六、鐘の音と共に
私が二階の自室に駆け込む事遅れて数十秒後、どやどやと近所の人々が部屋になだれ込んで来た。そんなに広くもない私の部屋に全員は入り込めず、先陣を進むファーティマさん筆頭に女性陣ばかりがぎゅうぎゅうになりながら室内へ進入して来る。これを受けて私は部屋の最も奥にあるベッドへと後退。シーツに潜り込み、篭城を決め込む。
とは言え、実はもう怒ってはいないけれど。階段を駆け上がって体を動かしたらストレスは発散され、平静を取り戻す事が出来た。
しかし後々同じ事をされたら嫌なので、今の内にきっちりとけじめを付けておこうと思ったのだ。つまり、私がどれだけ嫌がるかを今の内に知って貰おうという事。
「アレシアちゃん! ベッドでならいいって事ね!」
だが、シーツの中にいる私の耳に息を弾ませたファーティマさんの声が届き愕然とした。
「何でそうなるんですか!?」
私は思わずシーツから顔を出し突っ込んでしまう。何て事だ。話が全然通じてないじゃないか。
「ファーティマ! あなたいい加減にしておきなさいよ!」
よかった。ファーティマさんの右隣に位置するデウラテさんが飛び掛かろうとするファーティマさんを押し止めてくれた。
「う……でも、でもさあ! あんな姿見て思いとどまれって言うの!? 無理に決まってるじゃない!」
「何言ってるの! アレシアちゃん怖がってるじゃない」
デウラテさんがファーティマさんから私を庇うようにシーツ越しに優しく抱きしめてきた。
「あぁっ! その手があったかっ! 親切心にかこつける作戦だなぁ! くそっ、離れろおっ!」
上に覆いかぶさるデウラテさんの腰を掴み、ファーティマさんが引っぺがそうとする。
「ち、違うわよ! 私はただ、アレシアちゃんを安心させようと思って……」
「嘘だっ!」
「嘘じゃありません!」
「嘘!」
「だから違います!」
「あー、もう! 二人共黙りな! ほら! デウラテさん、あんたもアレシアちゃんから離れるっ!」
二人の騒々しさにたまり兼ねたらしく、イヤニヤさんが仲裁を買って出た。二人まとめて強引に私から引っぺがした。そしてしわくちゃになったベッドに転がりながら様子を見ていた私の前に立ち、その豪快で優しそうな太った丸顔にすまなそうな表情を浮かべる。
「アレシアちゃん悪かったねぇ。皆あんたに会えたのが嬉しくてつい羽目を外し過ぎちまったんだよ」
そう言ってくれるのは嬉しいんだけどね。何だか皆の手つきがやましかった気がしたから、つい逃げ出してしまったんだよね。
でも、まあ、皆もイヤニヤさんのように反省した事だろうし、いつまでも意地張ってるのもつまらないし、そろそろ頃合いかな。
「もう、服脱がしたりしませんか?」
ただここだけは譲れない。絶対に。皆の前で全裸になるとか、公開処刑じゃん。あー、想像するだけでも恥ずかしいよ。というか何故服脱がすの? 私がここにいる情報の発信源は間違いなく医師のフィアウルさんだから、怪我がないか確かめたかったのかな。
「……!? あ、あぁ、もうしないよ。だから出ておいで」
イヤニヤさんの他、私を見ている全員が今の質問に動揺をあらわにし出す。うん、やはり後ろめたさがあるんだろうね。
「……分かりました」
私はシーツを体からはがし、ベッドに腰掛けた。
すると私の前に先程私の足にしがみついてきた女の子がイヤニヤさんの後ろから出て来て、右手を地面と平行に延ばし、体を腰から直角に曲げた。これは地面に頭を付ける土下座より程度が上の謝罪だ。どういう事かというと、ある魔獣の真似をする事で自らを人間以下だと表現しているから。
「女神様ごめんなさいっ!」
ともかくこの謝罪方法は大袈裟だ。小さな女児にここまでの覚悟をされると逆に申し訳ない気持ちになって来る。
「え、と。頭を上げて下さい。私はもう気にしてませんから」
女児が首から上だけを上げ、目が合う。女児の丸っこい顔が不安に染まっている。
「許してくれるの?」
「はい、私はあなたを許します」
私の言葉を聞いた途端、女児の碧い目は輝き背中はしゃきっと延びた。
