箸休め三品目:ゲルマフゥリオ州前篇
太陽が天頂から沈み始め、雲が空を覆い始めた昼下がりのある小さな村落。枝が雪に包まれた広葉樹が林立する中、円を描くように木が切り倒され、その円の中に煉瓦造りの家が十数軒程軒を連ねている。人口八十人もいない、小さな村だ。
その小さな村落に茶色い革鎧を着込み、頭には鈍い銀色に輝く金属製のヘルメットを被った、百人にもなろうかという集団がいた。彼らは槍や剣、弓などを携えており、集団の中央に銀色の鷲が描かれた旗がたなびいている。その集団の中心にいる黒い詰め襟の軍服を着た若い男が、支柱四本に革を上から張っただけの簡易なテントに身を寄せ、革鎧を着た男からの報告を聞いていた。
「これで、住民は完全に避難しました」
「了解した。これよりバルグ州境までの撤退を開始する」
以前より魔獣被害の急激な増加や新種の魔獣が現れるなど、ロミリア軍は魔獣脅威の増加に懸念を示してはいた。正規部隊での処理能力に限界が生じた為、予備部隊を戦力化までして対応に努めていたのだ。
だがしかし、それは急遽として発生したため当該区域は成す術もなく蹂躙されていった。警戒監視に当たっていた少数の部隊(といっても二千兵規模はあった)は敵にあっという間に飲み込まれてしまい、主力部隊に敵の存在が認知されたのは既に軍民合わせて数十万の死傷者を出した後の事であった。当該地域を担当するロミリア北方軍は区域内に五万近い戦力を保有していたが、その半数が敵の侵攻の速さに組織として交戦する前に殲滅されてしまった。
現在第九歩兵軍団は甚大な魔獣被害を被ったゲルマフゥリオ州の住民を退避させる為、軍の掌握出来た極僅かな範囲内における撤退の最後尾を守る役目を担っていた。その第九歩兵軍団に所属する第三小隊は、一応この周辺の住民全員が避難出来ているか確認をしていたのだが、その確認作業も終了し、小隊長であるこの若い男は撤退の命令を下そうとしている所なのだ。
しかし、テントに息を切らせて入って来た灰色のローブに身を包んだ男の報告により事態は一変する。
「現在我々の北々東より魔獣の群れが接近中! 会敵まであと十分以内!」
ローブに身を包んだ男の報告と共に、敵の接近を告げる太鼓の音が辺りに鳴り響く。
「敵の数は!?」
顔をさっと赤くした小隊長は灰色のローブの男へがなりたてる。
「不明です!」
「くそっ! 伝令っ! 第一中隊に会敵する旨伝達っ! 部隊には北々東へ戦力を集中させろと伝えろっ!」
「はっ!」
小隊長の命令に、小隊付きの伝令が二人駆けて行く。
「カルっ! 付いて来い! 現場で指揮をする!」
小隊長は馬を休ませている場所へと歩き始める。
小隊長にうなづきを返したカルと呼ばれた灰色のローブの男は、雪の中を歩く小隊長の横に並ぶ。
「この森林地帯だ。魔法部隊はどこまで戦える?」
「敵目標は森林を高速で動いています。索敵魔法に頼った遠距離攻撃は魔力の消費にしかならないでしょう」
この索敵魔法と連結させての魔法の集中砲火がロミリア軍の得意とする戦力の効率活用の一端であり、小隊単位にまでこの単純であるが有力な戦法の行える軍隊は大陸上にはロミリアだけだ。
「それは弓兵にも言えるな。魔獣相手に接近戦か……厳しい戦いになりそうだ。よし、伝令。歩兵と歩兵の間に魔法師と弓兵を等間隔で十箇所に分散配置。お互いを援護出来るようにしろと伝えろ」
後ろに続く伝令の一人が肉体を魔力で強化して駆け出す。小隊長とカルの二人と、後に続く伝令は仮設の厩に着くなり馬に跨がって馬を走らせた。
数十秒も馬を走らせると、円の形をしている村落の北々東に陣形を整えている小隊の歩兵、弓兵、魔法師の一群と命令を叫んでいる革鎧を着た老年の男の元に到着した。
第三小隊は小隊長の指示に従い、以下のように展開していた。
成人男性二人分の長さはある長槍と兵士と同じ大きさの楕円形の盾を装備した歩兵部隊六十八人を数メートル感覚で四つに分け、その四つに分散した歩兵部隊の間に二人一組の弓兵が三組入り、さらに車輪が付いた連射式弩一基が弓兵二人に操作されて、陣形の左翼最前線に陣取る。魔法部隊九人は陣形の後方に纏めて配置されて、陣形は即座に円陣を組めるように右端と左端の歩兵部隊は中央二つの部隊より十メートル程後方にいた。最後に弓兵一組が狙撃用に自由に動くよう言いわたされ、辺りをせわしなく見回している。
つまり、第三小隊は村落が形成している円に沿う形で弓なり形の陣形を森林から百メートル程後退した場所に、横幅約五十メートル、縦幅約五メートルの広さで展開した形となる。
「副隊長! オレは魔法師も分散しろと言ったぞ」
