後悔
新宿のウインズに久しぶりに行った帰り、出会った人物は、唯一の友達と認めていた、鈴木だった。
年に何度か会い、金の無い俺に飯をおごってくれていた、売れない俳優の俺を、最後まで応援し続けていてくれた、俺にとっての最高の親友。
南極に行く時、こいつにだけは話してから行こうかと考えたが、結局何も言わずに、俺は死ぬことを決めた。
心残りがあったとすれば、死ぬことをためらう理由があったとすれば、この鈴木の事だけだった。
そんな唯一無二の親友が、今目の前にいる。
俺は抱きついて、思いっきり泣きたかった。
理由はハッキリとはわからない。
嬉しかったのか、申し訳なかったのか、おそらく両方なのだと思うが、とにかく複雑で泣きたい気持ちだった。
だが、今の俺は、西口悠二ではない。
高橋光一だ。
この事は、話さないと約束した事だ。
でも、鈴木には話しても良いのではないだろうか。
これ以上無い親友なのだから。
きっと信じてくれる。
きっと誰にも話さないでいてくれる。
それでも、俺は不器用だった。
約束は破れなかった。
「はい、なんでしょうか?」
俺は普通に、見ず知らずの人と話すように、こたえていた。
もし、俺が少しでも融通のきく人間だったら。
こんな時、演技力のある俳優であった事が悲しい。
平気な顔で、赤の他人の演技ができてしまう。
俳優なんて、最悪な職業じゃないかと、思った。
「いや、ちょっと大切な人に似ていたので・・・」
俺の顔を見つめたまま、鈴木はまだ、驚いた顔をしている。
西口悠二は死んだ。
この世界では今、そういう事になっている。
でも俺は此処で生きている。
叫びたくなった。
「そうですか。では・・・」
鈴木の顔を見ているのが辛かったから、俺は早々に立ち去ろうとした。
しかし鈴木が俺の肩をつかんで、行かせてはくれなかった。
「あの、あなたの父親の名前、西口悠二じゃないですか?」
いや、本人なんだよ。
鈴木よ、もう勘弁してくれ。
振り返った。
泣いていた。
鈴木が、泣いていた。
俺は、俺はどうして、死のうとしていたのだろう。
何故こんな事になったのだろう。
もし、死のうなんて思わなければ、きっと鈴木が俺を助けてくれたに違いない。
もし、南極に行く前に、鈴木に声をかけていれば、きっと死に物狂いで止めてくれていたに違いない。
後悔ばかりが俺を襲った。
だけど、全ては今更だ。
今の俺は高橋光一。
俺は融通のきかない男だ。
何も話せない。
山瀬さんの時のように、上手い具合に伝えられないだろうか。
俺にできるのは、これくらいだろうか。
「違いますよ。あ、せっかくなので、こちら、受け取ってもらえませんか。」
俺はいつも持っている、万屋イフの名刺を、鈴木に差し出した。
すると鈴木も、自分の鞄の中をそそくさと探し、慌てて名刺を差し出してきた。
鈴木の名刺に書かれた事柄は、名刺を貰わなくても全て記憶している事ばかりだった。
「俺、万屋やってるんです。「命」に関わる事で、何かお困りの事があったら、是非連絡ください。」
正直、自分でも何を言っているんだと思う事を言ってる。
命にかかわる仕事を、ただの万屋が?
バカバカしい。
免許を持たない医者だとでもいうのか。
だけど、鈴木は真面目に、俺の話しを受け取ったようだった。
「では、何かあれば。」
俺は、鈴木に背を向けて歩きだした。
今度は肩をつかまれて、止められる事もなかった。
一人で10秒も歩いただろうか。
涙が出てきた。
だが、まだ後ろから鈴木が見ているようで、俺は涙を拭う事もできなかった。
俺は駅を越えて、更にまっすぐ歩いていった。
雨が降っていた事を思い出した。
雨が涙をごまかしてくれる、良かったと思った。