七、昼となって
鐘が大気を震わせ、正午を告げる。
時が流れるのは早いものだ。
私はチャーイちゃんを膝に乗せ、お母さんの膝上に乗せられ、周りを家族や親しい人達に囲まれて他愛のない話をしていたらあっという間に太陽が真上に昇っていた。
「あら、もうお昼なのね。私帰らないと」
しかしそんな時間も終わりのようだ。デウラテさんが帰宅するらしい。
「あたしらもおいとましようか」
イヤニヤさんもか。まあ、お昼ご飯の時間だし、潮時なんだろうね。寂しい気もするが、もう会えない訳じゃない。
「えーっ! やだやだ! アレシアお姉ちゃんといるーっ!」
だがチャーイちゃんが駄々をこね出した。私の腰にギュッと手を回し、断固帰らない体勢を取る。
「こら! わがまま言うんじゃないよ!」
「やだったらやなの!」
「あの、よかったら皆さんうちで食べて行きません?」
母親と娘が睨み合う険悪な雰囲気をどうにかしゃうとお母さんが気をきかせて皆をお昼ご飯にご招待。私の腰に抱き着いているチャーイちゃんは満面の笑みを浮かべて顔を私のお母さんに向ける。
「いいの!?」
「もちろんよ」
期待に目を輝かすチャーイちゃんに、お母さんも笑顔で返事をする。
「わーい! やったー!」
ただイヤニヤさんはまだ納得してないみたいだ。お母さんへ控えめに辞退を申し出る。
「でも、迷惑だろう?」
「そんな事ないです。ね、あなた?」
「是非ご一緒して下さい」
「嬉しいけど、私はアーザスにお昼ご飯用意しなくちゃならないから」
「それはあたしも同じさ。ほら、チャーイ。お兄ちゃん達を飢えさせたいのかい!?」
デウラテさんもイヤニヤさんも日常があるのだ。残念だが私とずっとお話してる訳にはいかない。
「うえーん! お姉ちゃーん!」
まだ彼女は小さいからそれが分からないんだろうね。チャーイちゃんは泣き叫び、私にしがみついて離れない。
「困ったねえ」
どうしたものかと、ため息をこぼすイヤニヤさん。
「もう皆まとめて呼んじゃいましょうよ。私とデウラテさんとイヤニヤさんがそれぞれ料理を持ち寄ってうちにまた集合すればいいでしょう?」
お母さんも思い切った提案をし出したね。もうまとめて全員呼べばいいじゃんときたよ。
「あら、それ面白そう。イヤニヤさんはどうします?」
デウラテさんは好意的。さて、イヤニヤさんはどうだろうか?
「うーん。ま、いいんじゃないかい?」
お、これでチャーイちゃんのわがままが通ってしまった。教育上大丈夫かな。泣けば意見が通るって思い込む事がなければいいんだけど。
「じゃ、何を作るか決めましょうか。えーと、食材庫に何があったかしら」
「食材庫の中を見せてくれるかいマリーさん。同じ物作ったらつまらないからね」
「分かったわ、ついてきて」
「あ、私にもお手伝いさせて頂けないでしょうか?」
「ディーウァちゃん、ありがとう。助かるわ」
「チャーイ! お行儀良くしてるんだよ!」
「はーい!」
私がチャーイちゃんの将来を心配しているのを露知らず、お母さん一同はこうして階下へと行ってしまった。部屋にはチャーイちゃんに、お父さんとお祖父さんが残される。部屋の隅にいたお祖父さんだったが、お母さん一同がいなくなったので私の隣に腰掛け、私を見つめる。
「元気じゃのう、マリーさんは」
「そうですね」
「本当に、よう帰って来てくれた……」
お祖父さんは小さく呟き、私の頭に手を乗せる。見た目はしわだらけだが、とても温かい手だ。ほんわかした気持ちにさせられる。
「えへへへへー。お姉ちゃんあったかーい」
チャーイちゃんはさっきからずっとくっついたまま。離れる様子はないみたいだ。
まあ、ここまで慕われるのも嫌な気分じゃない。しばらくこうしていようかな。
四人でのんべんだらりと過ごしていた部屋に、いきなり一人の少年が乱暴に扉を開けて入って来た。陽光に暖められた室内の空気が、廊下の冷たい空気と入れ代わる。
「チャーイ、ご飯出来……た、ゾ」
入って来たのは、安価で庶民の服によく用いられるレモン色の生地で出来た長袖長ズボンに、靴底が木で出来たサンダルを履いた少年。サンダルに収まる足には、暖かそうな靴下を穿いている。年齢は私と同じ七歳程度だろうか。身嗜みにはまだ気を使ってないようで、茶色いくせ毛が所々跳ねているのが印象的だ。