「小隊長お忘れですかな、魔法師は集中運用した方が効率良く敵を倒します」
一般に小隊長は新米の士官であるが為に、実際の指揮は実戦経験のある古参の下士官に任せた方が良い結果をもたらすとロミリア軍では考えられている。第三小隊の小隊長はこの経験則に従う事にしたようだ。
「……そうか、ならいい」
小隊員達は息を凝らし、魔獣を待ち受ける。それは徐々に近付いていき……突如として、木々の間からトカゲのような頭を持ち、その頭の下部から多数の触手を延ばしている体長二メートル程の醜悪な化け物、十八匹のフルーキシが姿を現した。
「弓兵、射撃開始!」
小隊長の張り上げた声に、八人の弓兵が陣魔法が施された矢を放った。と同時に、連射式弩からも矢が発射される。
放たれた矢九本の内、七本が五匹のフルーキシに突き刺さり爆発する。矢には着弾時に、爆発する魔法陣が描かれていたのだ。金属製の矢じりが爆発して幾つもの金属片に分離。フルーキシの体内で金属片が暴れ回り、ズタズタにする。
触手や頭部を吹き飛ばされた五匹のフルーキシ。しかし無傷の十三匹は弓兵達が矢筒から矢を補充している間に宙を浮いて時速二十キロ弱―――自転車程の早さ―――で迫り来る。
そんな中、連射式弩は構わず次弾を発射した。この連射式弩は矢を現代の突撃銃のように箱型弾倉に装填し引き金を引く毎に一本の矢が発射される仕組みとなっており、矢を射出する弦が二十本予め引かれているので連続二十回の射撃が可能な代物だ。射撃手が引き金を引き、撃ち終わり次第装填手が弓に五キロもする弾倉を装填する。弦も二十回撃ち終わったら弦のパーツを丸ごと取り外して交換可能なように設計されており、撃ち終わった弦を高速で引く為の機材も配備されているし、通常一小隊には弦の交換パーツが十個支給されるので、弾切れは早々起こしはしない。この方式で連射式弩は、弓兵と比べて数倍の連続発射が可能なのである。これだけでは持ち運びの不便性というデメリットに対するメリットが少ないとされたが他にも弓兵より射程も長いし、射撃手は狙いを定める事だけ考えればいいので命中精度も高い、何より弓兵より大きな矢が放てる。これらは弓兵向けに陣魔法を付加した短射程の矢を多数配備するより、弓兵には斉射時用に少数だけ陣魔法付加弓を与え、高威力長射程の弓兵には放てない大きな弓に陣魔法を付加した物を優先して与える方針にロミリア軍を進めた。製造コストが高い陣魔法付加弓をより強力に運用する為の措置であった。しかし、二つの車輪が付いただけの連射式弩はペロポネア戦時の主戦場であった森林地帯や山岳地帯、砂漠地帯での運用が著しく制限され、さらに連射式弩が破壊された場合高威力の陣魔法付加弓がほぼ封じられてしまうせいでに役に立ったとは言いがたい。ともあれ、平原での会戦では中々活躍してくれたのでこんなキワモノ兵器が一部に限り使われている。ちなみにペロポネア軍も魔法の使えない兵士への火力増強の為に野球ボール位の大きさの皮袋に金属片を詰め込んで、放り投げて地面に落ちたら魔法で爆発して金属片をまき散らす代物を投入したのだが、むしろちょっとした振動ですぐ爆発してしまうので兵士達にはロミリア軍よりも怖れられられたりしたとか。残念ながら、投石器や火砲の類の役割は魔法がになっている。
蛇足もそこまでにして、弓兵が二回目の射撃をするまでに連射式弩は四回の射撃を終えていた。
フルーキシの中で歩兵部隊の槍林に到達出来たのは僅か一匹。その歩兵部隊に肉薄したフルーキシは十本ある触手の内、先端が鋭い二本で突き刺そうとしてくる。だがそれと同時に三人の歩兵も槍を前に突き出す。二本の触手は盾の表面に直撃したが表面の鉄板を僅かに凹ませたに過ぎず、一方突き出された三本の槍はフルーキシの頭をそれぞれ貫いた。フルーキシの灰褐色の肉体から、緑色の体液が槍の穂先にネチャリと付着する。頭を潰されたフルーキシは、地面に落下し事切れた。
「カル。これで終わりか?」
「おかしいですね……索敵魔法ではもっといた気もしたのですが」
その時、伝令の一人が叫んだ。
「小隊長殿! 後ろです!」
その言葉に背後を見ると、村落の家々の隙間から二十匹以上のフルーキシが見える。
「っ! 魔法攻撃、開始せよっ! 家ごと焼き払うんだ!」
「小隊長! 前方からもおよそ三十の群れです!」
「円陣組め! 伝令! 中隊にフルーキシ五十以上に包囲されたと伝達! 急げっ!」
「はっ!」
伝令が走り出したのと同時に、魔法部隊が数十発の火球を村落の家屋十数軒に着弾させた。
