三十、三人兄妹の来訪
ディーウァがゲルマフィリオ州へ向けて発ったのを見送った私は、お母さんに食事室へ誘われお茶を嗜んでいた。
お茶にも色々と種類があるのだろうが、白い陶製マグカップに注がれたこの空色の液体は何という種類なのだろうか。よく分からんが、ほのかに感じる爽やかな酸味は中々悪くない。
「ディーウァちゃん、楽しんでいるかしら?」
隣に座るお母さんがカップを両手に持ちながらぽつりと話す。どうやらディーウァは観光を理由に外出したらしい。
「そうだといいですね……」
実際は魔物との戦いだからなあ。うん、後で爆撃機を追加で送っておこう。それこそ十二万の魔物を根こそぎ焼き払える位。少しはディーウァの負担を減らしてやらないと、ディーウァの主人としての面目が立たない。
お母さんと二人っきりでほんわかとお茶を啜る。何て素晴らしい時間なのだろうか。
ゲルマフィリオ州では大変な事になってるのに、私だけこんな幸せでいいのかねえ。というか、お姉ちゃんも来訪するのが今だったら大歓迎だったのだが。つくづくタイミングの悪い人だ。
と、誰かが来たみたいだ。玄関の扉がガンガン叩かれている音が響いてくる。
「あら、お客さんみたい。見てくるわ」
「はい」
お母さんが食事室から出ていくのを眺めつつマグカップに口を付け、中身を含む。美味しい。
お母さんが玄関の扉を開いた音が耳に届くと共に、ばたばたと駆け足で誰かが食事室に接近する音も聞こえてくる。何だ? またご近所さんの誰かか?
「アレシアお姉ちゃんっ!」
扉を無造作に叩き開けて食事室に入って来たのは、ラインラ君の妹のチャーイちゃんだった。
「チャーイちゃんですよね? どうしてここに?」
「お兄ちゃんたちに連れてきてもらったのーっ!」
私の質問に答えると同時に私目掛けて跳躍してくるチャーイちゃん。まさか幼い子供を床に激突させる訳にもいかない。即座にマグカップを食卓に置き、チャーイちゃんを受け止めた。が、私の小さな体では幼女とはいえチャーイちゃんを受け止めた場合その運動エネルギーを受けきれる筈もなく、椅子から転げ落ちてしまった。運の良い事に私は物凄く長い髪の毛を有しているのでそれが衝撃を緩和してくれ事なきを得たのだが。
「女神様だいじょーぶ!?」
「はい、大丈夫ですよ。ただ女神様はやめて下さい」
「何があったの!?」
椅子が倒れてうるさかったのかな? お母さんを先頭に、ラインラ君とルール君達が開きっぱなしの扉口から慌てて入ってくる。
慌てて入って来たが、私とチャーイちゃんが抱き合ってるのを見てお母さんが呆れたような目線で私達を見て一言。
「何をしてるの?」
「いや、何と言えばいいのでしょうか。チャーイちゃんが少しはしゃぎすぎちゃったみたいですね」
脱力するお母さんに対して、ラインラ君は頭をかっかさせて私達に近づいてくる。
「オレが連れて来てやったのに勝手な行動すんじゃねえ!」
「わーん! 女神様助けてーっ!」
ラインラ君の剣幕に怖がって強くくっついてくるチャーイちゃん。仕方ない、仲裁に入るか。
「まあまあ、私もチャーイちゃんも怪我もしてませんし許してあげてくれませんか。ただ女神様はやめて下さい」
「ちっ」
何とか舌打ちだけで我慢してくれたラインラ君。昔なら迷わず鉄拳制裁だったろうに、進歩したなあ。
「それで、今日はどういう用件ですか?」
「なんにもねーよ」
え? じゃあどうして来たんだ?
