
頭の中が混乱する。それでも、逃げ出さないと捕まるということだけはわかった。片手を、渾身の力を込めて引っ張る。が、鎖が音を立てただけだった。そんな姿を見て、男は再びため息をつく。
「やれやれ……。まだ逃げる気なんかいな、おまえ」
「当たり……前」
苦々しく言い返す。男は背後に立つ、部下らしい男に目くばせした。色の濃い、サングラスをかけたスキンヘッドの男は、僕の腕を掴む。骨が折れそうなほど、力が強い。
「っ! おいっ、やめっ」
「やめろっつってんだろ!」
獣の咆哮。あたりが静まり返り、僕も思わず体を震わせ、声のした方向に向いた。それは、僕の手をつかんでいるスキンヘッドも同様、誰もがそちらを向いていた。
体の大きい男たちが一人、また一人と扉から後ずさり、その人の邪魔にならないようにする。屈強な男たちをよけ、中心を通ってきたのは……。
「よう、このあいだはありがとよ」
あの、部屋で縛られていた女だった。
が、どう見ても同一人物には見えなかった。目を瞬かせ、その女性を呆然と見つめる。
おうとつのはっきりした肉体には、目がちかちかするほど鮮やかな赤のスーツを身にまとい、やわらかそうにウェーブした栗色の髪は、肩にかかる程度に切ってある。アーモンド形の鋭い目に、誘うようにつり上がっている唇。彼女のまとう雰囲気が、空間が、弱々しいあの姿とは結び付かなかった。そう、まるで、雌の獣のような。
「それにしても、ずいぶんな扱いじゃねえかよ。命の恩人に対して」
なあ、親父。といって割腹のいい男の方へ向く。……娘、なのか?
僕の視線に気づくと、女は僕の方を向いて、にやりと笑った。つかつかと近づき、顔が触れ合いそうなくらいに近付いてくる。動けない僕の顎をつかみ、品定めするようにじろじろと眺めた。
「へえー……こんな細っこい野郎が八人を八つ裂きにねぇ……信じらんねえ」
八人? 首をかしげかけて、ああ、と思い出す。そういえば、あいつらは八人組だったな。
それにしても、と女を睨む。突然やってきては、人を値踏みするようなことをされて、あまりい気分ってわけにもいかない。
「わりーわりー。そんな睨まないでくれよー」
笑いながら、顎から手を外す女。髪を揺らしながら、僕の方をまっすぐ見る。
「そうそう、あたしの名前まだ言ってなかったな」
「…………」
片手で髪をかきあげ、にやりと笑う女。耳には、牙のように鋭い金色のピアスが光っていた。
「あたしは、加賀麻紀子。よろしくな、ゆーたん」
「…………」
ここが、僕の人生の割れ目。
「じゃーん! みてみてゆーたん!」
「…………」
女――――麻紀子さんは、お礼をすると言って男たちを部屋から追い出した。僕を縛りつけている手錠をあっさりとはずし、運び込んだ木製のテーブルの前に座らされた。「ちょっとまってろ」と言われたきり、椅子の上で落ち着きなく待たされていた。
やがて、二〇分ほどしたころ、やっと麻紀子さんは帰ってきた。両手で、銀のトレイを抱えて。その上に乗っていたのは――――おいしそうにこんがりと焼けた、ステーキ。
「……なんですか、それ」
「なにっておまえ、ステーキだろ」
「見ればわかります」
「これがお礼だよ。お礼」
「…………」
札束的なものだと思ってたけど……。
別に期待はしていなかったけど、拍子抜けした。組長の娘って、意外と庶民的。
「さっ、ありがたく食え」
テーブルの上に湯気を立てた肉の乗った皿と、ナイフとフォークがポンと置かれる。麻紀子さんは、僕の向かいの椅子を引き、テーブルに頬ずえをついて座る。満面の笑みで。
「…………」
「どうした? 食わねえの?」
「いえ……いただきます」
視線をひしひしと感じながら、ナイフとフォークを動かして口に入れ、咀嚼する。本当に、やりにくい。
「うまいか?」
「おいしいです」
「そりゃよかった」
満足気に、うんうんとうなずく。にこにことしながら、料理の様子を語り始めた。
「いやー初めて料理したから手が震えちゃってさー、包丁で指とか切っちゃったから、付け合わせの野菜は素手で切ったんだけどねー」
マジ?
