十九、のどかな午後
焼き菓子をつまみながらお姉ちゃんと談笑をしていると、お姉ちゃんが私をまじまじと見つめて口を真一文字に結んだ後、いきなり「アレシア……何だかみすぼらしい服を着ているわね」と言ってきた。
失礼な。これは寝間着だからみすぼらしかろうが、質素だろうが構わないんだ。問題は服にあるんじゃない。
「お姉ちゃんが着替える時間をくれたら、もう少しまともな服装もあったんですけどね」
そう、問題は私に出かける準備をさせてくれなかったお姉ちゃんにある。あ、そう言えばこの白いワンピース姿で大統領と会話を交わしたんだ。さっきは気にもしていなかったが、今思い返すと恥ずかしいな。
「そうだわ!」
今度はお姉ちゃん、唐突にソファから立ち上がって叫ぶ。あれ、嫌な予感がするのは何でだろう?
「私がアレシアに似合う服を用意しましょう!」
「いや、大丈夫です」
目を輝かせて私に視線を合わせるお姉ちゃんに、私は即効で拒絶の返答をたたき付ける。服を買い物しに行った記憶には嫌な思い出しか残っていないんだよね。だからお姉ちゃん、どうか遠慮してくれ。
「遠慮しなくてもいいのですわ! これは私からのお祝い品よ!」
「いや、大丈夫です」
「ハルク! 今すぐ仕立て屋を呼んで来なさいな!」
「いや、呼ばなくていいですって」
「畏まりました」
「待ってハルク! 靴屋も呼んで頂戴!」
「いや、だから……」
「畏まりました」
「アレシア、少し待ってなさいね。とびっきりの一品を用意させますわ!」
「……ありがとうございます」
もういいさ。ありがたく服を貰っとこう。
どうしてこうなったんだ?
「大変お似合いでございますわよアレシア様っ!」
「あぁん! 素敵ですわ!」
いやまあ……私のせいなんだけどさ。
大統領との緊迫感溢れる会談を執り行われ、お姉ちゃんと楽しくお話をしていた豪奢な部屋は、今や所狭しと並んだ洋服の数々に大半の面積を占有されてしまっており、その中で私は唯一の着せ替え人形となって服を取っ替え引っ替えされている。
首から下がどうなっているのか、怖くて見れない。というか見たくない。髪にも何か結んだり、載せたりしてる。一体何をされたのか……くっ、私は見ない。絶対に見ないからな!
「クロシアっ! 次は靴を選びましょう!」
「御意にごさいまーすっ!」
あーやだやだ、何でこの人達こんなノリノリなの? 私を着せ替えする事の、何が楽しいんだか。あと、後ろに控えてるメイドさん達も何なんだよ。何で私が振り向く度に数が増えているんだ。仕事をしろ、仕事。
あーあ、やっぱりあの時、断固とした決意で拒否すればよかったな……。
「クロシア、そこは白がいいんじゃないかしら?」
「いいえ、サハリア様。断然黒でしょう」
おいおい、こんな事で争うなよ。たかが服装じゃないか。んーしかし、アメリカ大統領選挙で服装によって当選した人がいたし、たかがと馬鹿にするのはいけないかもしれない。
「アレシアはどう思いますの!? ここは白じゃありません!?」
「アレシア様! 私は黒を推します!」
やっべ。全然聞いてなかった。何が黒で何が白なんだ? どうでもいいか。地味目な黒にしとこう。
「じゃ、黒にします」
「アレシア様もこう言われてますし、黒でよろしいですね?」
「んぬぬ……み、ミーフ! あなたはどう思いますの!?」
「わ、私ですか?」
お姉ちゃん、そんなに白がよかったの? 何を白にするかは分からないが、お姉ちゃんの意見を採ってあげればよかったかな。
「そうよ! 白がいいと思いません!?」
「私は、そうでございますね。ピンクがいいかなー……」
「ピッ、ピンク!? あなた正気なの!? 今のアレシアの服装の何処にピンクを合わせる気なの!? って違います! こういう時普通は私と意見を合わせるんじゃありません!?」
そんなつもりだったのかい。こういう時、権力を振るっちゃ駄目だろ。ま、空回ってるけどさ。
「あ、すいません」
軽い。謝り方が薄っぺらいな。あんまりお姉ちゃんの怒りに重み感じてないよこのメイド。そういえば、この人だけお姉ちゃんを奥様と呼んでないな。
「ピンクね……参考までにどう合わせるか教えてくれないかしら? さ、こっちに来て」
そして何故か仕立て屋さんが食いついた。
「えーと、ですね。ここら辺を淡いピンクにしたらいいのではないかと思ったのですが……」
「ふーん、あら、いいかも」
「ですよねですよね! サハリア様、どうでしょう?」
いいのか仕立て屋さん。素人の意見で自説引っ込めていいのか。はっ! 素人の意見もいい物は素直に認める。これこそが真のプロフェッショナルなのか!