「あのねあのね! ワタシずーっと女神様に会いたかったんだよ!」
私の胸元に顔を埋めて何処か恍惚とした表情を浮かべているチャーイちゃんをラインラ君が苦々しげに見つめているのに気付く。
「もしかして、チャーイちゃんを連れて来ただけですか? あと女神様はやめて下さい」
「……ああ、そーだよ。悪いか?」
「ははは……」
それは御愁傷様だったね。
「まあまあ。せっかく来たんだから、お茶とお菓子でもどうかしら?」
お母さんがラインラ君達にお菓子を出してくれるようだが、ラインラ君は苦い表情を崩そうとしない。
「ありがとうございます!」
だがルール君がその申し出を受けたので、お母さんは少し待っててねと言い残して台所に消えてしまった。
「なーにがありがとうございます、だよ。お前アレシアと一緒にいる時口調が変だぞ?」
え、そうなの? というか、いつにもましてやさぐれているなラインラ君。
「なっ、そ、そんな……」
顔を真っ赤にして抗議するルール君。おやあ? 何か動揺する所があるようですな。
「んー? もしかしてルール、まさか……?」
「兄ちゃん!」
ラインラ君がニタニタと嫌らしい笑みを浮かべるのを見たルール君は赤かった顔を一層赤くしてラインラ君のみぞおちに頭を突っ込ませた。クリーンヒット! ラインラ君は片膝を付いた! しかしラインラ君歯を食いしばり、ルール君を突き飛ばす。体勢を崩したルール君は一直線に私に向かって倒れてくる……ってええ!?
私今チャーイちゃんを抱えているんだけどな。でも、私がルール君をキャッチしてやらないと頭から床に衝突してしまいそうだ。
チャーイちゃんを胸元から右脇に移し替え、自由になった左手でルール君の背中を受け止め……あー無理だわ。左手痛い。左手を引っ込め、代わりに胸元でルール君の頭を受け止めた。
「ルール君、大丈夫ですか?」
「はい!」
良かった、何ともないみたい。
「大丈夫で」
あれ? 私と目が合った後、私の胸元を見た瞬間に動きが停止してしまったぞ。
「あの、ルール君?」
「ルール兄ちゃんどいて!」
非道にもチャーイちゃんはルール君を突き飛ばし再度私の胸元に戻る。いいのか、チャーイちゃん。自分の兄だろ……。というか、ルール君は無事なのか? 私の左手が未だに少し痺れてる位だから、意外に私が時間差で止めを刺してしまったかもしれない。
「ラインラ君、元々あなたがルール君にちょっかいかけたんでしょう。どうにかして下さいよ」
とは言えラインラ君が諸悪の根源だよね。
「オレのせいじゃねえだろ」
何を言う。
「ラインラ君が下卑た笑いを浮かべて何か言おうとしなければこんな事にはなりませんでした」
あ、もしかして自覚はしてる? ラインラ君は無言で私の元まで来てルール君の頭を持ち上げ揺すり始める。
「おらっ、起きろ!」
ああああ、そんな乱暴に扱うなよ。気絶してるんだぞ。
「ちょっと、ラインラ君。もう少し丁寧に扱いましょうよ」
「うっせ!」
「しかしですねえ、私が背骨に直接打撃を当てて気絶したんですから」
しまった口が滑った。案の定ラインラ君がすっごい睨んできてる。
「それ、本気で言ってんのか?」
ん?
「あ、いや……」
どうしようか考えるが、そうだな、ここは私に非があるのだし素直に謝った方がいいかな。
「あら? 皆して何をしているの?」
お母さんがトレイに色々乗っけて台所から戻ってくる。
「こいつ寝かせてーんだけど場所ねーかな?」
「ルール君どうかしたの?」
「……」
何故無言で私を見る。そりゃ私も須らく悪いだろうが、明らかにお前にも責任あるだろ。
「分かったわ。隣の今に寝かせましょう」
お母さんもどうして納得するんだよ。私ってお母さんにどう思われているんだ? 頻繁に人を気絶させるような危ない人だとでも思われてやしないだろうか。でも今回は全部が全部私が悪くはないと思うんだ。いやしかし、私の周りで頻繁に人が気絶したりするのは事実なんだよね。これは異世界だからこそだろうな。地球じゃ気絶したりしたら一大事だが、ここじゃ皆大して驚かない。
お母さんとラインラ君に担がれたルール君を追い、私はチャーイちゃんを抱き締め居間に入る。ルール君はソファに寝かされているが、何だかその寝顔は幸せそうだ。
「ルール君の具合はどうですか?」
「大丈夫よ、すぐ良くなるわ」
「そうですか」
それならば一安心だ。
「ルール君が起きるのを待ちながらお茶にしましょう」
お母さんが食事室に置いてきたお菓子とかが乗ったトレイを取りに行った。