三十四、ヌァイちゃん
二階の客室に入り扉がちゃんと閉じているのを確認した私は、疲労で床にへたり込んでしまっているディーウァに魔力を補充してやる。
私の体から、私が掴んでいるディーウァの左腕を通じてディーウァへ魔力が流れ込んでいく。
「っ!」
「どうした?」
私の魔力がディーウァの左腕を流れた時点で、彼女の表情が疲労でぐったりしたものからいきなりしかめ面へと変わった。何か問題があったのだろうか。
「急に魔力が入って来て痛いです御主人様……優しくお願いします」
そんな事言われてもな。魔力を高速で流した事が問題なのか?
「優しくって、魔力の流れをゆっくりしろという事か?」
補充に時間がかかるが、痛いというならディーウァを苦しませる訳にいかない。お母さんやお祖父さんに秘密が露見する危険があるとはいえ、何とか都合しよう。
「いえ、魔力はもっと……そうではなく、私と御主人様の接触面を広げて頂けませんか?」
接触面?
「つまり、狭い範囲に大量の魔力が急速に流れ込むと痛いという事なのか?」
「その通りで御座います」
言ってみれば、川が洪水で溢れるようなものか。溢れる水が周辺の街を濁流に飲み込むか、肉体を破壊して回るかが異なる。
「むう……」
ならば、ディーウァの左右の二の腕を両手で掴み魔力を注入しようか。これなら接触面は二倍だ。
「い、痛い痛い痛い! もっと広げて下さい!」
じゃあ、私の両腕をディーウァの両腕に絡ませ、両手を握り合う。
「もっと、もっとぉ……!」
ええ? ん、そうだ。へたっているいるディーウァの太ももに膝立ち。
「それは物理的な意味で痛いです!」
「あ、すまない」
となると、もう私がディーウァに寄りかかる位しか思い付かない。
私は頭をディーウァの肩に乗っけて体と体をくっつけ合わせた。
「あ、むず痒いので御座います……」
目をギュッと閉じ、頬を染めながら文句を言って来るディーウァ。
「それ位我慢してくれ。これ以上くっつきようがないだろう」
「うう……ん」
どうやらディーウァは満足しているようだ。心なしか表情が和らいでいる。
「アレシア? ここにいるの?」
おっと。早速お母さんが来た。魔力の供給を停止。
「はい!」
「入るわよ?」
「どうぞ!」
危ない危ない。いきなり入って来られたら少し困った事態になってたな。
「ちょっと、離して……」
「も、もう少し!」
く。がっつくんじゃないディーウァ。
「あら、羨ましいわね」
ああもう。せっかく時間的余裕があったというのに、ディーウァが私を離さなかったせいで床で抱き合った状態のままお母さんの目に触れる事になったじゃないか。
お母さん。その、あんまり見ないで欲しい。目が怖いのだが。
「久し振りで御座いますから」
ディーウァは何を言っているんだ? まあいい、とにかく話題を変えよう。
「あの、何か用があって来たんじゃないですか?」
「今日もヌァイちゃんが来てるわよアレシア」
なにい!? 今日も来たのか! くそっ、いい加減にしてくれ!
「そ、そうですか」
今日はもう彼女とやりあう気力はない。何か適当な理由を見繕って帰宅して頂こう。
「今呼んで……あら、ヌァイちゃん」
お母さんが部屋から出ようと私達に背を向けたその時、廊下からヌァイちゃんが姿を現す。
「ごめんなさい、アレシアちゃんのお母さん。アレシアちゃんに早く会いたくてつい……」
今日もまた、私以外の人間にはすこぶる優しく可愛らしい姿を演じきってやがる。
「そんな、気にしないでいいわ。私の方こそアレシアと仲良くしてくれてありがとうね」
「お礼なんてしないで下さい。ワタシ達、本当に仲良しなんですから。ねー、アレシアちゃん?」
首を傾げ笑顔を振りまく。本性を見せられた私にそんな演技を見せられても苦笑を誘うだけだ。
「ははは……」
私にも猫をかぶり続けていて欲しかった。アーザス君も余計な者を押し付けてきたものだよ、全く。
「ちょっと待っててね。今お茶でも持ってくるから」
「お気遣いありがとうございます」
行くなお母さん!
「アレシアちゃん。その人、だあれ?」
お母さんが消えても、ディーウァがいてくれて助かった。
化けの皮を脱ぎ捨てて問題ないかヌァイちゃんは判断しかねている。
ただし私とディーウァは未だ抱き合ったままなので、ヌァイちゃんが時折向ける私への目線はかなり厳しい。もし二人きりになったら危ないかも分からない。
「私を我が家に連れ帰らせて頂いた恩人の、ディーウァ……さんです」
「あなたがアレシアちゃんを?」
口に手を当てて驚くヌァイちゃん。
「その通りで御座います」
「ディーウァさんのおかげでワタシはアレシアちゃんに会えるのね。ありがとうディーウァさん」
騙されるなよ、ディーウァ。今お前が見ている清純な笑顔は巧妙な偽装だ。
「当然の事をしだだけで御座います」
だからって、さも大任を果たしたような顔をするのもいただけない。私はディーウァにそこまで迷惑を掛けた覚えはない……よな?
「まあ。ディーウァさんって立派な人なのね。尊敬しちゃいそう」
「それ程の事はしていないので御座います」
それにしても、と話を変えるヌァイちゃん。
「何だかディーウァさん随分汚れているわ。どうしたらそんなになるのかしら?」
「御見苦しい姿をお見せしてしまいまして、申し訳御座いません。実は私、つい先ほど旅路から帰宅したばかりでして」
「あら、そうなの。なら疲れているに違いないわ。アレシアちゃん、休ませてあげましょう」
二人きりになるなんてとんでもない!
断ろうと思い口を開いたが、そもそも私がディーウァを疲れているという名目でここまで引っ張ってきたんだった。
「あ……そうですね」
何てこったい。警戒していたのに、あっさりヌァイちゃんと二人きりになる状況が成立してしまった。