「ま……まあまあですわね。それよりも……だ、誰かこの二人よりいい考えを出しなさい!」
往生際が悪いぞお姉ちゃん。何がいいのかは分からないが、ピンクがよかったんでしょ。もうどうでもいいから終わろうよ。もう疲れたよ。
「では私が……」
「はいはい! 私にも考えさせて下さいっ!」
「うふふふ、ここは私も参加させていただきます」
って、え? 何か奥に控えてたメイドさん達がにじり寄って、え? も、もうやめてえぇ! 私もう疲れたんだって! ちょっと、はうわっ、そこは触るなっ! くっ、うぅん……だからそこは駄目だって! ていうか、そもそも全然関係ない箇所だろうっ!
「奥様、お食事のご用意が出来ましたがいかがなされますか?」
その時である、ハルクさんが現れたのは。
おぉ! 救世主よ!
「あら、もうそんなに時間が経っていたの?」
ハルクさん、来てくれてありがとう。すごい助かった。
「お前達、アレシア様に失礼はなかっただろうね」
私を取り囲むメイドさん達に眉をひそめるハルクさん。ハルクさんの表情に、メイドさん達は慌てて散り散りにどこかへ去って行った。よかった、いなくなってくれた。私はもう、精神的にくたくただ。大統領謁見とは疲労の種類は違うんだが、度合いは同程度に辛い。
「ふふっ! 見なさいハルク! どう思います?」
私の両脇に腕を回して持ち上げ、ハルクさんに私を見せびらかすお姉ちゃん。うあー。
「アレシア様、大変美しゅうございますよ」
「アリガトウゴザイマース」
微笑をたたえたハルクさんのお世辞。私は残念だが、素直に受け取れない。あと、疲れたー。横になりたいー。あー、ふあー。
「クロシア、アレシアに服を見繕ってくれたお礼よ。お昼を一緒に食べましょう」
お昼ご飯! お腹空いた。食べたい。
「アレシア……目がキラキラしてますわよ。あぁんもう! 食べちゃいたいですわ!」
うーん、お姉ちゃんの発言の意味が理解出来ない。私がお昼ご飯をせっついたのと、お姉ちゃんが私を食べちゃいたいのとにどんな関係が……あぁ、お姉ちゃんもお腹空いたのか。比喩表現って奴だね。でも本当に私を食べないでくれよ。
「……」
「……」
ん? どうしたの? お姉ちゃんが仕立て屋さんとハルクさんから生暖かい視線にさらされている。
「じょ……冗談ですわよ?」
お姉ちゃん、冷や汗かいてるけど……何なの一体。さっきの発言におかしい所はあったっけ?