その少年は扉のノブに手をかけたまま、姿勢を崩さずにいた。少年の目は私と私の膝上にいるチャーイちゃんに向けられ、一向に動き出さない。
「どーしたの、ルールお兄ちゃん?」
疑問に思ったチャーイちゃんの呼び掛けにもまるで反応はない。どうすべきかと思い、お父さんとお祖父さんの方を見てみる。
あれ、二人共特に気にしていないみたい。ただお父さんの雰囲気が心なしか悪いような気がするけど、それ以外の変化は見られない。
「ジェイソン、どうする? あの子も餌食になったようじゃぞ」
「まだ分かりませんよ。ただ驚いているだけではないですか?」
あぁ、そういう事か。お祖父さんの言葉の意味は分からなかったがお父さんの発言で合点がいく。あの少年は死んだと思われていた私が存在しているのに驚いている訳だね。
「お兄ちゃん、だいじょーぶ?」
しかし身動きを止めた兄が心配になったらしいチャーイちゃんは私の膝上から下りて、少年に近付いていく。ついでだし、私もついていこう。ベッドから滑り降り、右手にある木製のがっしりした机に背中をもたれさせているお父さんの横を通り抜けようとした。
すると、何故かお父さんに肩を掴まれた。
「何ですか、お父さん?」
「いや、何でもない」
はっとした表情をしたお父さんはすぐに肩を離す。
「?」
結局何だったのだろう。でもお父さんが何でもないと言ってるからいいや。
狭い部屋だ。お父さんの脇を通って十歩もいかずに少年の目の前に立つチャーイちゃんに追い付いた。
「お兄ちゃん、どーしたの?」
チャーイちゃんがとんとんと少年のお腹をつつく。それに反応した少年は視線を下に向け、チャーイちゃんを見る。
「お兄ちゃん?」
チャーイちゃんの心配げな表情に気付いたらしい。少年は無事だと告げる。
「あ、うん。大丈夫。それより……」
チャーイちゃんと目を合わせる為に俯いていた顔を上げ、私に視線を移す。
「うわぁっ!」
えーと……何か、私を見た瞬間のけ反られたんだけど。おまけに転ばせてしまった。
傷付けばいいのか、申し訳なく思えばいいのか、憤ればいいのか。複雑な心境だ。とりあえず、適当に声を掛けてみる。
「あーと……大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫デス」
「良かった」
廊下に尻を付いた少年の足元まで近寄り、立ち上がるのを助けようと思って手を差し延べる。
「どうぞ」
「アアアアリガトウゴザイマス」
「あいつ……」
「ジェイソン、落ち着けっ」
少年は顔を真っ赤にしながら私の手を取りゆっくりと立ち上がる。思春期かい? 若いねえ。
「お兄ちゃんずるい! ワタシもっ」
何がずるいんだか分からないが、右手を少年に、左手をチャーイちゃんに握られて両手がふさがった。
この少年、チャーイちゃんにルールお兄ちゃんと呼ばれてたけど……どんな人だったっけかな。あーと……あぁ、思い出した。私に何かとちょっかいかけて来た男の子といつも一緒にいた子供だ。何をする訳でもなく私を見つめてきて、そのくせ私が視線を合わせようとすると首をあらぬ方向へ曲げてしまう。そんな子だった。
「あなた……ルール君はお昼ご飯が出来たから呼びに来てくれたんですよね?」
「ウン、ソウ」
その時、階段を駆け登る音がした。ルール君が戻って来ないから誰か呼びに来たのかな。私は階段の方へと首を左に曲げる。
「本当にいた……」
「マジかよ……」
現れたのは二人の男の子。一人はデウラテさんの息子さんで、わりあい仲の良かったアーザス君。さらさらの金髪が特徴のかわいらしい男の子である。もう一人は私にいたずらを敢行して来たグループのリーダー、ラインラ君。ルール君の兄でもある彼は細身の弟と違い、若干体ががっちりしている。
「お二人共、久しぶりですね」 何分突然現れたもので、たいした言葉を紡げなかった。無言よりはましだろうと、ありきたりな言葉を再会の言葉とする。
それが気に食わなかったのだろうか。アーザス君が握りしめた左手を自分の胸に当て、目には涙を浮かべながら声を上げる。
「久しぶりじゃないよ! 死んだって聞いたからボクは……ボクがどんなに悲しんだと思う!?」