その火力に満足し、小隊長が前方に視線を移すと森林からワラワラと数百以上湧き出て来るフルーキシの群れに歩兵達が蹂躙されているのを目の当たりにした。
小隊長は、フルーキシが自分に向かって触手を振り上げた瞬間を見たのを最後に、永久の眠りについた。
第三小隊が壊滅したのと時を同じくして、その上級部隊である第一中隊にもフルーキシの魔の手が振るわれていた。第一中隊は隷下にある第三小隊の到着を待って、見晴らしの良い街道沿いの雪原に駐屯し、円陣を組んでいた。だが、そこを三百六十度フルーキシに包囲されてしまった。第一中隊五百十二人に対して、フルーキシの数は三百を数える。激戦となったが槍を三百六十度全面に向け、さながら針鼠のような体勢を取った第一中隊は、弓兵五十人が一斉に放つ爆発矢や魔法師四十二人の大規模面制圧火力の支援もあり、何とか乗り切った。
しかし行軍中であったならば、たちまち壊滅していただろう。第一中隊は運が良かったのだ。後に、第一中隊は上級部隊である第九歩兵軍団に合流する為に移動した所を襲われたと伝令を寄越し、消息を絶つ。
日が沈み、闇が大地を覆い隠そうとする中、人気のない都市の中央部に一棟だけ照明の付いた建築物があった。その建築物はゲルマフゥリオ州とゲルマスペリオ州の州境から十キロ程の場所に位置するゲルマフゥリオ州内の人口三万の町の庁舎で、煉瓦造り三階建ての立派な建物だ。そしてこの建築物の一階に、第九歩兵軍団の軍団本部が居を構えていた。
その第九歩兵軍団の軍団本部は喧騒の最中にあった。軍団本部にいる百六十七人の軍人達は各部隊から届く情報整理や、各部隊への指示、作戦の立案、物資の補給などの対応に追われるのだが、それぞれが他人の出す声より大きく声を出して自分の発言を通そうとしてさらに発言が聞こえにくくなる悪循環が発生していた。普段ならばこの悪循環を止める立場にいる上官達も、隷下部隊から届く数々の報告に顔を青くするばかりで役に立たない。軍団のトップである軍団長もまた、軍団に一つしかない魔力話機にしがみついて北方軍司令部と声を張り上げている。
「もう既に六個中隊と連絡が途絶えて、ここを守っている残りの四個中隊もフルーキシ数百に襲われてんだよっ! 増援がないと撤退すら出来ん!」
軍団長である髭面の中年男性が黒の軍服に身を包み、黒い箱から延びる受話器に怒鳴るように話し掛ける。
『近隣にいる第十二軍団、第六軍団も襲われているのは同じだ』
一方、安全圏にいる司令部の男はいたって冷静だ。その冷静さに、軍団長は苛立ちを募らす。
「ふざけんな! こっちは六個中隊三千二十一名が行方不明なんだぞっ!」
『とにかく。今第二十七歩兵軍団と第二十八歩兵軍団が北上している。これが州境に到着するまでは応援に回せる部隊はない。何とか近隣の部隊と協力してくれ。辛抱しろ、辛いのは何処も変わりないんだ』
「くそったれ! おい、通信手! 第六軍団のハーヴリーに繋げ!」
軍団長は悪態をつくと受話器を置き、それを確認して通信手は魔力話機の横に付いたダイヤルを操作する。調節を終えた通信手は受話器を軍団長に手渡した。
「ハーヴリー! お前の第六軍団を応援に寄越してくれ!」
『フッイ。悪いが私の第六軍団は州境防衛の任務で分散しているから無理だ。三時間もすれば第二十七歩兵軍団が来るんだが、待てないか?』
「三時間だって!? その頃にゃオレはあの世にいるぜ! 一個位回せないのか?」
『無理だよ。予備すらかき集めてやっとこ持たせてるんだ』
「そうだ! せめて特殊戦歩兵を百人位寄越せよ。そっちは軍団扱いだからいるんだろ?」
フッイ軍団長はこの時、背後から上がる人の声が恐怖を帯びている事に気付いた。後ろを振り返ると、割れた窓ガラスから一匹のフルーキシが侵入し、窓を背に仕事をしていた一人の男の首から上を口に含んでいる。
『駄目だ! あいつらがいないとこっちがやられてしまうよ!』
受話器を手放し、フッイ軍団長は思わず腰に手を延ばしたが何もない。そう言えば軍団長になってから武器を持っていなかった事をフッイ軍団長は思い出した。
『おい、聞いてるのか? 特殊戦歩兵は駄目だが、騎兵なら出してもいいぞ』
フルーキシは続々と室内に入り込み、武器を持たない軍人を血祭りに挙げていく。辺りには悲鳴と血溜まりが充満する。
『おい、どうしたんだ? 様子がおかしいぞ?』
人の声がする黒い箱に一匹のフルーキシが興味を持ち、近付く。
グゲルググ……。ハーヴリー軍団長の耳に、聞き慣れた嫌な鳴き声が聞こえた。
『何があった!? 答えろ! おい! 大丈夫か!?』
フルーキシは耳障りな叫び声に気分を害し、黒い箱へ触手を振り上げた。