「……き、気持ちは分かりますけど、駄目じゃないでしょうか?」
「……お食事はこの部屋に運ばせましょう。では、私はこれで」
いやだから、何この空気。
「本当に、もう帰るんですの?」
「はい」
お昼ご飯を食べ、その後もおしゃべりを続けていたら時間はあっという間に過ぎていき、もう既に空が赤く染まりつつあった。
「泊まればいいのではありません事?」
「すみません。まだお母さんに心配はかけられないんです」
「仕方ないですわね。なら私がアレシアと共に行きましょう」
あ、それならいいかも。懐かしい。寮にいた頃は一緒に寝ていたっけか。
「奥様、それはなりません。夜には旦那様が帰宅なされます」
久しぶりにお姉ちゃんと夜を過ごせるかと思ったのだが、ハルクさんの反対にあう。うーん、駄目か。
「……ハルク。アレシアに馬車を用意してやりなさい」
むくれるお姉ちゃんだが、夫を蔑ろには出来ないらしい。
「了解致しました」
「さあ、アレシア。マリーを驚かしてやりましょう!」
あ、家にまではついてくるのね。
薄暗い星空の下、我が家に戻った私とお姉ちゃんは玄関の扉をノッカーで叩く。するとダダダダと廊下を駆ける音がしたかと思うと、勢いよく扉が開いた。
「アレシア! 遅かったじゃな……」
どうしたのお母さん。何かこう、体が固まっているよ?
「ふふふふふ。マリーさん見なさいな! 素晴らしいでしょう!?」
私はまたも両脇に腕を滑らせ持ち上げられた。お姉ちゃん、足がプラプラするからこの持ち方やめて欲しいな。
「どどどどどうしたのその服装!?」
あぁっ! そうだ、私はお姉ちゃんに貰った服装に着替えたままだった! ちらりと視線に入った服装があまりに私には似合いそうもない恥ずかしい代物だったので、忘れてしまいたくてずーっと心持ち上に視線を向けていたら本当に忘れてしまっていた。
「アレシアへ私からのプレゼントですわ! 元が元とは言え、ここまで行くとはアレシアは最強ですわね!」
最強……? どういう意味だ?
「本当ねっ! それより、私に渡しなさいっ!」
うわっ、お母さん。腰を引っ張らないでよ。
「も、もう少し!」
お姉ちゃんも対抗しないでくれ。両脇を持つお姉ちゃんと腰に腕を回して引っ張るお母さんの力が合わさって、痛いんですけど。
「何言ってるの! サハリアちゃんは今日一日たくさん一緒にいたじゃない! 私なんか寂しくて寂しくてしょーがなかったんだから!」
「奥様、そろそろお時間が」
「もう! し、仕方ありませんわね!」
お姉ちゃんが力を緩めてくれたので私はお母さんの腕の中へ。そして何かよく分からんが頬擦りされる。
「あ〜んもーっ! 可愛いわよアレシア! 可愛い過ぎるぅ!」
「アレシア、また来てもいい?」
頬を薄く桃色に染め、目線を僅かに横にそらしながら話し掛けてきたお姉ちゃん。く、可愛いのは私じゃなくてお姉ちゃんだろ。こんな風に言われたら、断れないじゃないか。まあ、もとより断る気はなかったけどさ。私はお母さんに頬擦りされつつ、お姉ちゃんに返事をする。
「是非とも来て下さい。歓迎します」
「そう、ではまた来ますわ」
つんとあごをちょっと上に上げて、さらには緩みそうになる口元を懸命に押さえ付けようとして押さえきれていないお姉ちゃん。ぐっ! 反則的に可愛い仕草だ。私のツボにクリティカルヒット!
「は、はい」
落ち着け、落ち着け、かるむだう〜ん、かるむだう〜ん。
「マリーも、さようなら」
「はーい、じゃあねサハリアちゃん! 服、ありがとうね!」
あぁっ、私が心を落ち着けている間にお姉ちゃん、馬車に足を掛けてる! まだお礼の一つも言っていないのに!
「お姉ちゃん! 今日はありがとう!」
声を張り上げたかいあって私の言葉は何とかお姉ちゃんに届き、馬車の中からお姉ちゃんは窓のカーテンを取り払って手を振り返してくれた。