付け合わせのニンジンに、目を向けてみる。形はバラバラだが、包丁で切ったとしか思えない切り口だ。頭の中で、麻紀子さんがニンジンに向かって手を振りおろす。
「…………」
シャレになんねえ。似合いすぎる。
「あとなーゆーたん、その肉さー」
「あの、一つ訊きたいことがあるんですけど」
手を止めて、麻紀子さんの顔を見る。話が中断されて不快なのか、形の良い眉をあげて「あん?」と呟いていた。
「麻紀子さんと、ここの人たち――――加賀組の人たちは、僕が何をしたか知ってるんですよね」
「ああ、知ってるよ。子供を切り刻んだんだろ」
あっさりと、なんてことないような口調で答えた。まるで、朝食は御飯だよ、というような軽々しさ。その動揺のなさに、僕は内心驚いていた。
「だったら、いいんですか?」
「なにが?」
「そんな危険な男と部屋に二人っきりで」
笑いを浮かべ、テーブルの下で回しているナイフを持ち直した。ギュッと言う音が、聞こえてこないかと思うくらいに。
「ああ、それだったら大丈夫だよ」
「なぜ?」
「そりゃもう、ゆーたんを信じているからさ」
「…………」
白々しすぎる。
「……とまあ、冗談はおいといて」
「冗談ですか」
「んー、期待したか?」
「いえ、全然」
麻紀子さんは肩をすくめ、小さく両手をあげた。周りをぐるっと見回す。
「たとえばなー……。お、ほらあの穴」
「? あれがどうかしましたか?」
注意してみないとわからないような、本当に小さな穴。直径は一センチほどだろうか。その小さな穴に向かって、赤いマニキュアの爪を向ける。
「あそこから、弾丸が飛んでくる」
「…………え」
僕の様子がおかしいのか、くすくすと笑う。小馬鹿にした笑い方の中に、少し女の子らしさが感じられた。
「あれだけじゃない。部屋のあちこちから、お前が不審な動きをしたとき用の銃がスタンバイされてる」
「…………」
「仮にもヤクザだぜ? 無防備に凶悪犯と組長の娘を部屋に入れるわけねえじゃん」
「……そうですね」
僕はゆっくりと手を挙げ、ナイフをテーブルの上に置いた。食器の触れ合う様子を、麻紀子さんは満足気にみていた。
「なあ、もういちど訊くけど、うまいか?」
「おいしいですよ。すごく」
「そりゃよかった」
うんうんとうなずく麻紀子さん。右手を頭上に挙げ、ぱちっと指を鳴らす。そして、真っ赤な口を開く。
「小林! 来い!」
まるでそこに待機していたように、いや、本当に待機していたのかもしれないが、すぐに鉄の扉が開いた。入ってきたのは――――あの、スキンヘッドの男だった。
「あーだいじょーぶだいじょーぶ。こいつはあたしのお目付け役みたいなもんだから」
身構える僕に、ひらひらと手を振った。お目付け役だからといって、僕に襲いかからないという保証はどこにもないのだ。
「小林、あたしは親父とこいつについて交渉してくるから。頼むよ」
「わかりました」
野太い声で返事をする男――――小林。サングラスをかけた顔から、表情は少しも感じ取れない。
「…………」
「…………」
どうしよう。ものすごく気まずい。話題、何か話題をふらないと。やくざが好きな話題ってなんだよ。ヤクか、ヤクか、ヤクか。
「……あの」
「なんだ?」
「今日はいい天気ですね」
言ってから、しまったと思った。さらに深まる沈黙。溝がどんどん……。
と、言うところで予想外のことが起こった。
「……っく。くっくっくっく」
なんと、小林がふきだしたのだ。黒い肌とは対照的な白い歯を見せて。
「……あ、あの……」
「悪い悪い。俺に天気の話を持ちかけてきたのはお前が初めてだ」
「は、はあ」
どうやら喜んでもらえたようだ。晴れにしてくれたお天道様に感謝がしたいね。
「そういえば――――沢田、といったな。お前もお嬢の料理を食ったのか?」
「はい。おいしく頂きました」
「そうか……そりゃ幸運だったな。いや、奇跡か」
「?」
「この前俺にふるまってくれたステーキは、塩と砂糖、ワインとブドウジュースが間違えられてて甘かった」
「…………」
僕は、もしかしてすごく幸せ者なのでは?