そんなに悲しかったのか。申し訳ない気分になり、口から謝罪の言葉が滑り出す。
「すみません」
一方、アーザス君の隣に立つラインラ君のアーザス君を見る目を冷ややかだ。
「おまえ男のくせに泣くとか……おおげさだな」
「君にはボクの気持ちは分からないよ」
呆れるラインラ君に対してアーザス君は涙を指の腹で拭きながらそっけない態度で接する。そういえば、この二人あんまり仲が良くなかったな。
「わかりたくもねーよ」
そう言うと私に歩み寄って来るラインラ君。
「よく生きてたな。すげえ爆発があったって聞いたから死んだと思ったぜ」
「何て事言うんだ君は!」
「いいんですよ、アーザス君」
私の為に怒ってくれるのは嬉しいんだけどね、これでも彼は私を案じてるつもりらしいよ。
「で、でも……」
「本人がいいって言っんだろ? 外野は黙ってな」
「くっ」
久々だなこの応酬も。私は敢えて自信過剰に答える。彼にはこれ位スパイスをきかせないと味が薄すぎるだろうから。
「ふふ、私は学園に特待生として招かれたんですよ。あんなの楽勝でしたね」
「よく言うぜ。二年も帰ってこねえで」
お互いにニヤリと口の端を吊り上げる。彼と付き合うと色々荒っぽい目に合うのも覚悟しなきゃならないが、気が置けないから楽に過ごせるのは嬉しい。
「ん? 何でおまえオレの弟と妹の手を握ってんだ?」
何でと言われても困る。
「……成り行き、ですかね?」
「意味わかんねー奴だな。つーかですます調とかやめろよ。先生と話してるみたいでいらいらする」
「あれ、私にわざわざ弱点を教えてくれたんですか。ありがとうございます」
「ちっ。おまえもいつまで手握ってんだ」
相変わらず乱暴な奴。ラインラ君は真っ赤になっているルール君の頭に拳骨を振り下ろした。両手がふさがっている私にはどうする事も出来ない。拳骨はルール君の頭頂に直撃する。
「いたっ。何すんだよ兄ちゃん!」
何だかぼんやりしていたが、殴られたショックで正気に戻ったようだ。頭を両手で覆い抗議の声を上げるルール君。目に涙をにじませながら兄を恨みがましく睨み付ける。
「知るか。おまえがいつまで経っても戻らないのがわりいんだ」
ルール君とラインラ君が言い争い始めたのに乗じてアーザス君が近付いて来て、私の手を握る。
「さ、アレシアちゃん。こんな奴放っておいて下に行こう」
「そーだよ、お兄ちゃん達なんかほっておいちゃおー!」
チャーイちゃん、あんた兄を見捨てるのかい?
しかしその兄は妹の裏切りを聞き逃さなかったようだ。
「妹のくせになまいきだぞ!」
「べーだ!」
この兄があってこの妹あり。兄の脅しに屈さず、舌を出して挑発する。
「この!」
「アレシアちゃん危ないっ!」
あっ、馬鹿。妹に殴り掛かる奴があるか。チャーイちゃんを引っ張り私の懐に潜り込ませ、私自身を盾とする。
「はあ……女子供に暴力を振るって楽しいですか?」
私に殴り掛かっても返り討ちになるだけだった事を思い出したのだろうか。ラインラ君は振り上げた拳を所在なさ気に下ろした。
「ラインラっ! アレシアちゃんに当たったらどうするんだ!」
顔を蒼白にしてラインラ君に詰め寄るアーザス君。
「うるせー! 誰だろうが関係あるか!」
今度は私の前に立ち塞がったアーザス君へラインラ君の右拳が放たれる。アーザス君に避ける気配はない。ああもう。暴力で何でも物事を解決出来ると思っているのか。
まあ、彼は殴り慣れてるから逆に怪我を負わせる事はないんだけど一応止めに入るかな。
「そこまで!」
私が動こうとしたその時、お祖父さんの耳をつんざくような大声が響いて全員の体が硬直する。
気が付けば私のすぐ隣に険しい表情をしたお祖父さんが立ち、ラインラ君の振り上げた拳を掴んでいた。
「あ……え?」
拳を掴まれたラインラ君は呆然と拳を見、それからお祖父さんの顔に視線を移した。
「さ、皆。お昼ご飯を食べに行こうじゃないか」
何が何だかよく分かっていない皆にお祖父さんは険しい顔を一転してほころばせ、陽気にそう言い放つ。
邪気のないお祖父さんの笑みに、緊張した場の雰囲気はすっかり流れてしまい、何だか釈然としない気分になりながら一行は階下へ降りて行った。