「ありがとう! ワタシはね、チャーイってゆーの。女神様よろしく、ねっ!」
この女児の名前は、チャーイというのか……って、そうじゃない。
「女神様って何です?」
「違うの?」
チャーイちゃんはポカンと私を見つめてくる。
「違いますよ」
私はばっさりと否定した。
「じゃあ、何?」
「何って、私はアレシアですが。というか何で女神様?」
「すごくキレーだから」
「それだけですか?」
「ううん、それだけじゃないよ。声もキレーだし、イー匂いもするし、動きがカワイーし、おめめが紅いし、髪もキレーだし……」
それは容姿だろ。というかベタ褒めし過ぎて胡散臭い位だ。さっきの事はもう怒っていないからそんなおべっか使わないでいいのに。また申し訳ない気持ちになる。
「とにかく、私は神様ではありません。だからアレシアと呼んで貰って構いません」
「でも、いいの?」
「いいんです。寧ろ、神様と呼ばれる方が嫌です」
道端で女神様なんて呼ばれてみろ。ものすごい恥をかくぞ。
「あ、アレシア……様?」
「何で様なんて付けるんですか。呼び捨てでお願いします」
「アレシアお姉ちゃんじゃ、ダメ?」
まあ、私の方が年上だもの。呼び捨てには抵抗があるのかもしれない。ただ……お姉ちゃん、か。私は男だったのだがなあ。
「ま、いいですよ」
「ありがとうアレシアお姉ちゃん!」
「おっと」
諦めの気持ちと共に了承した私の懐に、チャーイちゃんが飛び込んで来る。私は勢いに押されてベッドに背中から倒れ込んでしまう。
「えへへー」
チャーイちゃんは私の胸元に顔を埋め、ほお擦りを始める。時々くすぐったいような感覚に襲われ、体がその度に震えるのだが、チャーイちゃんの表情がとても嬉しそうな為に、何も言う事が出来ない。
「あ、ずるいっ!」
「やめなさい! あなたが飛び込んだら危なっかしいわ!」
「それどういう意味よ!?」
私が自らの体に戸惑ってると、鐘の音が聞こえ始めた。これは確か、ロミリアのあちこちに設置されている時計台がおよそ三時間毎に鳴らしている鐘の音だ。この鐘は……九時を知らせているものだろう。
「いけない! 仕事に遅れたっ!」
「やべっ! オレもだっ!」
「くそおっ! 少しも触れられなかったぜ!」
「何だか釈然としないねえ。ワシらは見るばかりかい」
「おばあちゃん! いいから急いでっ! アレシアちゃんじゃあね!」
皆が慌ただしく動き出すが、もう間に合わないと思うなあ。我が家には魔力灯が各部屋の天井に吊されてるけど、まだ大半の家庭の照明が植物油を燃やすランプなのでこの世界の人々は日の出と共に活動を始め、日の入りと共に活動を終える。今は冬だから、まあ六時頃に起きて、七時半辺りから仕事に入ってるだろうね。うん、完全に遅刻だ。
「アレシアちゃん、またねっ!」
「はい、また会いましょう」
仕事に就いている皆が嵐のように去っていくと、部屋にはお隣りに住んでいる専業主婦のデウラテさんとイヤニヤさんとその娘さんらしいチャーイちゃんだけが残った。
「何だか、静かになったわねえ」
「そう、ですね」
「ようやく入れるわ……」
「あ、お母さん」
何だかくたびれた声がしたなと扉の方へ視線を向けると、お母さんとお父さん、それに帰って来たお祖父さんにディーウァが室内に入って来た。
「あら、マリーさん。どうして今まで入って来なかったの?」
「実の娘が帰って来たんじゃないか、傍にいてやりなよ」
デウラテさんとイヤニヤさんの咎めるような口調の声に、お母さんは黒いオーラを漂わせながら答えた。
「ふふふ。そりゃ入れればそうしたわ。でも皆がアレシアちゃんの部屋に入って行くから仕方無しに待ってたのよ」
「ご、ごめんなさいマリーさん」
「わ、悪かったね」
「女神様、怖いよ」
お母さんの迫力に気圧されたデウラテさんとイヤニヤさんは謝り、チャーイちゃんは私に強く抱き着いてきた。
「でもいいわ。今からたっぷり触れ合いましょう、アレシアちゃん」
そう言うなりお母さんはベッドに座り、私とチャーイちゃんを抱き上げてその膝上に乗せる。
私達は窓から差し込む温かな日差しに囲まれながら、ゆるゆると過ごしたのだった。