「怪物料理になる確率は十割だったが……これで、九割がた安心だな」
「あの」
僕は、本当はこんな世間話なんかしたくない。
知りたいのは、外のこと。
「そとは……世間では、僕のことを追っているんですか」
「……ああ。指名手配犯だ。未成年の指名手配犯なんてめったにいないから、マスコミが騒いでる」
ぐったりと、力が抜ける。体が震えだす。歯が、カチカチとなる。
知られた。みんなに、僕の本性が。築き上げてきたものが、嘘まみれだったって知られた。ぼろぼろの、狂った嘘つきだって。
築き上げてきた者の崩壊に震えるとともに、心のどこかでほっとしていた。それはかすかな、小さな声だったけど、確かに僕の声。
これで、もう嘘をつかなくてもいいんだ。
泣きたいような、思いっきり笑い飛ばしたいような、ぐちゃぐちゃの気分。頭の中に、和馬の姿が浮かんだ。あいつは、どんな顔をしただろうか。僕を憎んだ? 嘲笑った? それとも……泣いた?
いつかは来ると思っていた未来。それが、手が届きそうなくらい近く、密接に僕に寄り添い始めていた。
「これから……どうなるんだろう」
景色がゆがむ。急速に、眠気が襲ってくる。料理に、毒でも入っていたのだろうか? 先ほどまで眠っていたとは思えない、急速な睡魔。
「料理に睡眠薬を入れさせてもらったぜ。悪く思うなよ、沢田優一」
ああ……そうなんだ……。
だったら今は、眠ろう。
瞼を閉じる。すべてから解き放たれたような、安らかな眠りだった。
安らかな眠りは、飛び蹴りで揺らいだ。
「……なにするんですか」
「起きろ。釈放だ」
「え?」
思わず飛び起きた……が、違和感を感じる。そうだ、手錠がない。飛び起きれるはずが、ないのに。
眠い目をこすり、目の前の男をまじまじと見つめる。たしか、このスキンヘッドは、小林、だったかな。その小林が、ベッドのそばで苦々しく立っている。
「おはようございます……で、釈放って?」
「まあ、ある意味では終身刑だな……」
「?」
「おまえは、ここで働いてもらう」
「……はい?」
僕が? ヤクザのところで?
断ろうと口を開きかけ、閉じる。断って、どうするというのだ。今、世間では僕のことを警察やマスコミが血眼になって探している。まっとうなところで過ごしたいというのは、あまりにも高望だ。
「すぐってわけじゃあないが、あまり待っていられないのだが」
「いえ、大丈夫です。もうちょっと聞かせてください」
小林は、髪のない頭をぼりぼりと掻いた。サングラスをかけているので表情はあまり分からないが、それでもいい気分ではないことがわかる。
「……おまえは、掃除屋に適切だと言われたらしい」
「掃除屋?」
「ああ。ゴミ……といっても、人を掃除するんだがな」
「それってつまり……」
人を、掃除する。
人を、片付ける。
その言葉がさす意味は、十分すぎるほどわかった。
僕は、うつむいた。頭の中が真っ白になる。拳がベッドのシーツを握りしめた。
「俺としてはこんな仕事、子供にはやらせたくないんだがな……まあ、嫌ならいい。警察にお縄になるって手もあることだしな。無理にすることはない」
違う、違うんだよ小林さん。
肩がふるえる僕を見て、小林は気を利かせてくれるように扉に手をかける。鉄の扉が開く音がして、最後に一言いい残した。
「お嬢に、きちんと礼を言えよ」
扉が閉まる音。その瞬間、感情が爆発した。口元が、緩む。
「……っふ、くふふふっ、あはっ、あははは」
天井を見上げた。ああ、神に感謝したいね! 今度ばかりは信じるよ。
今度は、堂々と人を殺せる! 仕事という代名詞を与えてくれたんだ! もう、我慢することなんてないんだよ!
ありのままでいいんだ。仕事だからっていいわけできる。本性をさらけ出してもいいんだ!
ベッドに横になり、こみ上げてくる笑いを押さえた。それでも我慢できなくて、狂ったように笑い続ける。息を吸い込むと、あの匂い。あの感触、あの興奮がよみがえる。
目を見開いたまま、笑い続ける。その目尻をたどる、一粒のしずく。




