追憶
人の頭に鉄の棒を通すと、どうなるのだろうか。
昔から、ずっと考えていた。退屈な授業中に。車の後部座席で。あるいはベッドの中で。
あっさりと棒は人の頭を突き通せるだろうか。それとも、頭蓋骨が硬くて長い時間をかけないと鉄の棒なんて通らないかもしれない。そもそも、人間の力ではできないかもしれない。誰もやったことなどないのだから。
もしも突き刺した棒がパイプのように穴が空いていたら、棒の穴から脳味噌が垂れてくるだろうか。棒を物干し竿のようにして、人間を吊り下げてみたらどうなるだろうか。何事もなくぶら下がったままだろうか。それとも、重みに耐えきれず、首のあたりが千切れるだろうか。頭から皮が避け、ずるずるになった皮膚と肉体が地面に落ち、頭蓋骨だけが残っているかもしれない。脳味噌が混ざった血を滴らせながら。
他の子供が空想上のペットと遊ぶように、僕は空想上の死体で遊んでいた。周りを見て、目に付いた人間の頭を串刺しにした。それはとてつもなく愉快なことで、笑みさえ漏らしたこともある。
僕をさらに愉快にさせたのは、それを誰も気づいていないこと。僕が頭の中で残虐な殺人を繰り返しているのを、誰も気づかないこと。僕が公園で子供と遊び、怪我をして帰ってきたら、怒ったような顔で大人たちは喜ぶのだ。あらあら、やんちゃな子ねえ、と。僕が本当にしたかったのは、すべり台でもブランコでもなかったというのに、僕はそれをして大人を喜ばせた。怖かった、というのもあるかもしれない。殺人事件のニュースを見て、怖いとチャンネルを変える母親。ずっと見ていたかったのに、と文句を言うこと、チャンネルを戻す勇気が僕にはなかった。
いつか、僕の本性を知ったら、母親はチャンネルを変えるように子供を変えるのではないかと。僕のことを忘れて、捨ててしまうのではないかと。恐ろしい子供だと言われ、後ろ指を指されるのをひたすら恐れていた。
だから、僕は演じた。無邪気で、甘いお菓子が大好きな子供を。外で遊びまわり、怪我をして帰ってくるような子供。周りは口々に僕のことを、しっかりした明るい子ども、と評価した。本当は、ただの臆病な哀れな動物だというのに。それでも、殺人の空想は止められなかった。それは、一種の麻薬のように僕を支配していた。
そして、あの日はやってきた。
僕が、僕でなくなった日、と誰かがいった。
でも違う。
それは、僕が僕に還った日だと、確信している。